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隣国ヴァレンシュタイン公爵領。そこは質実剛健を絵に描いたような、峻烈な美しさを持つ土地だった。
だが、豪華な馬車の窓から領地の風景を眺めるニーアの眉間には、深い皺が刻まれている。
「……ジークハルト様。あそこの街道沿いの街灯、魔石の配置間隔が非効率ですわ。あと三メートル広げれば、光量を維持したまま維持費を七パーセント削減できます」
「……やはり気づいたか。私も以前から指摘していたのだが、管理部門が『伝統の美学に反する』と抜かしおってな」
「美学で腹は膨れませんわ。美しさは利益の後に付いてくるものです。……到着早々、お仕事が山積みでワクワクしますわね」
ニーアは手の中で算盤を弾き、パチリと小気味よい音を立てた。
馬車が公爵邸の門を潜ると、そこには豪華な服に身を包んだ役人たちが列をなして待ち構えていた。
その中心にいるのは、まるまると太った中年の男。領地の財務責任者であるバロム男爵だ。
「おお、ジークハルト様! お帰りなさいませ! ……して、そちらの女性は? まさか、新しいメイドの補充でございますかな?」
バロムはニーアの質素な(しかし機能的な)旅装を見て、鼻で笑った。
ジークハルトは氷のような視線をバロムに向け、静かに口を開く。
「私の新しい『最高経営責任者』、ニーア・フォン・アステリア嬢だ。今日からこの領地の全権を彼女に委ねる。……バロム、お前たちの仕事ぶりを精査してもらうぞ」
「な、なな……最高経営責任者!? ジークハルト様、冗談はやめてください! このような小娘に何ができるというのです! 我がヴァレンシュタインの財務は、この私が完璧に……」
「『完璧』の定義が私と貴方では少々異なるようですね、バロム様」
ニーアが一歩前へ出た。その手には、馬車の中でジークハルトから受け取っていた直近三ヶ月分の帳簿の写しが握られている。
「……失礼ですが、先月の『迎賓用高級ワイン』の仕入れ代金。市場価格の二倍で計上されていますわね。差額の五〇万ゴルドは、どこの異次元に消えたのかしら?」
バロムの顔から、一瞬にして血の気が引いた。
「そ、それは……ヴィンテージものですからな! 輸送費や保険料も込みで……」
「輸送ギルドの領収書と突き合わせましたが、保険料は基本料金のみ。さらに、納入されたワインの本数と空き瓶の数が合いません。残りの十二本は、貴方の私邸の地下室に『緊急避難』していると見て間違いありませんわね?」
「な……何を根拠に……!」
「根拠は数字です。数字は嘘をつきませんわ。……ジークハルト様、今すぐ彼の私邸の家宅捜索を。拒否される場合は、その場で『業務上横領および背任罪』として、損害額の十倍を即刻請求いたします」
パチ、パチ、パチン!
最後の一打が、広場に鋭く響き渡る。
「……くっ、ふざけるな! こんな出所不明の女の言葉を信じるのか! 騎士たちよ、この無礼な女を捕らえろ!」
バロムが叫ぶが、ジークハルトの配下の騎士たちは一歩も動かない。彼らもまた、バロムたちの腐敗には薄々気づいていたのだ。
「バロム。君の解雇通知書は、すでにニーアが馬車の中で書き上げている。……今この瞬間をもって、君は『無職』だ」
ジークハルトが冷たく宣告すると、ニーアは懐から一枚の紙をヒラヒラとさせた。
「こちら、再就職支援……ではなく、強制労働による負債返済計画書ですわ。あそこの街道の街灯を配置し直す工事、人手不足だそうですから。貴方のその立派なお腹を凹ませる絶好の機会ですわね」
「そ、そんな……! 私は貴族だぞ!」
「貴族の義務は領民を豊かにすること。領民の税金を自分の胃袋に詰め込むことではありませんわ。……さあ、衛兵の皆様。彼を『現場』へ。一分一秒が損失に繋がりますから、速やかにお願いします」
バロムが引きずられていくのを横目に、ニーアは深呼吸をした。
「……さて、ジークハルト様。まずは腐ったミカンを一つ排除しましたが、まだ残りが二十人ほどいますわね」
「ああ。君が来ると分かっていたら、もっと早くから掃除を頼んでいたものを」
「報酬は、削減したコストの五パーセントで結構ですわよ? ……ふふ、今日一日でどれだけ稼げるか、楽しみですわ」
ニーアの背後には、凍りついたままの役人たちが震えながら立っていた。
彼女の噂は、瞬く間に領内を駆け巡ることになる。
『氷公爵が連れてきたのは、女神ではなく、数字の化け物だった』……と。
ニーアは優雅に屋敷へと足を踏み入れ、執事から手渡された新しい羽ペンを、まるで剣のように構えた。
「自由、そして仕事。……これこそが令嬢の嗜みですわね!」
彼女の「暴走」は、まだ始まったばかりであった。
だが、豪華な馬車の窓から領地の風景を眺めるニーアの眉間には、深い皺が刻まれている。
「……ジークハルト様。あそこの街道沿いの街灯、魔石の配置間隔が非効率ですわ。あと三メートル広げれば、光量を維持したまま維持費を七パーセント削減できます」
「……やはり気づいたか。私も以前から指摘していたのだが、管理部門が『伝統の美学に反する』と抜かしおってな」
「美学で腹は膨れませんわ。美しさは利益の後に付いてくるものです。……到着早々、お仕事が山積みでワクワクしますわね」
ニーアは手の中で算盤を弾き、パチリと小気味よい音を立てた。
馬車が公爵邸の門を潜ると、そこには豪華な服に身を包んだ役人たちが列をなして待ち構えていた。
その中心にいるのは、まるまると太った中年の男。領地の財務責任者であるバロム男爵だ。
「おお、ジークハルト様! お帰りなさいませ! ……して、そちらの女性は? まさか、新しいメイドの補充でございますかな?」
バロムはニーアの質素な(しかし機能的な)旅装を見て、鼻で笑った。
ジークハルトは氷のような視線をバロムに向け、静かに口を開く。
「私の新しい『最高経営責任者』、ニーア・フォン・アステリア嬢だ。今日からこの領地の全権を彼女に委ねる。……バロム、お前たちの仕事ぶりを精査してもらうぞ」
「な、なな……最高経営責任者!? ジークハルト様、冗談はやめてください! このような小娘に何ができるというのです! 我がヴァレンシュタインの財務は、この私が完璧に……」
「『完璧』の定義が私と貴方では少々異なるようですね、バロム様」
ニーアが一歩前へ出た。その手には、馬車の中でジークハルトから受け取っていた直近三ヶ月分の帳簿の写しが握られている。
「……失礼ですが、先月の『迎賓用高級ワイン』の仕入れ代金。市場価格の二倍で計上されていますわね。差額の五〇万ゴルドは、どこの異次元に消えたのかしら?」
バロムの顔から、一瞬にして血の気が引いた。
「そ、それは……ヴィンテージものですからな! 輸送費や保険料も込みで……」
「輸送ギルドの領収書と突き合わせましたが、保険料は基本料金のみ。さらに、納入されたワインの本数と空き瓶の数が合いません。残りの十二本は、貴方の私邸の地下室に『緊急避難』していると見て間違いありませんわね?」
「な……何を根拠に……!」
「根拠は数字です。数字は嘘をつきませんわ。……ジークハルト様、今すぐ彼の私邸の家宅捜索を。拒否される場合は、その場で『業務上横領および背任罪』として、損害額の十倍を即刻請求いたします」
パチ、パチ、パチン!
最後の一打が、広場に鋭く響き渡る。
「……くっ、ふざけるな! こんな出所不明の女の言葉を信じるのか! 騎士たちよ、この無礼な女を捕らえろ!」
バロムが叫ぶが、ジークハルトの配下の騎士たちは一歩も動かない。彼らもまた、バロムたちの腐敗には薄々気づいていたのだ。
「バロム。君の解雇通知書は、すでにニーアが馬車の中で書き上げている。……今この瞬間をもって、君は『無職』だ」
ジークハルトが冷たく宣告すると、ニーアは懐から一枚の紙をヒラヒラとさせた。
「こちら、再就職支援……ではなく、強制労働による負債返済計画書ですわ。あそこの街道の街灯を配置し直す工事、人手不足だそうですから。貴方のその立派なお腹を凹ませる絶好の機会ですわね」
「そ、そんな……! 私は貴族だぞ!」
「貴族の義務は領民を豊かにすること。領民の税金を自分の胃袋に詰め込むことではありませんわ。……さあ、衛兵の皆様。彼を『現場』へ。一分一秒が損失に繋がりますから、速やかにお願いします」
バロムが引きずられていくのを横目に、ニーアは深呼吸をした。
「……さて、ジークハルト様。まずは腐ったミカンを一つ排除しましたが、まだ残りが二十人ほどいますわね」
「ああ。君が来ると分かっていたら、もっと早くから掃除を頼んでいたものを」
「報酬は、削減したコストの五パーセントで結構ですわよ? ……ふふ、今日一日でどれだけ稼げるか、楽しみですわ」
ニーアの背後には、凍りついたままの役人たちが震えながら立っていた。
彼女の噂は、瞬く間に領内を駆け巡ることになる。
『氷公爵が連れてきたのは、女神ではなく、数字の化け物だった』……と。
ニーアは優雅に屋敷へと足を踏み入れ、執事から手渡された新しい羽ペンを、まるで剣のように構えた。
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彼女の「暴走」は、まだ始まったばかりであった。
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