悪役令嬢、婚約破棄された本日より暴走を開始します 

八雲

文字の大きさ
7 / 29

7

しおりを挟む
隣国ヴァレンシュタイン公爵領。そこは質実剛健を絵に描いたような、峻烈な美しさを持つ土地だった。


だが、豪華な馬車の窓から領地の風景を眺めるニーアの眉間には、深い皺が刻まれている。


「……ジークハルト様。あそこの街道沿いの街灯、魔石の配置間隔が非効率ですわ。あと三メートル広げれば、光量を維持したまま維持費を七パーセント削減できます」


「……やはり気づいたか。私も以前から指摘していたのだが、管理部門が『伝統の美学に反する』と抜かしおってな」


「美学で腹は膨れませんわ。美しさは利益の後に付いてくるものです。……到着早々、お仕事が山積みでワクワクしますわね」


ニーアは手の中で算盤を弾き、パチリと小気味よい音を立てた。


馬車が公爵邸の門を潜ると、そこには豪華な服に身を包んだ役人たちが列をなして待ち構えていた。


その中心にいるのは、まるまると太った中年の男。領地の財務責任者であるバロム男爵だ。


「おお、ジークハルト様! お帰りなさいませ! ……して、そちらの女性は? まさか、新しいメイドの補充でございますかな?」


バロムはニーアの質素な(しかし機能的な)旅装を見て、鼻で笑った。


ジークハルトは氷のような視線をバロムに向け、静かに口を開く。


「私の新しい『最高経営責任者』、ニーア・フォン・アステリア嬢だ。今日からこの領地の全権を彼女に委ねる。……バロム、お前たちの仕事ぶりを精査してもらうぞ」


「な、なな……最高経営責任者!? ジークハルト様、冗談はやめてください! このような小娘に何ができるというのです! 我がヴァレンシュタインの財務は、この私が完璧に……」


「『完璧』の定義が私と貴方では少々異なるようですね、バロム様」


ニーアが一歩前へ出た。その手には、馬車の中でジークハルトから受け取っていた直近三ヶ月分の帳簿の写しが握られている。


「……失礼ですが、先月の『迎賓用高級ワイン』の仕入れ代金。市場価格の二倍で計上されていますわね。差額の五〇万ゴルドは、どこの異次元に消えたのかしら?」


バロムの顔から、一瞬にして血の気が引いた。


「そ、それは……ヴィンテージものですからな! 輸送費や保険料も込みで……」


「輸送ギルドの領収書と突き合わせましたが、保険料は基本料金のみ。さらに、納入されたワインの本数と空き瓶の数が合いません。残りの十二本は、貴方の私邸の地下室に『緊急避難』していると見て間違いありませんわね?」


「な……何を根拠に……!」


「根拠は数字です。数字は嘘をつきませんわ。……ジークハルト様、今すぐ彼の私邸の家宅捜索を。拒否される場合は、その場で『業務上横領および背任罪』として、損害額の十倍を即刻請求いたします」


パチ、パチ、パチン!


最後の一打が、広場に鋭く響き渡る。


「……くっ、ふざけるな! こんな出所不明の女の言葉を信じるのか! 騎士たちよ、この無礼な女を捕らえろ!」


バロムが叫ぶが、ジークハルトの配下の騎士たちは一歩も動かない。彼らもまた、バロムたちの腐敗には薄々気づいていたのだ。


「バロム。君の解雇通知書は、すでにニーアが馬車の中で書き上げている。……今この瞬間をもって、君は『無職』だ」


ジークハルトが冷たく宣告すると、ニーアは懐から一枚の紙をヒラヒラとさせた。


「こちら、再就職支援……ではなく、強制労働による負債返済計画書ですわ。あそこの街道の街灯を配置し直す工事、人手不足だそうですから。貴方のその立派なお腹を凹ませる絶好の機会ですわね」


「そ、そんな……! 私は貴族だぞ!」


「貴族の義務は領民を豊かにすること。領民の税金を自分の胃袋に詰め込むことではありませんわ。……さあ、衛兵の皆様。彼を『現場』へ。一分一秒が損失に繋がりますから、速やかにお願いします」


バロムが引きずられていくのを横目に、ニーアは深呼吸をした。


「……さて、ジークハルト様。まずは腐ったミカンを一つ排除しましたが、まだ残りが二十人ほどいますわね」


「ああ。君が来ると分かっていたら、もっと早くから掃除を頼んでいたものを」


「報酬は、削減したコストの五パーセントで結構ですわよ? ……ふふ、今日一日でどれだけ稼げるか、楽しみですわ」


ニーアの背後には、凍りついたままの役人たちが震えながら立っていた。


彼女の噂は、瞬く間に領内を駆け巡ることになる。


『氷公爵が連れてきたのは、女神ではなく、数字の化け物だった』……と。


ニーアは優雅に屋敷へと足を踏み入れ、執事から手渡された新しい羽ペンを、まるで剣のように構えた。


「自由、そして仕事。……これこそが令嬢の嗜みですわね!」


彼女の「暴走」は、まだ始まったばかりであった。
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

婚約者が私のことをゴリラと言っていたので、距離を置くことにしました

相馬香子
恋愛
ある日、クローネは婚約者であるレアルと彼の友人たちの会話を盗み聞きしてしまう。 ――男らしい? ゴリラ? クローネに対するレアルの言葉にショックを受けた彼女は、レアルに絶交を突きつけるのだった。 デリカシーゼロ男と男装女子の織り成す、勘違い系ラブコメディです。

【完結】ジュリアはバツイチ人生を謳歌する

ariya
恋愛
エレン王国の名門貴族・アグリア伯爵家に嫁いだジュリア・アグリア(旧姓ベルティー)。 夫のアベル・アグリア伯爵は、騎士として王妃の護衛任務に没頭し、結婚翌日からほぼ別居状態。 社交界のパーティーでは妻のエスコートを代理人に任せ、父の葬儀にも顔を出さず、事務的な会話と手紙のやり取りだけの日々が続く。 ジュリアは8年間の冷遇に耐え抜いたが、ある朝の食事中、静かに切り出す。 「私たち、離婚しましょう」 アベルは絶句するが、ジュリアは淡々と不満を告げる。 どれも自分のしでかしたことにアベルは頭を抱える。 彼女はすでに離婚届と慰謝料の用意を済ませ、夫の仕事に理解を示さなかった「有責妻」として後腐れなく別れるつもりだった。 アベルは内心で反発しつつも、ジュリアの決意の固さに渋々サイン。 こうしてジュリア・アグリアは、伯爵夫人としての全てを置き去りにし、バツイチ人生を開始する。

せめて、淑女らしく~お飾りの妻だと思っていました

藍田ひびき
恋愛
「最初に言っておく。俺の愛を求めるようなことはしないで欲しい」  リュシエンヌは婚約者のオーバン・ルヴェリエ伯爵からそう告げられる。不本意であっても傷物令嬢であるリュシエンヌには、もう後はない。 「お飾りの妻でも構わないわ。淑女らしく務めてみせましょう」  そうしてオーバンへ嫁いだリュシエンヌは正妻としての務めを精力的にこなし、徐々に夫の態度も軟化していく。しかしそこにオーバンと第三王女が恋仲であるという噂を聞かされて……? ※ なろうにも投稿しています。

〖完結〗終着駅のパッセージ

苺迷音
恋愛
分厚い眼鏡と、ひっつめた髪を毛糸帽で覆う女性・カレン。 彼女はとある想いを胸に北へ向かう蒸気機関車に乗っていた。 王都から離れてゆく車窓を眺めながら、カレンは夫と婚姻してから三年という長い時間を振り返る。 その間、夫が帰宅したのは数えるほどだった。 ※ご覧いただけましたらとても嬉しいです。よろしくお願いいたします。

王子妃教育に疲れたので幼馴染の王子との婚約解消をしました

さこの
恋愛
新年のパーティーで婚約破棄?の話が出る。 王子妃教育にも疲れてきていたので、婚約の解消を望むミレイユ 頑張っていても落第令嬢と呼ばれるのにも疲れた。 ゆるい設定です

愛しの第一王子殿下

みつまめ つぼみ
恋愛
 公爵令嬢アリシアは15歳。三年前に魔王討伐に出かけたゴルテンファル王国の第一王子クラウス一行の帰りを待ちわびていた。  そして帰ってきたクラウス王子は、仲間の訃報を口にし、それと同時に同行していた聖女との婚姻を告げる。  クラウスとの婚約を破棄されたアリシアは、言い寄ってくる第二王子マティアスの手から逃れようと、国外脱出を図るのだった。  そんなアリシアを手助けするフードを目深に被った旅の戦士エドガー。彼とアリシアの逃避行が、今始まる。

完結 冗談で済ますつもりでしょうが、そうはいきません。

音爽(ネソウ)
恋愛
王子の幼馴染はいつもわがまま放題。それを放置する。 結婚式でもやらかして私の挙式はメチャクチャに 「ほんの冗談さ」と王子は軽くあしらうが、そこに一人の男性が現れて……

「では、ごきげんよう」と去った悪役令嬢は破滅すら置き去りにして

東雲れいな
恋愛
「悪役令嬢」と噂される伯爵令嬢・ローズ。王太子殿下の婚約者候補だというのに、ヒロインから王子を奪おうなんて野心はまるでありません。むしろ彼女は、“わたくしはわたくしらしく”と胸を張り、周囲の冷たい視線にも毅然と立ち向かいます。 破滅を甘受する覚悟すらあった彼女が、誇り高く戦い抜くとき、運命は大きく動きだす。

処理中です...