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アレン王子が衛兵に引きずり出されてから数時間後。
ヴァレンシュタイン公爵邸の裏門付近で、ボロボロのピンクのドレスを泥で汚した少女が、門番に詰め寄っていた。
「通して! 通しなさいよ! 私はリリィ、次期王妃になるはずの女なのよ!」
「……。……。……おい、また変なのが来たぞ。今日は『王室関係者(自称)』の不法投棄日か何かか?」
門番の冷ややかな視線を浴びながら、リリィは執念で敷地内へと潜り込んだ。
彼女の目的はただ一つ。自分をこんな惨めな目に合わせた元凶、ニーアを「排除」することだ。
リリィは隠し持っていた小瓶を握りしめた。
「……ふふ、これさえあれば。ニーア様さえいなくなれば、アレン様も正気に戻って、また私に宝石を買ってくれるはず……!」
その頃、ニーアは庭園の東屋で、ジークハルトから提供された「新作の高級茶葉」の原価計算に没頭していた。
「……この香気、そして茶葉の乾燥度。一グラムあたり二〇〇ゴルドが妥当ですわね。ジークハルト様、卸業者に二〇ゴルドほどボラれていますわよ?」
「……あ、あら、ニーア様。ご機嫌よう」
茂みから、リリィが不自然な笑顔で這い出してきた。
ニーアは算盤を止めることなく、チラリと視線を向けた。
「あら、リリィ様。そのドレスの惨状……。公爵邸の庭園に、新種の害虫でも発生したのかと思いましたわ」
「ひ、ひどい! ……でも、いいの。私、ニーア様にお詫びがしたくて……これ、特別なお茶を持ってきたんです」
リリィは震える手で、持参した水筒からティーカップに禍々しい紫色の液体を注いだ。
「……さあ、召し上がれ? リリィの『真心』がこもった、とっても美味しいお茶ですよ」
ニーアはカップを受け取ると、鼻先で数秒、香りを嗅いだ。
そして、スッと眼鏡の奥の瞳を細める。
「……リリィ様。この液体の成分、分析してもよろしいかしら?」
「えっ? あ、ただのハーブティーですよぉ!」
「いいえ。このツンとした刺激臭は、地下組織で出回っている低品質の毒薬『カラスの溜息』。……それも、保存状態が悪くて半分以上分解されていますわね」
ニーアは、空中に指で数式を書き始めた。
$$Poison\_Effectiveness = \frac{Concentration \times Purity}{Elapsed\_Time^2}$$
「……不純物混入率、なんと八十パーセント。致死量に至るには、これをバケツ三杯は飲み干さなくてはなりません。……リリィ様、これ、いくらで買わされました?」
「えっ、そ、それは……金貨五枚で……」
「……。……。……。……金貨五枚!? これなら路地裏の薬屋で、銅貨三枚で買える安物ですわよ! リリィ様、貴女、毒を買うセンスまで壊滅的ですのね!」
ニーアは、リリィのあまりの「買い物下手」に、怒りすら通り越して同情の眼差しを向けた。
「な、なんですって!? 毒の話をしてるのよ!? 死ぬかもしれないのよ!?」
「死にませんわ。せいぜい、三日ほどお腹を下す程度です。……それよりも、金貨五枚をドブに捨てたという事実の方が、私にとっては死ぬほど恐ろしいホラーですわ」
ニーアはパシャリと中身を地面に捨てると、リリィに向かって指を突きつけた。
「リリィ様。貴女は私の命を狙った……というよりも、我が領地の健全な市場取引を著しく乱し、無価値なものに高値をつけた重罪を犯しました」
「な、なによそれ……!」
「ジークハルト様! 隠れて見ていないで、さっさとこの『不良在庫』を処理してくださいまし!」
庭の木陰から、ジークハルトが呆れた顔で姿を現した。
「……。……。……。……ニーア、もう少し怯えるふりくらいしてはどうだ。私の出番が全くなかったぞ」
「そんな余裕、一ゴルド分もありませんわ。……それよりジークハルト様、この女性、毒の精製工場で労働させてはどうかしら? 適正価格を知れば、少しはマシな頭になるでしょう」
「……採用だ。我が領の化学工場で、徹底的にコスト意識を叩き込んでやろう」
「嫌ぁぁ! 私、可愛いドレスを着て、お茶会がしたいだけなのにぃ!」
リリィは、再び現れた衛兵たちに抱えられ、工場へと連行されていった。
静かになった庭園で、ニーアは深いため息をつき、算盤を弾き直した。
「……。……。……。……まったく。恋愛に狂うのは勝手ですが、相場を無視した取引だけは許せませんわ」
「……ニーア。君を狙った毒が安物で、本当に良かったよ」
ジークハルトが、ニーアの肩を抱き寄せ、その額に優しくキスをした。
「……っ。……ジ、ジークハルト様。その行為、私の『精神的付加価値』を一時的に高めますが……。……今のキス、時給換算でいくら請求されますの?」
「……一生分だ。分割払い、あるいは終身契約で支払ってもらおうか」
「…っ。……利率、高すぎますわよ……!」
ニーアは真っ赤な顔で、ジークハルトの胸に算盤を押し当てた。
毒よりも甘い、計算外の熱が、彼女の心臓の鼓動を狂わせ続けていた。
ヴァレンシュタイン公爵邸の裏門付近で、ボロボロのピンクのドレスを泥で汚した少女が、門番に詰め寄っていた。
「通して! 通しなさいよ! 私はリリィ、次期王妃になるはずの女なのよ!」
「……。……。……おい、また変なのが来たぞ。今日は『王室関係者(自称)』の不法投棄日か何かか?」
門番の冷ややかな視線を浴びながら、リリィは執念で敷地内へと潜り込んだ。
彼女の目的はただ一つ。自分をこんな惨めな目に合わせた元凶、ニーアを「排除」することだ。
リリィは隠し持っていた小瓶を握りしめた。
「……ふふ、これさえあれば。ニーア様さえいなくなれば、アレン様も正気に戻って、また私に宝石を買ってくれるはず……!」
その頃、ニーアは庭園の東屋で、ジークハルトから提供された「新作の高級茶葉」の原価計算に没頭していた。
「……この香気、そして茶葉の乾燥度。一グラムあたり二〇〇ゴルドが妥当ですわね。ジークハルト様、卸業者に二〇ゴルドほどボラれていますわよ?」
「……あ、あら、ニーア様。ご機嫌よう」
茂みから、リリィが不自然な笑顔で這い出してきた。
ニーアは算盤を止めることなく、チラリと視線を向けた。
「あら、リリィ様。そのドレスの惨状……。公爵邸の庭園に、新種の害虫でも発生したのかと思いましたわ」
「ひ、ひどい! ……でも、いいの。私、ニーア様にお詫びがしたくて……これ、特別なお茶を持ってきたんです」
リリィは震える手で、持参した水筒からティーカップに禍々しい紫色の液体を注いだ。
「……さあ、召し上がれ? リリィの『真心』がこもった、とっても美味しいお茶ですよ」
ニーアはカップを受け取ると、鼻先で数秒、香りを嗅いだ。
そして、スッと眼鏡の奥の瞳を細める。
「……リリィ様。この液体の成分、分析してもよろしいかしら?」
「えっ? あ、ただのハーブティーですよぉ!」
「いいえ。このツンとした刺激臭は、地下組織で出回っている低品質の毒薬『カラスの溜息』。……それも、保存状態が悪くて半分以上分解されていますわね」
ニーアは、空中に指で数式を書き始めた。
$$Poison\_Effectiveness = \frac{Concentration \times Purity}{Elapsed\_Time^2}$$
「……不純物混入率、なんと八十パーセント。致死量に至るには、これをバケツ三杯は飲み干さなくてはなりません。……リリィ様、これ、いくらで買わされました?」
「えっ、そ、それは……金貨五枚で……」
「……。……。……。……金貨五枚!? これなら路地裏の薬屋で、銅貨三枚で買える安物ですわよ! リリィ様、貴女、毒を買うセンスまで壊滅的ですのね!」
ニーアは、リリィのあまりの「買い物下手」に、怒りすら通り越して同情の眼差しを向けた。
「な、なんですって!? 毒の話をしてるのよ!? 死ぬかもしれないのよ!?」
「死にませんわ。せいぜい、三日ほどお腹を下す程度です。……それよりも、金貨五枚をドブに捨てたという事実の方が、私にとっては死ぬほど恐ろしいホラーですわ」
ニーアはパシャリと中身を地面に捨てると、リリィに向かって指を突きつけた。
「リリィ様。貴女は私の命を狙った……というよりも、我が領地の健全な市場取引を著しく乱し、無価値なものに高値をつけた重罪を犯しました」
「な、なによそれ……!」
「ジークハルト様! 隠れて見ていないで、さっさとこの『不良在庫』を処理してくださいまし!」
庭の木陰から、ジークハルトが呆れた顔で姿を現した。
「……。……。……。……ニーア、もう少し怯えるふりくらいしてはどうだ。私の出番が全くなかったぞ」
「そんな余裕、一ゴルド分もありませんわ。……それよりジークハルト様、この女性、毒の精製工場で労働させてはどうかしら? 適正価格を知れば、少しはマシな頭になるでしょう」
「……採用だ。我が領の化学工場で、徹底的にコスト意識を叩き込んでやろう」
「嫌ぁぁ! 私、可愛いドレスを着て、お茶会がしたいだけなのにぃ!」
リリィは、再び現れた衛兵たちに抱えられ、工場へと連行されていった。
静かになった庭園で、ニーアは深いため息をつき、算盤を弾き直した。
「……。……。……。……まったく。恋愛に狂うのは勝手ですが、相場を無視した取引だけは許せませんわ」
「……ニーア。君を狙った毒が安物で、本当に良かったよ」
ジークハルトが、ニーアの肩を抱き寄せ、その額に優しくキスをした。
「……っ。……ジ、ジークハルト様。その行為、私の『精神的付加価値』を一時的に高めますが……。……今のキス、時給換算でいくら請求されますの?」
「……一生分だ。分割払い、あるいは終身契約で支払ってもらおうか」
「…っ。……利率、高すぎますわよ……!」
ニーアは真っ赤な顔で、ジークハルトの胸に算盤を押し当てた。
毒よりも甘い、計算外の熱が、彼女の心臓の鼓動を狂わせ続けていた。
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