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第二章「別宮編」

雌雄決す

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稲光が光る。

雨の森の中、馬を走らせるが、不思議と音もしなければ泥跳ねもしない。
サークの魔術が効いているようだ。

「……サークとは、知り合いですか?」

そんな中、殿下が言った。
自分には殿下が何を聞きたいのかわかっていた。
なので正直に答えた。

「いえ、本当に彼は私の名前を知りません。ですが彼は有名ですから、私の方は彼の名前を知っています。そしてその姿を見ています。」

「…………。」

「彼は私の名前を知りません。それはこの命と君主の名に懸けて言えます。ですが……私は彼を愛しています。」

「……そう、ですか……。では、私と一緒ですね……。」

殿下はそれ以上、何も言わなかった。

音のしない馬だけが、雷雨の森を駆けていた。






「サーク、話がある……。来てもらえないか?」

久しぶりに見た隊長は、控えめにそう言った。
確かに何かやつれてると思う。
それが俺のせいなのか、抜け出した王子のせいなのかはわからない。

食事前で良かった。
酸っぱいものが込み上げかけた俺はそう思った。

話したくない。
顔も合わせたくない。
と言うのが正直なところだ。

だが俺自身、このまま逃げていても埒があかないことは十分過ぎるほどわかっていた。

いいだろう。
決着を着けようじゃないか。

俺はそう思い、隊長について行った。




「……その首、どうしたんです?」

座るよう促され隊長の部屋の応接室セットに座り、開口一番、俺は気になっていた事を聞いた。
隊長が怖くて誰もツッコまないが、皆、朝から気になって仕方がない。

「別に大したことではない……。」

いや?どう考えても、その派手な包帯は気になるだろ!?
位置から考えて首を吊ろうとした訳じゃないだろう。
どう思われてるのかは知らないが、さすがに首を吊られてたら気分が悪い。
俺ははぁ、と大きく息を吐いた。

「で?どこから再開します?殴り合いからやりますか?」

「……殴ってお前の気がすむなら、そうしてくれ。」

目の前の隊長は、何だか処刑前の囚人のようだ。
ここまでどんよりされると、かえってこちらは落ち込みにくくなる。
生きる屍みたいな隊長を目の前にして、俺も少し自分の事しか考えていなかった事に気づく。
許せるかどうかは別として、この人もこの人なりに悩み、苦しんだ上で俺と話したいと言ったのだろう。
それはかなり勇気のいる事だ。
俺は少し気が抜け、深くため息をついた。

「……殴って終わらせる気でしたよ、俺は。だって最終的には俺は脱がされた訳でも何かされた訳でもない。かなり気持ち悪い体験でしたけど、何かされた訳じゃない。だから自分でも、それで終われると思ってました。……でも終わらなかったんですよ。」

言葉にする事で気づく、自分の中の真実。
そう、最終的に特に何もされていない。
何もされていないのだ。
だからぶん殴って終われると思ってた。
元々、俺は性欲研究なんかやっているんだ。
あの程度、何でもない事だと思ってた。

「……すまない。本当にすまない事をした。俺を助けようとしたお前に、あんな無理強いを……。」

突然、堰を切ったように隊長が溜まりきったヘドロを吐き出した。
俺は面食らってそれを制止する。

「ストップ!ストップ!!まだそこに行くな!!こっちの準備が出来てない!!吐きそうになるから、まだその部分の話はやめてくれ!!」

「すまない……。」

いきなり核心に触れられ、フラッシュバックが起きそうになるのを堪え、嘔吐きそうになる口元を押さえる。

しかし、だ……。

目の前の隊長の様子がおかしい。
何か、俺が死ねって言ったら自決しそうに見えた。

むしろ、それを待っているようにすら見える。

なんかそういう事なんだなと急にわかった。
この人は死刑宣告が欲しくて俺を呼んだんだ。

……………………………………。

あ~!!
面倒くせぇ~っ!!

俺はガシガシと頭を掻いた。
そして規則正しくしゃんと座っていた姿勢を崩し、粗雑な体制になった。

「あ~っ!!面倒くせぇから!そういう顔やめてくれ!クソ辛気臭い!!」

思わず口汚くそう言う。
隊長は少し驚いたのか、一瞬、顔を上げて俺を見た。
でもすぐにどんよりと俯いた。

「……すまない。」

「だから!辛気臭いのやめろよ?!あのな!これは俺の問題なんだよ!!あんたが関係ないとは言わない。後、許せるか許せないかで言ったら許せない。少なくとも今は許せない。」

「…………。」

「俺だって別に平気だと思ったんだ。あの時は平気だと思ったんだ。だって性欲なんか研究で見慣れてるし、何がどうなってるのか大体は把握できるし。今更いくら巨根だからって血管ビクビクいわせて射精されたところで何とも思わねぇよって。襲った何だの言ったって男同士だし、俺は魔術使えるし、最終的には何もなかったし。……頭に来たからぶん殴って、それで終われると思ってたんだ。……でも、なのに……。なのに、終わらなかった!」

俺はここまで言って少し黙った。
吐き出し始めたら、後から後から、奥の方に突っ込んで見えなくしておいた感情まで、ズルズル、ズルズル連鎖反応で引き摺られて出てきてしまい、時間を置く必要があった。
自分の中にある血反吐臭い何かを落ち着かせる為に、少しの時間がいった。
大きく息を吸って、ふぅ、と吐き出す。

「……性欲は知ってる。だがそれは研究する対象物で、自分に向けられるものだなんて思いもしなかった。違うな……。研究や実験の時も、向けられる事は多少あった。でも間違いが起きた事はなかった。そうなったらどうすべきかも一応、考えてはいたし。……でも、研究で知っていたはずだけど、無関係なところから観察しているのと、それが自分に向けられたのでは全然違った。……あんな狂気じみた感情が自分に向けられる……そういう意味で自分自身が激しく求められるなんて、俺は考えた事もなかったんだよ……。」

俺の口から、自分の内側に押し殺してきた言葉がとめどなく溢れる。
隊長は黙っていた。
懺悔するように、ただ、黙って聞いていた。

「……あんたにわかるか?俺、性欲がないんだよ……。自分にない感情を……あれだけ猛り狂った熱量で求められる事がどう言うことか?……そう言ってもわかりにくいよな?性欲がないとか、ない相手に欲情する事がどういう事なのかも……。でもな、それをもしわかりやすく例えるなら、俺的には、あんたは性欲なんかまだ知らない幼子に激しく欲情し、無理強いしようとしたのと同じなんだよ……。」

言いながら、ああ、そういう事だと自分でも思った。
何でもない事だった。
この歳で、正常な機能を有していれば何でもない事だった。
ただ俺がそうではなかった。
だから自分でも理解できないほど、トラウマになってしまったんだ。
俺の言葉に、隊長は俯いて顔を覆った。

「……俺だって平気だと思った。見慣れてるから。でも、どんだけズブズブの性欲だって、端から見てるのと、自分が向けられるのじゃ違うんだよ……。それは俺自身もちゃんと理解してなかった部分だ。俺自身、平気だと思ったんだ……本当に……。」

段々苦しくなって喉が詰まる。
つっかえた呼吸が涙になって目から溢れた。

「……時間がたつごとに、言い様のない何かに付きまとわれる様になった。時間がたてば落ち着いてくると思ったら、逆だったんだよ。……時間がたてばたつほど……あの生々しい時間が背後からまとわりついてくるんだよ。……体が硬直して……あの時は逃げられたけど!逃げられないんだよ!!」

俺はどうしようもなくて叫んでいた。

怖い、気持ち悪い、生々しい、グロテスク、臭い、熱、狂気。

自分の精神に無理矢理入り込もうとするそれ。
性欲のない俺はそれらが理解できない。
困惑するのに逃げる手立てなく追い詰められる。
理解できないのにそれに精神が犯される。

ここまで来ると何だか言葉も出なくて、喉の奥が苦しくて、嗚咽を洩らしていた。

ああ、そうだよ。
平気なつもりでいた俺は、全く平気じゃなかったんだ。

体の中に溜まりに溜まってドス黒く渦巻いていた闇を吐き出した俺の頭はかえって冷静になり、ああ、俺は苦しかったんだな、平気だと思ってたけど、こんなにも苦しかったんだな、と、苦しんでいた自分を理解し和解した。

「……すまない……。」

隊長が俯いて顔を覆ったまま、そう呟いた。
だいぶ泣いて落ち着いてきた俺は、ぐずぐずの顔を袖で拭い、言った。

「安心しろよ、許さないから。俺はあんたを許さないから。少なくとも今は絶対に許さないから。俺があんたを許せないのは、あんたが俺の信頼を裏切った部分だ。」

ガスパーが教えてくれた。
俺がどうしてこんなに辛いかの理由を。

隊長を信じてたんだ。
だからあんな真似したんだ。
俺の事、わかってくれてると思ってたんだ。
似たような事に苦しんでるから助けたかったんだ。

なのに、隊長は自分の欲望に負けた。
俺の事なんか考えず、自分の欲望の捌け口にしようとしたんだ。

俺の信頼を裏切ったんだ。

他人だったら憎めばよかった。
ズタズタにして、死にたいと懇願するほど苦しめてやれば気が済んだのかもしれない。

「……すまない……本当に、すまない……。」

「あんたは俺の信頼を裏切った。俺はあんたに同情してた。俺が性欲がないことに苦しむように、あんたはイケなくて苦しんでるって。だから、手助けしようとした。なのにあんたはそれを踏みにじったんだ。だから許さないよ。」

「…………。」

「でも、それだけだ。あんたと俺の間にあるのは、それだけだ。他は俺の問題だ。あんたにどうこうできる事じゃない。他は俺が、俺自身で立ち向かって、俺自身で乗り越えなければならないことだ。あんたはしゃしゃり出てくるな。」

「……すまない。」

俺は言いたい事は言い切った。
それで元通りとは行かないけれど、蟠りはなくなった。
隊長を憎んでも良いんだと、許さなくていいんだと。
そう思えたら、随分楽になった。

吐き出しきって、やっと自分自身に余裕ができた。
大きくため息をついて隊長を見る。
相手を見れるだけ俺は正常に戻っていた。

そして言った。

「さっきから俺ばっか喋ってるけどさ?あんたの方は何も言わなくていいのか?俺、もう一度話し合おうって言われても、応じないぜ?この件はもう思い出したくないから。吐き出しちまいたい事があるなら、今、ここで吐き出せよ。」

「……すまない。」

「それはもう聞いた。」

相変わらずオウムの様に繰り返す隊長。
俺は少し面倒くさくなって、強めに促す。

「それはわかった。他は?」

そう言うと、隊長は一瞬だけ顔を上げた。
俺をチラ見して、考え込んだ。

「言いたい事は、今ここで吐き出せよ。俺もそうしたんだし。」

「……場違いな事でも?」

「言えばいいだろ?」

色々吐き出してしまった俺は強気にそう言った。
隊長はやはり躊躇いがちに俺をチラ見し、そして言った。


「……俺は……お前が好きだった……。」


ちょっと驚いた。
ここでそれを言うと思わなかった。

「………知ってる。」

でも、わざわざこの場でそれを伝えなければならないほど、本腰入れて俺に好意があったとは思ってなかった。
あんな真似をしたんだし、王子の身代わり程度なんだと思ってた。
でも、もう二度と俺と普通に話す事がなくなりかねない最後の会話で、隊長は他でもなくそれを俺に伝えようとした。

俺はその意味を測ろうとして、やめた。

もう俺達はあまり関わるべきじゃない。
そう思った。

「すまなかった。」

「いいさ。多分、俺は暫くはあんたを許せない。」

「……わかってる。」

「俺はあんたを許すことは出来ない。だから……。」

隊長は俺の次の言葉を待っていた。
多分、それが聞きたくて、彼は瀕死の身を引き摺って俺に会ったのだ。

俺は一度目を閉じ、そして真っ直ぐに隊長を見つめて言った。


「あんたはありがたく、俺に許されないって事を背負って生きろ。」


その言葉に、ビクッと隊長の肩が震えた。
そして苦しげに静かに息を吐いた。

俺にはわかっていた。
これはきっと、隊長の望んでいた答えじゃない。

わかっていて、それより辛いものを隊長に手渡した。

それが俺が隊長に望んだ事。
俺なりの復讐だ。


「……わかった。」


隊長はただ、そう返事をした。
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