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真実 1
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「嫌いになんかならないですよ。美和さんにはいつも助けてもらっていますし……」
家からあまり出ることがない私にとって、美和さんは唯一の話し相手だった。
孝介と結婚してから、同性の友達とは連絡も取らなくなり、疎遠になってしまったから。
彼女と普通のことを話す時間が、私にとっても気分転換になっていた。
「良かった。美月さんとはずっと仲良くしていきたいと思っています。だから、もし何か気に障ることがあったら何でも話してくださいね。雇い主さんとただの家政婦との関係かもしれないけど」
美和さんの気持ちが嬉しい。
私は何の疑いもなく
「はい。ありがとうございます」
返事をした。
しかしその刹那ーー。
「美月さんって本当に羨ましいです。あんな優しくて頼りになる旦那さんがいて。私は結婚どころかまだ彼氏もいないから。孝介さんみたいな人が旦那さんだったら良いなって。思っちゃいます」
本当の孝介がどんな人か知らないから、そんなことが言えるんだろう。
ここで孝介を否定するようなことを言ってはいけない気がする。
「そんな。孝介も美和さんにそんなことを言われたらきっと喜びますよ」
無難な返答をするしかない。
さっき<ずっと仲良くしていきたい>って言ってくれたけど、羨ましいって伝えてくれた美和さんの目は笑っていなかった。
どこか鋭くてーー。
私は怖いとさえ感じてしまった。
美和さんが帰って、孝介と二人きりになった。
もう一度孝介に「働きたい」と伝えよう。
タイミングを見計らっていた。
孝介は自分の部屋にいる。
何をしてるかわからない。
夕食後、お酒が入っている時に話をしよう。
美和さんが作ってくれた夕食をただ温め、テーブルに並べる。
孝介の部屋をノックし
「夕ご飯だよ」
声をかけるも返事がない。
ただ扉の向こうで物音がしたから、リビングへ来るだろう。
しばらくすると彼が部屋から出てきて、イスに座った。
「お酒は飲みますか?」
「ビール」
「はい」
ビールをグラスに注いで彼の前に出すと、それを彼は勢いよく飲んだ。
「はぁ。一日休んだだけだと、休んだ気にならないな。明日も仕事だし」
美和さんが作ってくれた料理を食べながら彼がポツリ呟いた。
明日は仕事なんだ。良かった。
「そうなんだ。お疲れ様です」
いつ伝えよう。
ドキドキしていた。
ただ「働きたい」と夫に伝えるだけなのに、こんなにも緊張してしまう。
食が進まない。
「ご馳走様」
孝介が食事を終え、席を立つ。
「孝介。ちょっと話があるの」
彼を引き止める。
「なに?疲れてるんだから早く言って」
怪訝そうな顔。
彼に聞こえないように一呼吸した後
「私、働きたいの。家事は……。ほとんど美和さんがやってくれるし。もちろん、パートとかで良いから。何か、私にできることをしたくて……」
孝介の目を見ることができなかった。
どんな反応が返ってくるだろう。
彼の顔を見ようとした時――。
バシッと音がし、同時に頬に痛みを感じた。
その衝動で顔が自然と右を向いた。
えっ……。
今、殴られた?
その衝撃に驚いていると
「ふざけるなよ!自分の立場をわきまえろ!前にもこの話はしたよな?お前がパートなんかして、それを知り合いに見られたらどうするんだよ!九条家の嫁が働いてるって、貧乏だと思われるだろうが!会社のイメージだって悪くなるし……。親父にも迷惑がかかる。俺が不自由な生活をさせてるって勘違いされるだろ!」
リビングに響き渡る声で怒鳴られた。
もし反抗したら、また殴られるのかな。
「ご……めんなさい」
昔のような言い返せる強い自分にはなれない。
「二度と同じ話をするなよ。バカが。なんでこんな女と結婚したんだろうな」
捨て台詞のように吐き捨て、孝介は自分の部屋に戻って行った。
殴ったことは、何とも思わないの。
やりすぎたとか、感じないの?
孝介がその場からいなくなり、段々と痛みが増す。
頬に触れてみる。熱い。
口の中、切れたのかな。血の味がした。
暴言は言われたことがあるけど、暴力は初めてだ。
これってDVってやつ……?だよ……ね。
私は呆然と立ち尽くしていると、孝介が部屋から出てきた。
ボストンバッグを持っている。
彼は無言で玄関へ向かった。
「どこに行くの?」
「気分転換。実家に帰る。今日は実家に泊って、明日は実家から出勤するから。明日は会議で遅くなるし、明後日の朝には帰る」
私の顔一つ見ないで、彼はスタスタと歩き、靴を履き始めた。
私のさっきの言動が原因で実家に帰るってこと?
そんなに悪いこと、私、言った?
ここはもう一度謝って、引き止めた方が良いの?
グルグルと頭の中で何が最善なのかを考える。
「孝介、ごめんなさい。あなたの立場を考えられなくて。謝るから」
彼の背中に伝えるも、振り返ることなく玄関の扉が<ガチャン>と音を立て、閉まった。
力が抜けて、その場にストンと座り込む。
しばらく動けなかった。
孝介から連絡がなく、次の日を迎えた。
鏡で自分の顔を見てみると、腫れていた。触れると痛い。
今日は特に何もすることがない。孝介も明日まで帰ってこないと言っていた。お昼を過ぎても家政婦さんがこないということは、本当に帰ってくる気はないのだろう。
どうしよう。
義母さんには一応、謝っておいた方が良いよね。
謝るのなんて嫌だけど、私のお母さんに直接嫌味とか言いそうだ。
深呼吸をして、義母へ電話をする。
<もしもし?>
「あっ。申し訳ございません。今、お時間大丈夫ですか?」
<ええ。大丈夫よ。どうしたの?>
声からして、義母の機嫌は至って普通そうだった。
「申し訳ございません。孝介さん、昨日そちらに帰られましたよね?」
<孝介?帰って来ていないけど……>
えっ?実家に帰るって言ってたのに。
ビジネスホテルとかにでも泊ったのかな。
<孝介がどうかしたの?>
「いや。あの……。私が孝介さんの気持ちに寄り添うことができなくて。ケンカのような形になってしまい……」
余計なことを言ったら、また怒鳴られる。
<夫婦ケンカをしたってこと?あなたもいい加減、一流企業の妻として自覚を持ったらどうなの?夫を立てることができなさすぎるのよ>
義母さんの愚痴はさらに続いた。
申し訳ございませんと何度謝ったことだろう。
内容は頭に入ってこなかった。
孝介が出勤していなかったら私に連絡が来るだろう。
普通に仕事しているんだろうな。どこかに泊ったんだ、きっと。
お金は持っているはずだから。
ふぅと溜め息をつく。
孝介、私のことがそんなにも不快なら、離婚してくれればいいのに。喜んで受け容れるけどな。
ソファに倒れ込み、何もやる気が起こらなくてずっと天井を見つめていた時だった。スマホが鳴っている。
電話?
着信相手を見ると――。
家からあまり出ることがない私にとって、美和さんは唯一の話し相手だった。
孝介と結婚してから、同性の友達とは連絡も取らなくなり、疎遠になってしまったから。
彼女と普通のことを話す時間が、私にとっても気分転換になっていた。
「良かった。美月さんとはずっと仲良くしていきたいと思っています。だから、もし何か気に障ることがあったら何でも話してくださいね。雇い主さんとただの家政婦との関係かもしれないけど」
美和さんの気持ちが嬉しい。
私は何の疑いもなく
「はい。ありがとうございます」
返事をした。
しかしその刹那ーー。
「美月さんって本当に羨ましいです。あんな優しくて頼りになる旦那さんがいて。私は結婚どころかまだ彼氏もいないから。孝介さんみたいな人が旦那さんだったら良いなって。思っちゃいます」
本当の孝介がどんな人か知らないから、そんなことが言えるんだろう。
ここで孝介を否定するようなことを言ってはいけない気がする。
「そんな。孝介も美和さんにそんなことを言われたらきっと喜びますよ」
無難な返答をするしかない。
さっき<ずっと仲良くしていきたい>って言ってくれたけど、羨ましいって伝えてくれた美和さんの目は笑っていなかった。
どこか鋭くてーー。
私は怖いとさえ感じてしまった。
美和さんが帰って、孝介と二人きりになった。
もう一度孝介に「働きたい」と伝えよう。
タイミングを見計らっていた。
孝介は自分の部屋にいる。
何をしてるかわからない。
夕食後、お酒が入っている時に話をしよう。
美和さんが作ってくれた夕食をただ温め、テーブルに並べる。
孝介の部屋をノックし
「夕ご飯だよ」
声をかけるも返事がない。
ただ扉の向こうで物音がしたから、リビングへ来るだろう。
しばらくすると彼が部屋から出てきて、イスに座った。
「お酒は飲みますか?」
「ビール」
「はい」
ビールをグラスに注いで彼の前に出すと、それを彼は勢いよく飲んだ。
「はぁ。一日休んだだけだと、休んだ気にならないな。明日も仕事だし」
美和さんが作ってくれた料理を食べながら彼がポツリ呟いた。
明日は仕事なんだ。良かった。
「そうなんだ。お疲れ様です」
いつ伝えよう。
ドキドキしていた。
ただ「働きたい」と夫に伝えるだけなのに、こんなにも緊張してしまう。
食が進まない。
「ご馳走様」
孝介が食事を終え、席を立つ。
「孝介。ちょっと話があるの」
彼を引き止める。
「なに?疲れてるんだから早く言って」
怪訝そうな顔。
彼に聞こえないように一呼吸した後
「私、働きたいの。家事は……。ほとんど美和さんがやってくれるし。もちろん、パートとかで良いから。何か、私にできることをしたくて……」
孝介の目を見ることができなかった。
どんな反応が返ってくるだろう。
彼の顔を見ようとした時――。
バシッと音がし、同時に頬に痛みを感じた。
その衝動で顔が自然と右を向いた。
えっ……。
今、殴られた?
その衝撃に驚いていると
「ふざけるなよ!自分の立場をわきまえろ!前にもこの話はしたよな?お前がパートなんかして、それを知り合いに見られたらどうするんだよ!九条家の嫁が働いてるって、貧乏だと思われるだろうが!会社のイメージだって悪くなるし……。親父にも迷惑がかかる。俺が不自由な生活をさせてるって勘違いされるだろ!」
リビングに響き渡る声で怒鳴られた。
もし反抗したら、また殴られるのかな。
「ご……めんなさい」
昔のような言い返せる強い自分にはなれない。
「二度と同じ話をするなよ。バカが。なんでこんな女と結婚したんだろうな」
捨て台詞のように吐き捨て、孝介は自分の部屋に戻って行った。
殴ったことは、何とも思わないの。
やりすぎたとか、感じないの?
孝介がその場からいなくなり、段々と痛みが増す。
頬に触れてみる。熱い。
口の中、切れたのかな。血の味がした。
暴言は言われたことがあるけど、暴力は初めてだ。
これってDVってやつ……?だよ……ね。
私は呆然と立ち尽くしていると、孝介が部屋から出てきた。
ボストンバッグを持っている。
彼は無言で玄関へ向かった。
「どこに行くの?」
「気分転換。実家に帰る。今日は実家に泊って、明日は実家から出勤するから。明日は会議で遅くなるし、明後日の朝には帰る」
私の顔一つ見ないで、彼はスタスタと歩き、靴を履き始めた。
私のさっきの言動が原因で実家に帰るってこと?
そんなに悪いこと、私、言った?
ここはもう一度謝って、引き止めた方が良いの?
グルグルと頭の中で何が最善なのかを考える。
「孝介、ごめんなさい。あなたの立場を考えられなくて。謝るから」
彼の背中に伝えるも、振り返ることなく玄関の扉が<ガチャン>と音を立て、閉まった。
力が抜けて、その場にストンと座り込む。
しばらく動けなかった。
孝介から連絡がなく、次の日を迎えた。
鏡で自分の顔を見てみると、腫れていた。触れると痛い。
今日は特に何もすることがない。孝介も明日まで帰ってこないと言っていた。お昼を過ぎても家政婦さんがこないということは、本当に帰ってくる気はないのだろう。
どうしよう。
義母さんには一応、謝っておいた方が良いよね。
謝るのなんて嫌だけど、私のお母さんに直接嫌味とか言いそうだ。
深呼吸をして、義母へ電話をする。
<もしもし?>
「あっ。申し訳ございません。今、お時間大丈夫ですか?」
<ええ。大丈夫よ。どうしたの?>
声からして、義母の機嫌は至って普通そうだった。
「申し訳ございません。孝介さん、昨日そちらに帰られましたよね?」
<孝介?帰って来ていないけど……>
えっ?実家に帰るって言ってたのに。
ビジネスホテルとかにでも泊ったのかな。
<孝介がどうかしたの?>
「いや。あの……。私が孝介さんの気持ちに寄り添うことができなくて。ケンカのような形になってしまい……」
余計なことを言ったら、また怒鳴られる。
<夫婦ケンカをしたってこと?あなたもいい加減、一流企業の妻として自覚を持ったらどうなの?夫を立てることができなさすぎるのよ>
義母さんの愚痴はさらに続いた。
申し訳ございませんと何度謝ったことだろう。
内容は頭に入ってこなかった。
孝介が出勤していなかったら私に連絡が来るだろう。
普通に仕事しているんだろうな。どこかに泊ったんだ、きっと。
お金は持っているはずだから。
ふぅと溜め息をつく。
孝介、私のことがそんなにも不快なら、離婚してくれればいいのに。喜んで受け容れるけどな。
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