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エインズワース辺境伯

花のような

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ラウルは日常の訓練や執務をこなす中で、時々ヴィクトルが報告していた女性のことは頭に入れてはいたが、城の中庭のベンチに座っている金髪の女を見かけた時、首をかしげて足を止めた。

ちょうどそこに通りかかった訓練兵の一人を捕まえて、あれは誰かと問うた。



「あ、あの人は、トレドの落石で怪我をされて城内で療養中の方です。記憶が戻らないようで、ここで騎士の方々の監視のもと過ごしているようです」



はきはきと答えたことに、ラウルももう落石事故から2週間ほど経っているなと思い出していた。



「すごく綺麗な人ですよね。今日は誰もいないのかな…あ、ほら、やっぱり」



訓練兵が突然指をさすのでその方向を見ると、騎士の一人であるドミニクがやってくるところだった。



「世話役は騎士の、しかも、上位騎士しかできないんですよ。みんな、あの人を狙ってて。俺も話くらいしたいのに。食事も食堂じゃなくて、部屋でしてるんです。しかも、世話役の人と。閣下、みんなずるいです」



恨めしそうに言う訓練兵の言葉に、ラウルは大きなため息をつき、ぽりぽりと頭をかいた。



「そうか、わかった。訓練に戻れ」



ドミニクが普段は見せないようなにやけた顔でその女の隣に座り、何かを熱心に話している。

女はそれを笑顔で聞いているようだった。



ラウルは、間諜ならばヴィクトルが必ず報告するだろうとは思っていたが、あれほどまでに騎士達を骨抜きにしてしまうならば、見誤るかもしれないと考え直し始めていた。



執務室に戻り、補佐官の一人のジャンにトレドの落石に関する報告書を全て持ってくるように指示し、訓練に出ているヴィクトルを呼び戻した。

補佐官二人を机の前に立たせて、その報告書に目を通す。



「落石撤去は迅速に行われたことは覚えている。御者も身元がわからず、共同墓地に埋葬したのも記憶にある。それで、この負傷した女のことはどうなってる」



ラウルの質問にヴィクトルが姿勢を正して応える。



「左脚の骨折と左腕の裂傷以外は特にありませんでした。ただ、衝撃で意識を失ったので、頭を打ったのかもしれません。名前も身分も、出身もわかりません。身なりからして良家の人だろうと思ってたんですが、この前報告書にも書きましたけど、所持品に結構な数の宝石があったんですよ。でも、それ以外はなんていうか遠出するような荷物は何もなくて。だから、近隣の村の住民か、バルク国から入ってきて、帰るところだったかもしれないです」



「その宝石が盗品の可能性はないのか」



「鑑定にも出しました。でも、相当価値のあるものみたいで、まずこの辺では手に入らないと言われました」



「遠出するような装いではないのに、この辺では手に入らない宝石…」



「男に貢がせたのかもしれないですね!美人ですから!」



「おまえは…」



ラウルがこめかみを抑えると、ジャンがおずおずと発言した。



「で、でも、彼女はそういう人じゃないと思います。受け答えも丁寧だし、いつも笑顔でありがとうって言ってくれるし」



「おまえも世話に行ってるのか?」



「あ、1日交代制から、1日3人交代制になったんですよ。1日交代だと、順番回ってくるまで何日もかかるじゃないですか。だから、食事ごとに世話役が変わるようにしました」



「何をやっているんだ、おまえたちは」



普段控えめなジャンの意外な発言に驚いたラウルに、ヴィクトルが補足を入れ、その内容にラウルは眉をしかめた。



「あの人は綺麗なだけじゃないんです。彼女、薬にも詳しいんです」



「薬?」



「あ、そうなんですよ。あの人の脚の包帯を変える時に薬草を塗るんですけど、それをすり鉢で混ぜるのとか上手です。薬草の名前もよく知っていて、ケヴィンが舌を巻くほどです。あ、ケヴィンが怪我が治って、行く当てがないなら、救護室の薬草師として働いてほしいって言ってました」



普段、寡黙で唐変木とまで言われる救護室で勤務している医師のケヴィンまでたらしこまれたのか…とラウルはこめかみをおさえた。



「でも、たぶん、行く当てがないどころか、怪我が治ったら、みんな求婚すると思いますけどね」



「…ヴィクトルさんも、するんでしょう…?」



「え、俺?まぁ、すると思うけど。へぇ…ジャンがねぇ…」



机の前で微妙な空気のまま黙って向き合うヴィクトルとジャンを見て、ラウルは両目を閉じた。



このままでは、いかんな…



この問題を放置していた自分の責任でもあると思い直したラウルは、その女の部屋に行くことにした。

救護室の隣にある、簡素な部屋が割り当てられているそうだ。



「本当に一人で行かれるんですか?そんな巨漢で、その部屋入ったら、圧迫感で彼女倒れませんかね?」



後ろでぶつぶつと文句を垂れているヴィクトルを一瞥して、ラウルはドアをノックした。



「はい」



ラウルは、その透き通るような声に図らずもはっと息をのんだ。



「ラウル・エインズワース辺境伯だ」



咄嗟に気合を入れ直したために、いつもよりも声色が更にいかめしくなってしまった。



「ただいま開けますので、お待ちください」



コツコツと松葉杖をつく音がして、ドアが開いた。

ラウルの胸ほどしか背丈がない女性がそこにいた。その女性もラウルの大きさに驚いたようで、慌てて視線を上げた。

空を映したような瞳がラウルをまっすぐに見上げていた。



「いくつか聞きたいことがある」



「どうぞ、お入りください」



「俺、ドアの前にいるんで、ドアも完全には閉めませんから安心してください」



「ありがとうございます、ヴィクトル様」



「いえいえ~」



ひらひらと手を振るヴィクトルに、頭を下げて、その女は松葉杖をつきながら部屋の中を進む。部屋と言っても、救護の必要がある人間が入る部屋であるので、基本的にベッドと椅子くらいしかない。

だが、この部屋にはテーブルともう1つの椅子が持ち込まれていた。恐らく、ここで騎士と食事をするときに使用するのだろう。

その1つに座るように促すと、女はそこに座り、俺も椅子にかけた。



「ご挨拶が遅れまして大変申し訳ございません。この度はお助けくださいましてありがとうございました」



「いや、直接助けたのは騎士達だ。礼には及ばない」



「ですが、このように手厚い看護をしてくださるようご指示くださいました。ありがとうございます。身元も知れない厄介者ですのに」



背筋を伸ばし、両手を軽く脚の上に重ね、化粧もしていないのにきめ細やかな肌、伏し目がちにそらされる視線。礼儀正しい言葉遣いに、謙遜した態度。



これは、ほだされても仕方がないか…



辺境の地は女っけがとにかく少ない。商売女は多くいるが、それは別物だ。



「記憶がまだ戻らないと聞いた」



「…はい。申し訳ございません」



「謝ることではないが…名前も何も思い出せないのか?」



「はい。ここでの景色も見覚えもないようで、何かを思い出すことが少しもなくて…」



「そうか…」



ラウルはため息をついた。



「怪我が治りましたら、どこか城外で働けるところを見つけたいと思っています。私が城の中にいると、大切な情報を盗るかもしれないとお考えなのではないですか?」



「…記憶がないというのも疑わなければならないからな、どうしても」



「はい、それは当然のことと思います。ですから、城の外でせめて記憶が戻るまで働かせていただけませんか?」



「いや、それもそれで監視の目がな…」



「そうですね、誰かを勝手に引き入れるかもしれないですものね…」



次々とラウルの心のうちを読むような返答に閉口してしまう。

そこで突然、少し開いていたドアがばーんっと開け放たれた。



「ですから!救護室の薬草師として働いてくださいと、何度も言っているでしょう?!」



医師のケヴィンが入ってくるのと同時に叫んだ。



「閣下、ここでなら俺達の監視の元で過ごせますから、大丈夫です」



「そうしましょうよ~閣下~」



許可もしれないのに、ドアの前に控えていたはずのヴィクトルまで入ってきた。

ただでさえ小さい部屋が、男が3人いてはとても狭苦しい。



「それか、監視目的ででも誰かと結婚させちゃいます?」



ヴィクトルの提案に、その女のほうが目を丸くした。驚きすぎて言葉もないようだ。



「しかし、もう結婚しているかもしれないだろう?その男が探しにきたらどう釈明するんだ」



「はぁ~、まぁ、あり得ますよね。こんな美人なら、結婚してないはずないですもんね」



「閣下、うちに人手が足りないのご存知でしょう?一から育てるために見習いも入れてもらってますけど、衝突があっちこっちで起きるせいで足りないんですよ。本当は南の砦にも常時薬草師も配備したいんですから」



ケヴィンの言葉にラウルは顎に手を当てた。確かに慢性的に救護に割く人員は足りていない。非常時は領民の女たちが率先してやってくれているが、それも素人のできる手当以上のことは無理だ。

もうすぐ冬がきて、感染症も広がりやすくなる。



「…わかった。怪我はあとどれくらいで治るんだ」



「恐らく、あと2週間もしたら骨はひっつきますよ。歩くのに支障がないように訓練は必要でしょうけど」



「それまではここで見ろ。その後はケヴィンの元で働け」



「よろしいのですか?」



「あぁ、ケヴィンも一応騎士ではあるしな。ヴィクトル、3交代制はやめろ。食事も食堂でとれ」



「えーー、俺達の楽しみを奪わないでくださいよぉ」



「腑抜けた声を出すな。それから、暫定的はあるが、名前を決めてほしい。呼びにくくてならん」



そう言って女を見たが、きょとんと俺を見返すだけだった。



「そうですねぇ。お花みたいな人なんで、フローラさんってのはどうですか?」



「フローラ?」



「そうです。みんな、あなたのおかげで笑顔になりますから」



「余計なことはどうでもいい。じゃあ、とりあえず、フローラとする。名前を思い出したら、その時は言ってくれ」



「はい、かしこまりました」



困ったような顔をした後に、小さく笑ったのを、じっと見てしまった。



この日から、フローラという女性がエインズワース辺境領に存在することになった。
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