悪役王子に転生したので推しを幸せにします

あじ/Jio

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第6章:触れたくて、すこし怖い

レーヴ陛下side:虚像

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 会議を終えて執務室へ戻ると、ソファに腰かけた宰相が紅茶を飲みながら出迎えてくれた。

「お戻りになりましたか。お疲れでしょう、一緒に休憩でもどうです?」
「……いいや。残りの仕事を片付ける」

 まるで自分の部屋でくつろぐかのように。
 陰気な顔に似合わず、優雅に紅茶の匂いを楽しんでいる宰相を横目に、レーヴ陛下は窓辺にある仕事机へと戻る。

 宰相であるにもかかわらず砕けた態度でいるのは、彼が父親代わりといっても過言ではない存在だからだ。
 考えることを放棄して快楽に逃れた父親に、一族の利益や己の自尊心を満たしてばかりいる母親。
 そんな両親のもとで育ったため、かろうじて持ち合わせている善意とは、宰相から譲り受けたものだった。

 書類を手に、遠い記憶を思い返していた時。
 侍従が慌てた様子で部屋に入ってきた。
 何事かと眉間にしわを寄せると、侍従は額に浮かぶ汗を拭うこともせずに言った。

「皇太后がこちらに向かっております……!」
「……そうか」
 
 貴族共の相手をしたら、今度は親玉の登場ときた。

 レーヴ陛下は小さく溜息を零すと、宰相と侍従に下がるよう告げる。
 そうして2人が部屋を出てすぐ、入れ替わるように華やかな装いの皇太后がやってきた。

「久しいな」
「お元気そうで何よりです。本日はどのようなご用件でしょう」
「息子に会いに来るのに理由が必要か?」
「では、なにも要件がないなか、わざわざ城まで足を運んだと?」

 レーヴ陛下の冷めた返答に、自分を母だと言う女の表情からが笑みが消える。
 眦の吊り上がった不機嫌な表情を見て不思議としっくりきた。

 (こっちの方が見慣れているからか、むしろ安心感さえ覚えるな)

 とうてい母親に対して抱くべき印象とはかけ離れた感想。
 要件を聞いて早急に目の前から消えて貰おうと考えると、タイミングよく皇太后が口を開く。

「あの獣人王子を襲った馬鹿な貴族の処遇についてだ。なにやら極刑にするらしいが、由緒ある貴族に対してふさわしくないのではないか?」

 しかし、聞こえてきた内容に耳を疑わずにはいられなかった。

「……あの者は賓客である王族に無礼な真似をしました。それなのに温情をかけろとおっしゃりたいのですか」
「たかだが子もできぬ男を魔が差して襲った程度。それも未遂だったというではないか。なのに極刑などにすれば帝国が嘗められてしまう」

 いったいどこから突っ込めばいいのか。常識が通じない相手に頭が痛くなってきた。

 そもそも帝国では王族に無礼をはたらいた者の首を、その場で撥ねても許される。
 そのことを引きあいに出した時、乾いた音と共に、頬に鋭い痛みが走った。

 皇太后が手に持っていた、閉じた状態の扇子で、レーヴ陛下の頬を打ったのだ。
 
「獣と我らを同列に語るとは……っ」

 皇太后は酷く怒り、興奮が収まるまで何度もレーヴ陛下の頬を打った。
 痛みに重なり、過去の記憶がよみがえる。
 希望もなにもない、ただ時間が過ぎることばかりを願ってばかりいた過去。
 直立不動で立ち竦む幼いころの自分を、何度も何度も打つ冷たい眼差しの女の姿。
 母という肩書だけを持つ女は、満足がいく結果を出せない息子を折檻しながら、飽きるほど言っていた。
 ——皇族としての責任を果たせ、と。
 
「皇太后」

 気づけば扇子を持つ手首を鷲掴み、皇太后を見下ろしていた。
 発した声音が耳に届いて初めて、そのゾッとするような冷たさに気づく。
 皇太后は自分を見下ろす息子の姿に、怯えたような表情を見せたが、すぐに平常心を取り繕うと手を払った。

「母の手首をつかむなど生意気なっ。口ごたえをせずに私の言う通りにすればいいものを。責任を果たすことがお前の役目であることを忘れたか!?」
 
 血走った目でこちらを睨みつける姿のなんと醜いことか。
 皇太后を前にすると酷く息苦しい。どろどろとした何かが胸に込み上げてきて、理性をもって押し殺すのに苦労を強いる。
 今すぐ皇太后を切り捨ててしまいたい思いと、一方では冷静にこの状況を整理していた。

 なぜ、たかが伯爵ていどの男を気にかけるのかと。
 確かに王子を襲った伯爵は、ズロー侯爵が可愛がっていた男ではあるが、それだけでは理由が弱い。
 
「なにも罪に問うなと言っているのではない。斬首ではなく、鉱山奴隷にするのが適切ではないか?」
「……わかりました。あの貴族の処罰は皇太后の言う通り、極刑ではなく鉱山奴隷とします」
「良い判断だ」
「ですが、あの貴族がどんな小さな無礼であれ、王子を不愉快にさせた場合は、その場で殺しても構わないと告げるつもりです。なによりこの件は、王子の許可を得ないことには判断しかねます」
「ふっ。噂通りの王子であれば、説得することは十分に可能であろう? なにせ、私が愛するたった一人の息子は、この程度のことはできて当然」

 皇太后は気を良くしたのか、王子に対して嘲たような笑みを浮かべた。
 レーヴ陛下はガラス玉のような目で、「愛する」と口にした皇太后の横顔を見つめる。
 
「……先ほどから口が過ぎます。まず、王子は我々の依頼で帝国に来ているため最低限でも礼儀をわきまえるべきかと。そして、なにより貴方はたかが皇太后であり、私が皇帝であることを忘れましたか?」
「っ⁈」

 侮辱された皇太后が、目を見開く。
 そして、またしても大きく右手を振り上げて、レーヴ陛下の頬を打とうとした。
 しかし、レーヴ陛下は扇子を掴み、皇太后から奪いあげる。
 取り上げられた扇子は片手でいとも容易く真っ二つに折り曲げられると、最後は無情に床へと落ちた。
 突然のことに言葉を失った皇太后へ距離を詰めると、レーヴ陛下は確かな殺気を纏い告げた。
 
「貴女がまだ皇族でありたいのなら、帝国の名に恥じぬよう品位を保っていただきたい」
「この、生意気な——」
「衛兵。皇太后がお帰りになる。道中に危険がないよう丁重にもてなせ」

 半ば引きずられるようにして部屋を去っていく皇太后の背を見つめながら、戻ってきた宰相へと指示を出した。

「あの女に監視をつけろ。それから王子に接近した場合は直ちに報告を」
「承知いたしました」

 ジンジンと頬の痛みが増すのと同時に、過去の仄暗い記憶が迫ってくるかのようだった。
 まるで真っ暗闇から裾のように伸びてくる手が、心臓をひねり潰そうとでもするかのようで……
 滑稽だった。今は立場も力も全て皇太后より遥かに持っている。
 なのに、幼い頃に植え付けられた恐怖や、「責任」という言葉が、思考力を鈍らせるのだから。

「陛下。血が出ておりますよ。宮廷医を来るまでこちらにお座りください」
「……いや、呼ぶ必要はない。傷の手当てをしてもらうついでに、外の風にあたってくる。そなたは気にせず紅茶でも飲み直していればいい」

 レーヴ陛下は頬を伝う血を拭い、部屋を出た。
 ここに帰ってくる前までは確かに芽生えていた、どこか不思議な胸の温かさは消え去り、代わりに今、胸を占めているのは「愛」を利用してばかりいる偽善者達への嫌悪。
 自分とどこか似ている大公の変化に驚き、愛というものに興味が湧いたのは事実だが……

「私には不要なものだったか」

 人の考えはそう容易く変わるものでは無い。
 愛だの恋だの、そういうものはまるで違う世界に存在していて、レーヴ陛下にとっては虚像でしかなかった。
 そして自分もまた、嫌悪してきた偽善者と同じく、皇后を利用している人間なのだから。
 彼女の優しさや、大公のように誰かを想う姿を眩しく思う資格など、自分にはないのだ。
 
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