あの日、北京の街角で4 大連デイズ

ゆまは なお

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 孝弘は安宿に泊まるのは反対しなかったが、ドミトリーに泊まるのは却下した。

 多人房《トウレンファン》(ドミトリー)と呼ばれる5人部屋や10人部屋の空きはあったが、旅慣れていない祐樹の安全を考慮して、三人部屋を包房《バオファン》すると譲らなかったのだ。

 包房とは貸切るという意味だ。二人部屋の空きがなかったからそうなった。

 三人分の使用料を払って二人で使ったわけだが、よく考えたらせっかく旅行に来ているのに、ずっと二人きりになれないのもつまらないから、ちょうどよかったと祐樹は思った。

 それにドミトリーが男女別ではないことにも驚いた。カーテンもしきりもなく、広い部屋にベッドがいくつも置いてあるだけだ。そのベッドの上が自分のスペースで、その代り宿泊料金は格安だ。

 男女別の宿もあるが大部屋はだいたいこんな感じと孝弘に聞いて、それで包房したのかと祐樹は納得した。三人部屋を貸し切っても60元(約900円)と聞いて驚く。

 安宿には風呂はなく、それどころかお湯も出たり出なかったりだ。

 もうすぐ雪も降る寒さの大連とは大違いだと、頭ではわかっていたつもりなのに、実際行ってみて色々なことに驚いた。言語も食べ物も風景も何もかも祐樹の予想より大きく違った。

 満月に少し足りない月を眺めながら、日本の田舎みたいな風景の田んぼ道を散歩して、久しぶりに聞く蛙の鳴き声や虫の音に懐かしさを誘われたりもした。

 数日前に孝弘と眺めた少し足りなかった月はもうまるく満ちて、今夜は中秋節だ。ふとそれを思い出して無意識にため息をついた。

「どうした? やっぱり疲れた?」

 ぼんやりしている祐樹に孝弘が気遣う声を掛けた。4泊5日の旅行は確かに疲れたけれど、孝弘のアテンドでとても充実していた。

「ううん。そんなに疲れてないよ」
 首を横に振ったのに、孝弘はまだ眉をひそめている。

「そうか? 今日は早めに寝る?」
「違うよ。今日、中秋節だなって思っただけ」
 
 その返事に孝弘は一瞬、虚を突かれたような顔をした。

 二人にとって中秋節は特別な日だ。
 甘くて苦い記憶を刻んだ夜。

「中秋節、嫌いだったな」
 湯船でうつむいたまま祐樹はぽつんと呟いた。

 向い合せに座った孝弘の顔は見られなかった。なんでこんなこと言い出しちゃったんだろうと思う。さっきまで楽しく話していたのに、わざわざこんな話題を出すことはなかったのに。

 でも思ったのだ。
 5年前のあの夜の話をしなければと。今日、今夜のうちに。

 このまま夜を過ごして日常に紛れ込ませてしまうこともできるけど、それでは何となく収まりがつかないような、いつまでも小さな刺が刺さっているみたいな感じが残る気がした。

「どうして?」
 孝弘の声が穏やかで怒っていなかったので、続きを言った。

「毎年、孝弘を思い出した。忘れたいのに伝統祝日だから嫌でも思い出して、自分から遠ざけたのに悲しくなった」

 たった一度、これでお別れだからと言い訳して、孝弘と夜を過ごした。告白されて突き放したのに、もうこれで二度と会えないと思ったら手を伸ばさずにいられなかった。

 最初で最後だと知っていて、それでも孝弘との思い出が欲しくて、孝弘には黙って抱かれた。それが中秋節の夜だった。


「俺も毎年、祐樹を思い出したよ」

 孝弘の声に祐樹ははっとした。
 そうだ、孝弘のほうが祐樹の何倍も傷ついたはずだ。

 告白した相手と抱き合った翌日に、その相手は姿を消してしまったのだ。何も言わず、連絡先も残さずに。

 その事情と理由は東京の祐樹の部屋ですでに打明けてしまったけれど、だからと言って孝弘が傷ついた過去が消えたわけじゃない。祐樹が後悔を謝罪するより早く孝弘の声が届いた。

「でも俺は忘れたいと思ったことはなかったけどね」

 孝弘の声は穏やかで、当時のことはこだわっていないように聞こえたが、それがかえって祐樹の気持ちを沈ませた。そして同時に喜ぶ気持ちがあるのも感じた。


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