後宮の棘

香月みまり

文字の大きさ
98 / 189
第9章 使、命

第359話 夢か現実か

しおりを挟む
泰誠が医療所に出向くと、その男は簡易的な寝台の上に腰掛けて、手を挙げて応じた。

「おかえり、ごくろうさん」

近づいて労えば彼、隆蒼はいつもの乏しい表情で頷いた。

「待ってた」

愁傷な事を言うではないかと、思ったら彼は徐に立ち上がる。


確か脚を怪我していると聞いていたが、大丈夫なのか? と身構えるが、意外にも安定した様子に驚いた。
その彼の左手に杖代わりの棒があるのを見とめて納得する。


「今すぐここを出る手続きをしてくれ、こんな所に長く居たらそれこそ病になりそうだ」

心底うんざりしたように言われて、泰誠は苦笑する。

「もう動いて大丈夫なのか?」


「大丈夫だ、もう熱も下がった」

憮然と答える彼は、大した事ないという顔でそう言って、寝台に下げられている用紙を見せてよこす。

患者の治療過程が書かれているそれには、医師の欄には『脚を酷使しなければ、上官の判断にて』と書いてある。


泰誠が来るのを見越して医師に書かせたのだろう。用意周到な奴だ。

「どうせ書類仕事もあるのだろう? そのくらいはやれる。ここで腐っているよりマシだ」

「そりゃぁありがたい」

苦笑して、その用紙を受け取る。

「少し待ってろ」

そう言って医師のもとへ向かう。






結局、帰りは見舞いに行ったはずの怪我人を伴って戻る事になった。

今朝になり紫瑞側から和平交渉を持ちかけられ、現在我が軍はそれをのらくらと引き伸ばしている。

その間にも、物資の補給は怠る事はできないし、なんなら今まで戦に注視して後回しになっていた書類が溜まっている。

特務隊のものも例外でなく、決済担当者の奥方は現在安静中のため、まだ手がつけられていないのが実情だ。
このままどんどん溜まっていくと、安静が明けた頃には酷いことになりそうだ……。そう思いつつも泰誠自身、自身の総大将直轄部隊と、今まで翠玉が担っていた全軍の武器や兵糧などの物資の取りまとめの決済で手一杯で手が回らない。

早めに手を打たねばと思っていた所の隆蒼の申し出は、まさに渡りに船だった。


医師からは、日に一回の消毒には必ず出向く事と、立ち歩く事なく座ってできる仕事に従事する事を条件に医療所を出る事を許された。
ここまで戻るのにも自身の馬に乗って戻って来たというし、まぁ、大丈夫だろう。

「翠玉様はどうしておられる?」


杖を使いながら、ゆっくりと階段を上がる彼に付き合っていると、彼は現在の主の事を知りたがった。

「お元気だよ、お子も無事だ。念のため、安静指示が出ているから華南がついている」

「そうか……良かった。」


安心したらしく、頬を緩めた隆蒼だったが。少し物憂げな表情になる。


「華南に気持ちを伝えた。毒矢だったからもうダメかと思ってさ」

「は? えぇ!?」

彼の口から出てきた言葉に、驚愕した。
もう十数年、それこそ彼女が結婚しようとしても気持ちを伝える事の無かった男が……

「嘘だろ? 本当に!? ついにか!? で……返事は?」

焦って聞いてしまって、しまった! と思った。彼の浮かない表情で察するに、答えは……

「受け入れてもらえたよ……信じられん」

「そりゃぁ、残ね……え!?」

思いもかけない言葉に一瞬頭の整理が追いつかなかった。


なんだかんだで、最後は隆蒼の粘り勝ちでいつかはくっつくのだろうとは思ってはいたのだが、泰誠の予想ではお互いもっと熟年になってからと、勝手に思っていたのだ。

「良かったな……おめでとう」

そう言うと、彼は「あぁ」と頷いて……それでも表情は浮かない。


「多分結婚するって話にまでなったと思うのだが、熱で記憶が曖昧で、あまりに都合の良い話すぎて……実はあれ自体が夢だったのじゃないかと」

怖くなってきた……と言われて泰誠は頭を抱えたくなった。

「今度はお前達かよ」

ようやく一つ片付いたのに! と呟くと

「記憶が曖昧だなんて言えば、華南はすごく怒るだろうし……夢だったら気持ち悪いと思われかねない……」

「そうだな……」

まぁ気持ち悪いに関しては、昔から彼の気持ちは華南にバレバレだし、行く先々について回っているのだから今さらだとも思うのだが……。

「華南に、ちょっと探りを入れたらいいのか」

「頼む、すまないな」

申し訳ないと、愁傷に言われて。

もう少し医療所に顔を見にいくのを待っていた方が良かったと後悔した。




しかしそんな後悔も。階段を登り、本部に到着するまでの杞憂に過ぎなかった。


「あら、泰誠おかえりなさい。あら? 隆蒼、あんた医療所出てきたの?」

「隆蒼! もういいのか?」

本部に入れば、そこには卓に座って書類に囲まれる冬隼と、彼に茶を入れる華南の2人きりだった。


2人とも、隆蒼の姿を見て、大丈夫なのか? と眉を下げた。


「杖が有れば生活できますから。書類仕事くらいやれます。医療所で寝てるよりマシです」

そう隆蒼が説明すれば、2人とも「なるほど、まぁそうだよな」と納得している。

隆蒼が書類が山のように積み上げられた特務隊の卓に向かい、ため息を吐く。

「とりあえず、特務の書類を選別して、申請するものは申請書を作る。決済は翠玉様じゃなきゃ無理だからまとめて後日見てもらうとして……」


「あ、どこかに纏めておいてくれたら、持って行って決済してもらうわ。翠玉様も安静生活にうんざりし始めてるし、何かしている方が悪阻も楽みたいだから」

華南の言葉に、いいのか? と主人を見る。


「俺にも何か、やる事をくれって言ってたな……寝台から出ないなら、決済くらいならいいだろう」


どうやら、すでに強請られていたらしい。
仕方ない、と言う様子でため息をついていた。


「とりあえず華南は引き続き翠玉の警護と世話を頼む。隆蒼は特務の書類整理してくれ、無理はするなよ。護衛復帰は追々考える」


指示を出した主に2人が頷く。

華南が4人分の茶を盆に乗せて、それぞれの場所に置いて、自身は適当な椅子を引っ張り出して座った。

「あ、殿下ちょうどいいので言っときます。私と隆蒼、結婚するんで戻ったら家探したりしたいんですけど」


脚を組んだ彼女の口から事もなげに出てきた言葉に、泰誠と隆蒼は固まった。


「あぁ……翠玉から聞いている。めでたい事だ。今日の午後、都に定時連絡を送るからついでに家の者に良さそうな屋敷を手するよう指示しておこう」

「助かります」

主と華南は淡々としたもので、どんどん話が進んでいく。



隆蒼と視線を合わせると……彼はほっとしたらしく、口角を上げて頷いた。



「それで、私たちの今後なんですけど……ちょっとご相談させていただいてもよろしいですか?」

その後に続いた華南の言葉に、その場にいた男性全員が首を傾けた。


しおりを挟む
感想 260

あなたにおすすめの小説

夫が妹を第二夫人に迎えたので、英雄の妻の座を捨てます。

Nao*
恋愛
夫が英雄の称号を授かり、私は英雄の妻となった。 そして英雄は、何でも一つ願いを叶える事が出来る。 そんな夫が願ったのは、私の妹を第二夫人に迎えると言う信じられないものだった。 これまで夫の為に祈りを捧げて来たと言うのに、私は彼に手酷く裏切られたのだ──。 (1万字以上と少し長いので、短編集とは別にしてあります。)

【R18】純粋無垢なプリンセスは、婚礼した冷徹と噂される美麗国王に三日三晩の初夜で蕩かされるほど溺愛される

奏音 美都
恋愛
数々の困難を乗り越えて、ようやく誓約の儀を交わしたグレートブルタン国のプリンセスであるルチアとシュタート王国、国王のクロード。 けれど、それぞれの執務に追われ、誓約の儀から二ヶ月経っても夫婦の時間を過ごせずにいた。 そんなある日、ルチアの元にクロードから別邸への招待状が届けられる。そこで三日三晩の甘い蕩かされるような初夜を過ごしながら、クロードの過去を知ることになる。 2人の出会いを描いた作品はこちら 「純粋無垢なプリンセスを野盗から助け出したのは、冷徹と噂される美麗国王でした」https://www.alphapolis.co.jp/novel/702276663/443443630 2人の誓約の儀を描いた作品はこちら 「純粋無垢なプリンセスは、冷徹と噂される美麗国王と誓約の儀を結ぶ」 https://www.alphapolis.co.jp/novel/702276663/183445041

私が王子との結婚式の日に、妹に毒を盛られ、公衆の面前で辱められた。でも今、私は時を戻し、運命を変えに来た。

MayonakaTsuki
恋愛
王子との結婚式の日、私は最も信頼していた人物――自分の妹――に裏切られた。毒を盛られ、公開の場で辱められ、未来の王に拒絶され、私の人生は血と侮辱の中でそこで終わったかのように思えた。しかし、死が私を迎えたとき、不可能なことが起きた――私は同じ回廊で、祭壇の前で目を覚まし、あらゆる涙、嘘、そして一撃の記憶をそのまま覚えていた。今、二度目のチャンスを得た私は、ただ一つの使命を持つ――真実を突き止め、奪われたものを取り戻し、私を破滅させた者たちにその代償を払わせる。もはや、何も以前のままではない。何も許されない。

もう無理して私に笑いかけなくてもいいですよ?

冬馬亮
恋愛
公爵令嬢のエリーゼは、遅れて出席した夜会で、婚約者のオズワルドがエリーゼへの不満を口にするのを偶然耳にする。 オズワルドを愛していたエリーゼはひどくショックを受けるが、悩んだ末に婚約解消を決意する。 だが、喜んで受け入れると思っていたオズワルドが、なぜか婚約解消を拒否。関係の再構築を提案する。 その後、プレゼント攻撃や突撃訪問の日々が始まるが、オズワルドは別の令嬢をそばに置くようになり・・・ 「彼女は友人の妹で、なんとも思ってない。オレが好きなのはエリーゼだ」 「私みたいな女に無理して笑いかけるのも限界だって夜会で愚痴をこぼしてたじゃないですか。よかったですね、これでもう、無理して私に笑いかけなくてよくなりましたよ」

愛されないと吹っ切れたら騎士の旦那様が豹変しました

蜂蜜あやね
恋愛
隣国オデッセアから嫁いできたマリーは次期公爵レオンの妻となる。初夜は真っ暗闇の中で。 そしてその初夜以降レオンはマリーを1年半もの長い間抱くこともしなかった。 どんなに求めても無視され続ける日々についにマリーの糸はプツリと切れる。 離縁するならレオンの方から、私の方からは離縁は絶対にしない。負けたくない! 夫を諦めて吹っ切れた妻と妻のもう一つの姿に惹かれていく夫の遠回り恋愛(結婚)ストーリー ※本作には、性的行為やそれに準ずる描写、ならびに一部に性加害的・非合意的と受け取れる表現が含まれます。苦手な方はご注意ください。 ※ムーンライトノベルズでも投稿している同一作品です。

遡ったのは君だけじゃない。離縁状を置いて出ていった妻ーー始まりは、そこからだった。

沼野 花
恋愛
夫と子供たちに、選ばれなかったイネス。 すべてを愛人に奪われ、彼女は限界を迎え、屋敷を去る。 だが、その先に待っていたのは、救いではなかった。 イネスを襲った、取り返しのつかない出来事。 変わり果てた現実を前に、 夫はようやく、自分が何を失ったのかを思い知る。 深い後悔と悲しみに苛まれながら、 失ったイネスの心を取り戻そうとする夫。 しかし、彼女の心はすでに、外の世界へと向かっていた。 贖罪を背負いながらもイネスを求め続ける夫。 そして、母の心を知っていく子供たち。 イネスが求める愛とは、 そして、幸せとは――。

どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~

さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」 あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。 弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。 弟とは凄く仲が良いの! それはそれはものすごく‥‥‥ 「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」 そんな関係のあたしたち。 でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥ 「うそっ! お腹が出て来てる!?」 お姉ちゃんの秘密の悩みです。

王子を身籠りました

青の雀
恋愛
婚約者である王太子から、毒を盛って殺そうとした冤罪をかけられ収監されるが、その時すでに王太子の子供を身籠っていたセレンティー。 王太子に黙って、出産するも子供の容姿が王家特有の金髪金眼だった。 再び、王太子が毒を盛られ、死にかけた時、我が子と対面するが…というお話。

処理中です...
本作については削除予定があるため、新規のレンタルはできません。

このユーザをミュートしますか?

※ミュートすると該当ユーザの「小説・投稿漫画・感想・コメント」が非表示になります。ミュートしたことは相手にはわかりません。またいつでもミュート解除できます。
※一部ミュート対象外の箇所がございます。ミュートの対象範囲についての詳細はヘルプにてご確認ください。
※ミュートしてもお気に入りやしおりは解除されません。既にお気に入りやしおりを使用している場合はすべて解除してからミュートを行うようにしてください。