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2章

40 実践

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「霜苓様の頬を撫でられた事はおありですか?」

「急にどうした!?」

 唐突に普段臣下の中では真面目な方の汪景が至極真面目な口調で問うてきて、陵瑜は驚いてまじまじと彼の端正な顔を見返した。

「いえ……それくらいは殿下ならばなさっているかな……と」

「どういう事だ、俺を節操のない男みたいに言うな」

 そんな事、出来ていたならこれほど悶々とした日々を過ごしていないはずだ。

 拗ねるような気分で吐き捨てると、汪景が一瞬息を呑むように言葉を詰まらせる。
 
「いえ……むしろ、よく耐えておられるな……と」
 
 どうやら今でなく過去の自分の行いと比べているのだろう。

 仕方ない、酔って媚薬に当てられた霜苓を部屋に連れ込んで、結果子どもまで作ってしまった自分である。
 
「…………」

「で?あるのですか?」

「ある……にはあるが……」

「では今夜……いえどこか自然な機会で触れてみてください」

「どういう事だ……」

「やってみれば分かります」

 そう言って、「自然に、お願いしますよ」と念を押すように彼が残した楽しげな笑みに嫌な予感を感じた。

 とはいえそんな機会が訪れることもなく、なんなら少し狙いながらその晩を共にしたが、霜苓は稽古と珠樹の世話もありすぐに就寝してしまった。
 
 結局なんとなくその事を忘れた翌日の午後、霜苓の表情が不安げに曇った際に、咄嗟に彼女の頬に触れて、その事を思い出した。

しかしそれは一瞬のことで、そんなことより霜苓が随分と疲れているのではないかと心配になる。
同時に化粧の下に隠された隈を見つけてしまって、そんなことにも気付けなかった自分に嫌気がさした。

 恐らく彼女は昨晩も悪夢を見て何度か目覚めたのだろう。隣に眠っていながら、それに気づく事も、彼女を安心させてやれる事もできていない不甲斐なさに思わず唇を噛み締める。

労わるように目元を撫でると、彼女の頬に少しばかりの緊張を感じた。

 いつもならば、「大丈夫だと」首を振って、少しばかり居心地わるそうに離れていくのだが……

 なんと、一瞬だけ、何かを考えるように動きを止めた彼女が……自ら陵瑜の手に頬を寄せた。

 あまりにも唐突に起こった事に、何が起こったのか、都合のいい夢をみているのかとさえ想った。

 繊細でなめらかな皮膚と柔らかな彼女の頬の弾力……そして……ぎこちなく、手のひらに寄せられた唇。

 こくりと思わず唾を飲み込んだ。
 
 おずおずと伺うように、霜苓が伏せていた瞳をひらいて……そして伺うように上目遣いで見上げてくる。

 もう何も言葉を発する事ができなかった。

 こんな風に彼女が触れてくれるなど、夢のようで……

 そこで不意に、昨日の汪景の言葉が蘇る。たぶん、彼女にこれを仕込んだのは彼……いやおそらく妹のほうだろうか。

「っ――――」

視線のあった彼女の顔がみるみる赤くなっていく。その様子に胸の奥がきゅっと締まり、息苦しくなる。

 握り返された手に、ぎゅうっと彼女の力がこもっていくのが分かる。

 きっと今、霜苓は自身のしたことを思い返して、随分と恥ずかしくなっているだろう。

ここで、陵瑜が対応を間違うと、彼女はきっと萎縮して……今後こうした事に固くなってしまうに違いない。

 ゆっくりと息を吐いて、胸の高鳴りを抑えると、もう一度霜苓の頬を撫でる。

「随分と、上手く反応したな」

 そう微笑んでやると、霜苓の緊張した頬が、目に見えて緩んで行くのが分かった。

「どうしたらいいのかわからなくて……蘭玉と天俊を観察して真似た。おかしくはなかったか?」

 やはりそうかと理解して、少し虚しくも、しかし、夫妻にはよくやってくれたと心の内で感謝する。

「上手かった。ドキドキしてしまったぞ」

 冗談めかして言えば、「ならば成功だな」と彼女が悪戯めいて微笑む。安心したせいか肩や手のひらに入っていた力も抜けていて……しかし、耳だけが少し赤いようにも見えた。

「少しずつ、そうした事も学んでいくつもりだ、だから時々協力して欲しい」
 
 おずおずとそんな事を上目遣いに言われて……嫌と言えるものなどいないだろう。

「わかった」

 自分にしては、随分と甘い声で呟いたように思う。
 
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