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3章

71 帰路①

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 湖祝との話を終えて、下の長屋に戻ると、すでに家人たちは仕事に戻ったのか、カンカンと鉄を鍛える音が響いている。

 2人の姿を見とめて、庭先で茶を出してもらい飲んでいた漢登が慌てて立ち上がる様子に苦笑して、投げかけられた心配そうな表情に肩をすくめて見せる。

「用事は無事に済んだ、漢登いろいろと手配をありがとう。それで、申し訳ないのだけれど、例の帯飾りを修理しないとならなくて、預けていく事になりそうなのだが……」

「承知いたしました。引き取に来られるよう人を手配いたしましょう」

「あといくらか暗器を新調したいのだが、その……予算のことは私は全くわからないので……」

 今まで陵瑜が、あれこれと霜苓や珠樹の物を買う事はあっても、霜苓自身が望んで何かを欲する事は無かった。
 どうやら王太子妃である霜苓には特別に予算がつけられているようだが、そうしたもので、暗器を新調する事が良いのかどうかも分からない。

 思わず口籠もる。しかし 漢登は……もしかしたら陵瑜がなのかもしれないが、おそらくそれすら見越していたのだろう。すぐに自身の後方に控えている従者に目配せを行う。

「問題ないでしょう。日頃から霜苓様は装飾などを欲しがられないため、予算には随分余りがあると聞いておりますから」

 むしろ、霜苓様が望まれていると知って、殿下が喜んで買ってくださいますよ。
 そう、冗談とも本気とも取れる言葉を宣って笑われ、若干の居心地の悪さを覚える。


「よかった、湖祝殿……頼んでもいいでしょうか」

「えぇ、承知いたしましたとも」

 やりとりを見ていた湖祝にすら、含んだ笑みで頷かれてしまい、一層居辛い空気に肩を縮めるていると……

 長屋の玄関口の扉が開いて、ちらりと先ほどの青年が顔を出した。
 その瞳は、先ごろこちらに刃を向けて来た時とは打って変わって、怯えた色を含んでいる。


「これは、私の長男の子でして、跡を取る予定です」
 そんな彼を見とめた湖祝が、こちらへ来いと青年を手招いて呼ぶと、彼はおずおずと近づいてきて、霜苓の前に膝をついた。

「先程は、大変失礼をいたしました」

 皇族に刃を向けたとあれば、その場で斬り捨てられても文句は言えない。しかしすでに護衛は払ってあるし、霜苓も彼を罰するつもりは毛頭無い。
 むしろ、彼にこんな事をさせてしまった己の準備不足が招いた結果とすら思っているのだ。

「大丈夫。そなたの気持ちはよく分かる。お祖母様を守ろうとしたのでしょう? 突然来訪して驚かせた私も悪いのだから気にしないでほしい。それより、お祖母様に色々と製造の注文を付けたので、よく勉強して、良いものができる事を期待しているわ」

 しゃがんで、彼に視線を合わせると、皇太子妃らしい物言いで言葉を紡ぐ。
「はっ、はい!必ずや!ありがとうございます」

 恐縮したような、青年の返答に、思わずこれくらいで良いのか、と漢登を見れば、「上出来ですよ」とでも言うようにニカリと笑み返されて、内心でホッと息を吐く。

 上に立つ者としての態度や姿勢など、学びはしているものの、高貴な身分になったと言う自覚すら無く、それを初めて実感するような機会ともなった。




 一通り、注文する武具について湖祝と話を行い。来た時と同じく、帰り道は護衛を伴い、山道を降りてゆく。

 思い描いていた暗器が仕上がるであろうという確信に胸を弾ませながらの道中は来た時より、短いように感じた。

 しかしもうすぐ馬車であろうかという所で霜苓は突如動きを止めて、周囲の者を鋭く制する。


「皆伏せろ!!!!」

 声を上げると同時に、その場に身を低くした次の瞬間、山道の脇から放たれた矢が頭上を飛び交う。

 流石に少数で護衛を持たせただけあって、護衛隊の反応は素晴らしかった。皆すぐに霜苓の言葉に反応を見せ、屈んだ事で、致命傷を負うような者はいない様だった。

「皆、無事か⁉︎」
 問う漢登の声に、低く是の声が上がる。

「妃殿下を包囲しろ!またくるぞ!」
 
 周囲を護衛達に囲まれる中、霜苓は身を低くしたまま木立に目を凝らす。こちらを伺う者達の気配をしっかりと感知して、唇を噛む。
 どうやらここで待ち伏せしていたらしい。
 ここまで気づく事が出来なかったのは単に己の油断が招いた事だ。
 
 意識を彼らの気配に集中させる。幸い、どうやら郷の者達でないらしい。ほっと胸を撫で下ろし胸元の合わせに手を滑り込ませる。

 ならば……と思い至るのは、燈駕の言っていた殺し屋しか思い浮かばない。

 こんな状況の中で奇襲をかけてくるのだ、数は多いだろう。

「このままでは、的になるだけだ」

 低く囁けば、隣に伏せる漢登も同感だと頷く。この間にも、頭上を矢が風を切って飛び交っている。

「こちらで引きつけます。妃殿下を数名で囲み、馬車まで……」
 いつの間にか霜苓と漢登の後ろまで来ていた護衛隊長の提案に、霜苓は首を横に振る。

「いや、おそらくそれを狙って、この先で本命に待ち伏せされているだろうな。ここにいる連中はおそらく罠だ」

「っ……ですが……」

「私が彼らならそうする。全員で一気に突破する」

「なっ!」
 驚いて反論しようとする護衛隊長を漢登が制す。

「なにか策がおありなのですか?」

 まだ付き合いは浅いが、それでも漢登は霜苓の腕や感覚は買ってくれているらしい。陵瑜もそうだが、彼の周囲は、柔軟な考えの者が多い。ありがたい事だ。

「いぶり出して、出てきたところ仕留める。弓を構えてその場に待機しておけ」

 意味がわからないと言う顔の彼らに微笑むと、霜苓は己の裾から玉を取り出すと、相手が居そうな茂みに向けて投げる。

「走れ!」
 その瞬間、霜苓は声を上げる。一瞬動き出そうとする護衛達だが、すぐに手を上げてそれを制する。

 パンパンと、こ気味いい破裂音が二つ響くと共に、途端に周囲に煙幕と、複数人の呻き声と混乱する声が上がった。

「っくそっ!逃げるつもりだ!追え!」
「くっ、どこだ! 目がっ!」

「打て!」
霜苓の短い言葉に、護衛たちが一斉に煙幕に巻かれた声の方向に向けて弓を放つ、霜苓はそのさらに先、煙の先に逃れ出てくる数人に飛刀を投げつける。

 途端にその場に悲鳴が上がる。

「煙から逃れ出て襲い出てくるものもいるはずだ!十分に注意しろ!」

 漢登の言葉通り、煙から逃れ出てこちらに向かって来る刺客も数名いるが、少数である。難なく護衛に斬られ、茂みの中に崩れ落ちていく、

 刺客の大多数はこの混乱に乗じて霜苓達が逃げようとすることを予測して、下に向けて、抜けて行こうとする。
 しかし、彼等の予想に反して、霜苓達はその場に残る。
 刺客達が己の無防備な背を見せていることに気付くのは、煙幕から逃れ、視線の先にいるはずの獲物がいないのを知った瞬間だ。

 しかし気づいたところで、すでに彼らができる事は僅かだ。

 次の瞬間には、背後から放たれた矢が、飛刀が、彼等を貫いているのだ。
 

 
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