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ケノタ・ペラドキ

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 ケノタ・ペラドキの家までは、そう遠くないとは言っても、夜中に突っ切っていけるほど近くもない。比較的安全な場所にいるあいだに野宿に慣れるため、街道の脇で一晩を明かした。寝袋はなるべく頑丈なものを選んだが、その代償に肌触りがよくなかったり、二度洗っても匂いが落ちていなかったりする。エリスに謝ると、これも旅の醍醐味でしょ、と言ってくれた。素晴らしくいい子だ。

「パーティメンバーとはどこで出会ったの?」
「十人十色だよ。酒場とか、馬小屋とか。今思うと全員変な出会いだったな。エリスはどうだった?」
「ボクはそういうのなかったなー。色んな団体から代表が推薦されて、それがナントカカントカ評議会? ってところで選抜されたんだ。すっごく頼れる仲間だったから文句はないけどね」
「なら、早く合流しなくちゃいけないな」

 履き慣れた革靴で土を踏みしめ、朝露に濡れた草木を分け入る。空を見上げると、遠くに見える山々の稜線が青々と輝いていた。空気は澄んでいて、頬にあたる風も心地よい。

「ああ、こういう時間がずっと続けばいいのに」

 俺がぼそりと言うと、エリスは一瞬驚いた顔をした後、嬉しそうに微笑みかけてきた。

「キミもそんなこと考えるんだ」
「そりゃな。俺のことなんだと思ってるんだよ」
「うーん、あんまり深く考えない人だなって思ってた」
「確かに。第一、深く考える性質《たち》だったら、今こうやって旅してない」
「あはは、ギデオンが単純でよかった」
「お? 言うな、こいつめ」
「褒めてるんだよ。感謝してるの」
「そうか」
「うん」

 俺とエリスは顔を合わせて笑った。少し照れ臭かったのかもしれない。しばらく山を歩いた。この程度ならば楽に上がれるが、リヴァイアサンやクラーケンがいる世界だ。自然のスケールもそれ相応に大きい。今履いているものとは別に鋲靴を用意すべきだろうか? 考えるだけで懐が寒くなるな。太陽が昇ってから二時間ほど経った所でエリスが小川を見つける。幅は3メートルくらいだろうか。その水は透き通っていて、川底の角張った石までよく見えた。川の下流は石が丸く、上流はその逆。を目にしたような気がする。不思議だ。もう何百回も魔法を見ているのに、未だに心を動かされる自分がいる。俺は両手を川の水に浸すと、水をすくい上げて口元へ運んだ。そのまま喉を潤してから、毒性があるかを確かめた。問題なし。

「あぁー。生き返るね!」
「おっさんかよ」
「なんだよ、別にいいじゃないか」
「いやいや、別に悪いなんて言ってない」
「むぅ……」

 エリスが拗ねる前に、俺は話題を変えようと、辺りの景色を眺めてみた。森に囲まれてはいるが、ところどころに草原が広がっている。色の淡い小鳥たちが羽ばたき、鮮やかな青色のリスのような生き物が茂みの陰からこちらの様子を伺っていた。エリスは綺麗な景色に喜んでいて、俺は金の詰まった袋を見るように、こいつらの皮を剥いだらいくらになるか勘定していた。ちょっと野暮なことだった。彼女はこういった弱いモンスターと戦うことはあまりなかったはずで、こういう価値観の違いには苦労させられるかもな、と思った。
 ケノタ・ペラドキの家らしきものは、小高い山の麓に生い茂る木々の中にあった。ケノタが住んでいるという家の入口には、鉄柵で覆われた門があり、その奥には木造の二階建ての屋敷が見える。彼が一人で暮らしている家にしては立派すぎるが、新聞屋の他にも何かしらの商売をしているのかもしれない。エリスと一緒に鉄柵の前に立つと、門の向こうから優し気な男の声が聞こえてきた。

「わが主に何か御用でしょうか?」
「これは、ご丁寧にどうも。えーっと……エリス、記者の名前なんだっけ? そうだ、ケノタ・ペラドキ様にお会いしたいのですが」
「かしこまりました。少々お待ちくださいませ」

 声が規則正しい足音を立ててその場を離れると、俺たちは目を合わせた。

「おっきな家に住んでるんだね……なんか、緊張してきちゃった」
「大丈夫さ、きっと」
「そうだといいんだけど」

 エリスがぎゅう、と手を握ってくる。会えなくても少し暇になるだけだ、と言い聞かせる代わりに、俺はそれを包み込むように握り返す。鉄製の扉が静かに開き、先ほどの声の主が戻ってきた。背が高く細身で、中性的な顔をしている。短く切りそろえられた髪と、簡素だがデザイン性の感じられる執事服。清潔感があって好印象だ。

「ケノタ・ペラドキさんはなんて言ってました?」

 俺が尋ねると、彼は一礼をして名乗った。

「大変お待たせいたしました。ケノタ・ペラドキは、私でございます」

 俺とエリスは客間に案内されていた。室内に置かれたソファは柔らかく座り心地が良い。エリスと二人並んで座っている。

「新聞のことでいらっしゃったのですか」
「ええ、まあ。実に楽しませていただきました。ただ、いくつか伺いたいことがあって」
「なんなりとお尋ねください」
「勇者の記事についてです。ほかの新聞社で勇者が裏切ったと報じられた時、あなたがお書きになった新聞が……」

 ペラドキはにこやかに笑いながら傾聴している。どこかの王族のような部屋がいくつも閉じ込められたこの屋敷が、なぜこんな――言い方は悪いが――辺鄙な場所にあるのか、気になった。

「ああ、あれはですね。端的に申し上げますと、嘘の記事でした」
「やっぱり」
「申し訳ありません。ただ、大差はなかろうと思います。勇者が裏切ったという情報も、おそらくは嘘ですから」

 鋭い洞察力に、あんなデタラメな記事を書く人間はどんな食わせ物だろうという思いは裏切られた。ペラドキはこのような場所にいても洗練された所作や、都会風の着こなし、すらりと引き締まった足の小気味いいステップを欠かすことはない。三人で話しているうちに、彼が新鮮な知恵と偏見のない精神に満たされていることが分かると、このような能力の持ち主がなぜ下らない作り話を延々と作り出す仕事に従事しているのだろう、という疑問を抱かざるを得ないほどだ。

「どうしてあんな記事を書いたんですか?」
「わが主の為にございます」

 ペラドキの表情は穏やかだったが、言葉の端々からところどころ強い信念のようなものを感じた。俺が黙り込んでいると、気になったのがエリスが口を開く。

「ペラドキさんのご主人様は、どんな人なんですか?」
「とある国の、先の王様にございます」
「そりゃまた、随分と偉い方と知り合いなんですね。いったいどういう経緯で?」

 ペラドキは顎に手を添えると、思い出すように天井を見上げた。

「そうですね……。少し長くなりますので、昼食をとりながらに致しましょう。お付き合い願えますか?」
「もちろんですよ」
「ありがとうございます。それでは、こちらへどうぞ」

 ペラドキに連れられて俺たちは食堂へと向かった。長い廊下には価値を理解しがたいが恐らくは高価な絵画と金ぴかのろうそく立て、山中にも拘らず律儀についている窓なんかがあった。食堂はこの屋敷にいる人数相応に小さかったものの、客が見ても貧相とは思わない程度の気品と、掃除の行き届きやすい実用性がうまい具合に備わっていた。二人で手伝おうかと話し合った――結局はペラドキが全て準備してくれたのだが――食事は、自信を感じさせる素晴らしいものだった。パンは香ばしく焼き上げられており、野菜の入ったスープは薄味ながらも素材の良さを引き立てるような味付けが施されている。エリスがはしたなく見えないか気遣いながら食べているので、俺も無言で腹を満たしたいのを我慢した。テーブルマナーは未だによく分からない。庶民にしては綺麗な方じゃないかとは思うけれど、実際どうなんだろうか。

「それで、ペラドキさん。さっきの話なんですけど……」

 食事の席で彼の口から語られる話はなかなかに興味深かった。

「ええ、もちろんお話いたしましょう。私の仕えておりました国はアスガルナと申しまして、小さな国ではありますが、資源に恵まれており、非常に裕福でございました。と言っても、私自身はそのことを覚えてはおらぬのですが。先王様も善政を敷き、国民全員から愛されておいでだったのです。ところが、母から聞いた話は忘れも致しませぬ。秋の葉の赤色がやけに強まったある日のこと、突然謎の病が流行したのです。多くの民が長い眠りにつくという病気であり、王様もまた眠りにつかれました。むろん、後継ぎ様は国中の医者を城に集めて治療に当たらせ、同時に原因究明に尽力されました。後継ぎ様ご自身も博学な方でいらっしゃいましたから、自らの危険も顧みず治療法を研究なさったほどです。私は当時小さな子供でありましたゆえ、あまり記憶はありませぬ。ですが、私がお側につかせて頂いていた時も、確かにそのような意志を感じる顔つきでございました」

 ペラドキは一息つくと、目の前に置かれたカップを手に取り、紅茶を一口飲んだ。

「治療法は解明されましたが、結果は芳しくなかったのです。国民の大多数が眠る資源豊かな国が、他国から狙われないはずもございませぬ。先王様が目をお覚ましになった時、アスガルナの国民は散り散りとなり、領土はすでに一かけらも残っておりませんでした」

 俺はこれ以上何と言えば良いのか分からず、黙ってパンを口に放り込んだ。エリスを見ると、彼女は少し悲しげな表情を浮かべていた。

「じゃあ、あの新聞は……」
「ええ。あれはアスガルナの新聞なのでございます。あの国では、面白おかしく誇張して書き立てた記事にも、豊かさに由来する確かな良心を感じられました。何もご存じでない先王様が、せめて気に病むことなく生涯を送れるように、と、お世継ぎ様が私のような者に頭をお下げになったのです」

 俺はペラドキの主人に対する忠誠心を痛い程に感じた。この男は、この男なりに自分の主を想っているのだ。主を想い、主の為に行動している。それの帰結がくだらない新聞を日夜ばら撒くことだったとしても、俺なんかよりよっぽど立派だ。エリスがじっと悲しみをこらえるような顔をしていた。

「先王様は、何というお方ですか」
「ワンダリ・ラ・トランパ様にございます」

 ペラドキは冷静を装って言った。正確には、装ったどころの話ではない。外面には全く冷静だった。だからこそ、俺は心の声の震えがよく聞こえたように感じた。エリスはどうにか救いを見出そうとしたのか、ペラドキに聞いた。

「失礼だったら、ごめんなさい。トランパさんは、今楽しく暮らせてるんですか」
「そう願うばかりです」
「王様に、趣味はありますか?」
「読書と剣の鍛錬がお好きです……時折、執務室に向かい、全国民に対する親書をしたためられることもございます」
「……そうですか」

 エリスはそれだけ言うと、俯いた。そして、そのまましばらく黙り込んでしまった。

「お二人はこれからどちらへ?」

 ペラドキが唐突に聞いてきた。

「ああ、実は大した当てがないんですよ」
「左様にございますか」

 ペラドキはどこか遠くを見るような目で答えたが、すぐに視線を戻した。

「人の少ない屋敷です。急ぐ旅でなければ、今日はお泊りになられてはいかがでしょうか? 幸い、部屋は余っておりますし、旅人には記事のタネもお伺いしたい」

 俺たちは一瞬顔を合わせたが、すぐにエリスがお願いしますと答えた。彼女がそういうなら、俺も異論を挟もうとは思わなかった。食事を終えた俺たちは再び部屋に案内された。
 エリスがペラドキの案内の下屋敷を散歩している間、荷物を置き、少し休憩しながら、新聞のバックナンバーを読んでみた。意識して探すと、新聞にはこの屋敷の主、ワンダリ・ラ・トランパの名前がいくつも見つかった。

『トランパ王、国民の祝日を制定。しかし国民は喜びのあまり大騒ぎし、祝日のない日よりも疲れて仕事に戻る羽目に。国民はもう一日祝日を求めストライキを起こしたもよう。』

『トランパ王、国税の改革を発表。しかし税金が軽くなったと喜ぶ前に、人知れず掛かっていたその額の多さに驚いた国民がまたもや大騒ぎ。トランパ王、国税改革の理由を説明。国民の生活レベルの向上を第一に考え、国を発展させると決意表明。国民から拍手喝采を受ける。』

『トランパ王、国中から寄せられた相談に回答。どんな女性がタイプですか?
トランパ王の返答:君だよ!』

 新聞の片隅に、国民の歓声を浴びて照れ笑いするトランパ王の写真が載っていた。美しい歯並びを見せびらかすように、自信に満ち溢れた笑顔を浮かべる灰色の壮年の姿が映し出されている。会ったこともないこの男が本当に立派な人物だと思える記事ばかりだった。
 この屋敷の一室で、トランパ王は今も離散した国民に手紙を書き、居なくなった大臣たちに命令書をだそうとしているのだろうか。ふと部屋の扉を見ると、いつの間にか夕方になっている。エリスが部屋に帰ってくる気配がした。不思議と、少し切なくなった。
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