死んだことにした悪役令嬢、 辺境で騎士団長に溺愛されつつ帝国を建て直します

桃我タロー

文字の大きさ
13 / 70
第一章 ヴァルム試験国家編

第九話 飴と鞭と在庫調査(2)

しおりを挟む
 兵舎は、別の意味で冷えていた。

 狭い寝台がぎゅうぎゅうに並び、鎧や武器がそこかしこに転がっている。縄に吊るされた湿った衣服から、水滴がぽたぽた落ち、床に小さな染みを作っていた。

 匂いは汗と湿りと、古い鉄。それに、薄いカビ。

「整列!」

 班長の声で、兵たちが縦に並ぶ。まだ寝癖の残っている者もいれば、既に体操を終えて息を弾ませている者もいる。

 シュアラは名簿を手に、一人一人の顔を見ていく。

「ゲルハルト」

「いる!」

「ヨナス」

「ここだ」

「リオ」

 少し細い声。

 背の高い細身の青年が、列の中ほどで手を上げる。明るい茶髪を後ろで結び、大きな瞳はどこか落ち着きなく揺れている。

 足元の革靴は、他の兵のものより新しい。歩き込まれた皺が少ない。

 名簿の横に、小さく印を付ける。

『リオ:弓兵/要観察』

 今日の目的は、能力評価ではない。が、目についたものをメモしておくのは、悪い癖ではない。

「武器の数も見ろ」

 ゲルトが帳簿を片手に言う。

「剣、槍、弓、矢筒、盾。ここに書いてある数と合ってるか、班ごとに確認しろ」

 兵たちが壁際の武器立てに向かう。木の柄がぶつかり合い、鉄の小さな音が連続する。

 シュアラは、槍の柄の削れ具合や、盾の裏の革紐の擦り切れ具合を眺めた。使い込まれたものと、そうでないもの。その差。

(前に出され続けている班と、そうでない班)

 頭の中で、さっきの倉庫の数字と照らし合わせる。

「嬢ちゃん」

 ゲルトが帳簿を叩きながら近づいてきた。

「ここ、槍が二本足りねえ。帳簿だと十本。実物は八本」

「折れたか、失くしたか、売ったか、ですね」

「物騒な三択だな」

「どの班ですか」

「第一班。去年、北の蛮族相手に一番走らされた連中だ」

 シュアラは第一班の前に立ち、槍立てを一緒に見る。

「槍二本は、どこに行きました」

 班長が顎を掻いた。

「一本は、あの時折れた。蛮族の盾に叩きつけたら、根元からぽっきりな」

「もう一本」

 班長の視線が一瞬天井へ逃げ、それから戻ってくる。

「……あいつが、村に帰るときに持ってった」

「あいつ?」

「足、やられたやつだよ。歩けねえから村に返した。槍を一本、杖代わりに持たせた」

 列の中で、何人かが目を伏せる。嘘をついている顔ではない。

 名簿に、さらさらと書き足す。

『槍二本:一本=戦闘損耗/一本=負傷兵の杖』

「槍二本分の差は、帳簿の別の欄に移します」

 シュアラは言う。

「折れた一本は損耗。杖になった一本は、『医療・補助器具』とします」

「そんな書き換え、帝都の役人が理解すんのかよ」

 ゲルトが苦笑する。

「理解されなくて構いません」

 自分で言ってから、少しだけ言い過ぎたかと内心で眉をひそめる。

「ここで、誰が、何のために、それを使ったか分かっていれば、それで十分です」

 ゲルトは一瞬ぽかんとし、それからニヤリと笑った。

「おいお前ら」

 兵たちに向き直って声を張る。

「今の話をまとめるとだな。槍を勝手に売ったら怒られる。でも、仲間を支えるために使った分は怒られねえ。そういうことだ」

「分かりやすいです」

 シュアラは淡々と評価した。

 あちこちで笑いが漏れ、緊張が少し緩む。

---

 日が高くなる頃には、倉庫二つと兵舎二棟の棚卸しが終わっていた。

 紙束の端は、インクと指の油で黒ずんでいる。紙と紙が擦れるたびに、小さな音がした。今日はずっと、その音を聞いている気がする。

 数字の列のあちこちに、黒い丸と三角と赤い点。

 赤い点はまだ少ない。どうしても説明のつかない差分――「誰かがこっそり持ち出した」可能性が高いものだけに付けた印だ。

 一袋、二袋。樽半分。矢束ひとつ。

(こういうのが、何年も積もり続けた結果が……七割)

 昨夜の帳簿を思い出し、喉の奥が少し苦くなる。

 紙束を抱え直し、団長室へ向かった。階段を上がるたびに、足が重くなる。数字には出ない疲労が、ふくらはぎに溜まっていく。

 扉をノックすると、すぐに「入れ」と声が返ってきた。

「で?」

 カイは、紙束をざっとめくりながら、短く問う。

「砦の胃袋は、どうだった」

「予想より少し軽くて、予想より少し穴だらけでした」

 椅子を引いて座ると、腰のあたりが悲鳴を上げる。

「中央倉庫の麦は、帳簿より二十七袋少ないです」

「二十七?」

「豆七袋。干し肉は樽ひとつ分。塩は、逆に帳簿より多い」

「肉が少ねえから、塩が余ってんのか」

「その可能性は高いです」

 シュアラは紙束の一枚を開く。

「兵舎では、槍が二本分足りませんでしたが、一本は戦闘損耗、一本は負傷兵の杖として使われています。これは『計画にない損耗』ですが、『許容すべき損耗』です」

「許容すべき、ね」

「問題は」

 赤い点の多い紙を机の中央に出す。

「このあたりです。毎月少しずつ減っている干し肉。帳簿上は『端数調整』で片付けられています」

「誰だ」

 カイの声が低くなる。

「今のところ、『一人ではない』ところまでしか分かりません」

 シュアラは首を振る。

「倉庫番、炊事係、兵……多くの人が少しずつ、つまんでいる形跡があります」

「全員殴ればいいって話じゃねえな」

「殴っても、減るのは今後の働きだけです」

 シュアラは紙束を閉じた。

「今日の目的は、砦の胃袋の形を知ることでした。どこが痩せていて、どこに余計な脂肪が付いているか」

「余計な脂肪なんて、あったか?」

「塩と、実際には使われていない修繕費の枠が少し」

 カイが鼻を鳴らす。

「修繕費は別枠だ。俺のところには回ってこねえ」

「だからこそ、別の胃袋につながっている可能性が高いです」

 昨夜の帳簿が頭に浮かぶ。毎月きっちり同じ額が出ていく修繕費。傷だらけの武器。

「そこは、別の機会に見ます。今日分かったのは――」

 手帳を開き、左上の小さな「1」に視線を落とす。

『砦の胃袋』

 その下に、今日書き足したメモがある。

『総カロリー=帳簿値の八五%程度』

「帳簿と実際の在庫を比較し、自然損耗や村への貸出分を整理した結果、この砦の『総カロリー』は帳簿通りの八割五分程度です」

「八五……」

 カイの口元が歪む。

「つまり、帝都の帳簿が言ってる『この砦はあと百日持つ』って話は、実際には八十五日分ってことか」

「ざっくり言えば、そうです」

「ざっくりのレベルじゃねえ」

 カイは椅子にもたれ、天井を仰いだ。

「十五日分の飯が、ねえ」

「消えたわけではありません」

 反射的に言い返す。

「一部は村の胃袋に。一部は負傷兵の杖に。一部は兵の夜食に。一部は鼠の腹に移動しています」

「……言い方を変えても、ここにないことに変わりはねえ」

「はい」

 それは否定できない。

「だからこそ、残りの八十五日を、どうやって百日に近づけるかを考える必要があります」

 手帳の別のページへ指を移す。

『一、損耗率の低下(倉庫補修+ボルグ活用)』
『二、貸出の帳簿化(村との返済計画)』
『三、つまみ食いの「合法化」=配給制度の再設計』

 カイが目を細めた。

「三つ目。『つまみ食いの合法化』ってのが一番物騒に聞こえるんだが」

「今、兵たちが夜にこっそり干し肉をかじっている分を、最初から『決まった数』として配る案です」

「盗みを認めるってことか」

「盗みではなく、制度です」

 言いながら、自分でもその言葉の冷たさに少しだけ眉をひそめる。

「夜番の班には、通常配給とは別に『夜食』として干し肉を一切れ支給します。その代わり、倉庫からの不明な持ち出しには、今より厳しく印を付ける」

「それで止まるか?」

「一部は止まります」

 手帳を閉じかけて、また開き直す。

「今のつまみ食いは、『冬の途中で死ぬかもしれない』というぼんやりした恐怖に対する、小さな慰めです。そのうちのいくらかを、『決まった形で配られる安心』に置き換えれば」

「全員が盗む必要はなくなる」

 カイが言葉を継いだ。

「そうです」

「それでも盗むやつは?」

「それは、それこそ『処罰より再利用』の領分です」

 紙の端に、小さく別の見出しを書く。

『穴の大きい部分=要手術』

 自分で書いておいて、医療用語に少し苦笑する。

「今日開いた胃袋のうち、特に穴の大きい部分には、別途手を入れる必要があります」

「物騒な医者だな」

「患者を生かす医者です」

 カイはしばらく黙り込んだ。

 窓の外では、兵たちがまた訓練を始めている。さっきまで倉庫で袋を数えていた男たちが、今度は木剣を振っている。

「面倒な文官だ」

 ぽつりと落ちた声は、昨夜までより少しだけ柔らかい。

「だが――」

 カイは紙束をもう一度見下ろし、乱暴に一枚めくる。

「ここまで腹の中を見せちまった以上、途中で放り出すって選択肢はねえな」

「ありがとうございます」

 シュアラは軽く頭を下げる。

 手帳を閉じる前に、ページの隅に小さく印を付けた。

 数字の「1」の横に、ほんの少しだけ力を込めて。

『進行中』

 とだけ書く。

 点も線も、まだ足りない。
 けれど、ゲームは動き始めた。
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

遡ったのは君だけじゃない。離縁状を置いて出ていった妻ーー始まりは、そこからだった。

沼野 花
恋愛
夫と子供たちに、選ばれなかったイネス。 すべてを愛人に奪われ、彼女は限界を迎え、屋敷を去る。 だが、その先に待っていたのは、救いではなかった。 イネスを襲った、取り返しのつかない出来事。 変わり果てた現実を前に、 夫はようやく、自分が何を失ったのかを思い知る。 深い後悔と悲しみに苛まれながら、 失ったイネスの心を取り戻そうとする夫。 しかし、彼女の心はすでに、外の世界へと向かっていた。 贖罪を背負いながらもイネスを求め続ける夫。 そして、母の心を知っていく子供たち。 イネスが求める愛とは、 そして、幸せとは――。

婚約破棄で悪役令嬢を辞めたので、今日から素で生きます。

黒猫かの
恋愛
「エリー・オルブライト! 貴様との婚約を破棄する!」 豪華絢爛な夜会で、ウィルフレッド王子から突きつけられた非情な宣告。 しかし、公爵令嬢エリーの心境は……「よっしゃあ! やっと喋れるわ!!」だった。

身代わりで呪いの公爵に嫁ぎましたが、聖女の力で浄化したら離縁どころか国一番の溺愛妻になりました〜実家が泣きついてももう遅い〜

しょくぱん
恋愛
「お前のような無能は、死神の生贄にでもなっていろ」 魔力なしの無能と蔑まれ、家族に虐げられてきた伯爵令嬢レティシア。 彼女に命じられたのは、近づく者すべてを病ませるという『呪いの公爵』アレクシスへの身代わり結婚だった。 鉄格子の馬車で運ばれ、たどり着いたのは瘴気に満ちた死の城。 恐ろしい怪物のような男に殺される――。 そう覚悟していたレティシアだったが、目の前の光景に絶望よりも先に別の感情が湧き上がる。 (な、何これ……汚すぎるわ! 雑巾とブラシはどこ!?) 実は、彼女が「無能」と言われていたのは、その力が『洗浄』と『浄化』に特化した特殊な聖女の魔力だったから。 レティシアが掃除をすれば、呪いの瘴気は消え去り、枯れた大地には花が咲き、不気味だった公爵城はまたたく間にピカピカの聖域に塗り替えられていく。 さらには、呪いで苦しんでいたアレクシスの素顔は、見惚れるほどの美青年で――。 「レティシア、君は一体何者なんだ……? 体が、こんなに軽いのは初めてだ」 冷酷だったはずの公爵様から、まさかの執着と溺愛。 さらには、呪いが解けたことで領地は国一番の豊かさを取り戻していく。 一方で、レティシアを捨てた実家は、彼女の『浄化』を失ったことで災厄に見舞われ、今さら「戻ってきてくれ」と泣きついてくるが……。 「私は今、お城の掃除と旦那様のお世話で忙しいんです。お引き取りくださいませ」 これは、掃除を愛する薄幸令嬢が、その愛と魔力で死神公爵を救い、最高に幸せな居場所を手に入れるまでのお話。

なぜ、私に関係あるのかしら?

シエル
ファンタジー
「初めまして、アシュフォード公爵家一女、セシリア・アシュフォードと申します」 彼女は、つい先日までこの国の王太子殿下の婚約者だった。 そして今日、このトレヴァント辺境伯家へと嫁いできた。 「…レオンハルト・トレヴァントだ」 非道にも自らの実妹を長年にわたり虐げ、婚約者以外の男との不適切な関係を理由に、王太子妃に不適格とされ、貴族学院の卒業式で婚約破棄を宣告された。 そして、新たな婚約者として、その妹が王太子本人から指名されたのだった。 「私は君と夫婦になるつもりはないし、辺境伯夫人として扱うこともない」 この判断によって、どうなるかなども考えずに… ※ 中世ヨーロッパ風の世界観です。 ※ ご都合主義ですので、ご了承下さい、 ※ 画像はAIにて作成しております

王子、おひとり様で残りの人生をお楽しみください!

ちゃっぴー
恋愛
「ラーニャ、貴様との婚約を破棄する!」 卒業パーティーの真っ最中、ナルシストな第一王子ウィルフレッドに身に覚えのない罪で断罪された公爵令嬢ラーニャ。しかし、彼女はショックを受けるどころか、優雅に微笑んで拍手を送った。 なぜなら、ラーニャはとっくに王子の無能さに愛想を尽かし、この日のために完璧な「撤退準備」を進めていたからだ。

お前のような地味な女は不要だと婚約破棄されたので、持て余していた聖女の力で隣国のクールな皇子様を救ったら、ベタ惚れされました

夏見ナイ
恋愛
伯爵令嬢リリアーナは、強大すぎる聖女の力を隠し「地味で無能」と虐げられてきた。婚約者の第二王子からも疎まれ、ついに夜会で「お前のような地味な女は不要だ!」と衆人の前で婚約破棄を突きつけられる。 全てを失い、あてもなく国を出た彼女が森で出会ったのは、邪悪な呪いに蝕まれ死にかけていた一人の美しい男性。彼こそが隣国エルミート帝国が誇る「氷の皇子」アシュレイだった。 持て余していた聖女の力で彼を救ったリリアーナは、「お前の力がいる」と帝国へ迎えられる。クールで無愛想なはずの皇子様が、なぜか私にだけは不器用な優しさを見せてきて、次第にその愛は甘く重い執着へと変わっていき……? これは、不要とされた令嬢が、最高の愛を見つけて世界で一番幸せになる物語。

勘当された悪役令嬢は平民になって幸せに暮らしていたのになぜか人生をやり直しさせられる

千環
恋愛
 第三王子の婚約者であった侯爵令嬢アドリアーナだが、第三王子が想いを寄せる男爵令嬢を害した罪で婚約破棄を言い渡されたことによりスタングロム侯爵家から勘当され、平民アニーとして生きることとなった。  なんとか日々を過ごす内に12年の歳月が流れ、ある時出会った10歳年上の平民アレクと結ばれて、可愛い娘チェルシーを授かり、とても幸せに暮らしていたのだが……道に飛び出して馬車に轢かれそうになった娘を助けようとしたアニーは気付けば6歳のアドリアーナに戻っていた。

『外見しか見なかったあなたへ。私はもう、選ぶ側です』

鷹 綾
恋愛
「お前のようなガキは嫌いだ」 幼く見える容姿を理由に、婚約者ライオネルから一方的に婚約を破棄された 公爵令嬢シルフィーネ・エルフィンベルク。 その夜、嫉妬に狂った伯爵令嬢に突き落とされ、 彼女は一年もの間、意識不明の重体に陥る――。 目を覚ました彼女は、大人びた美貌を手に入れていた。 だが、中身は何ひとつ変わっていない。 にもかかわらず、 かつて彼女を「幼すぎる」と切り捨てた元婚約者は態度を一変させ、 「やり直したい」とすり寄ってくる。 「見かけが変わっても、中身は同じです。 それでもあなたは、私の外見しか見ていなかったのですね?」 静かにそう告げ、シルフィーネは過去を見限る。 やがて彼女に興味を示したのは、 隣国ノルディアの王太子エドワルド。 彼が見ていたのは、美貌ではなく―― 対話し、考え、異論を述べる彼女の“在り方”だった。 これは、 外見で価値を決められた令嬢が、 「選ばれる人生」をやめ、 自分の意思で未来を選び直す物語。 静かなざまぁと、 対等な関係から始まる大人の恋。 そして―― 自分の人生を、自分の言葉で生きるための物語。 ---

処理中です...