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政務
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ぽつん、とフィルリーネは石でできた台座の前に佇んでいた。
花束が置かれている台座を、静かに見つめる。
黒光りした艶のある石は正方形で、そこには名前が刻まれていた。
「叔父様、わたくしに婚約者ですって。……なんて可哀想な方でしょう」
答える声はないと分かっている。フィルリーネは一度静かに瞼を下ろし、次に開いた時は踵を返していた。
「婚約の儀式が延期、ですか」
「女王の体調が良くないそうだ。マリオンネの精霊たちが安定しないのならば、儀式を行うことができない」
食事の席で王は表情なく言った。フィルリーネが笑顔で嬉しそうに聞いているのとは違い、隣にいたルヴィアーレは真剣な眼差しを向けて、王の話を聞いていた。
「マリオンネの女王の体調が良くなければ、精霊も婚約の儀式が行えないのでしょう。仕方がありませんわね」
王が言った言葉をそのまま口にして、フィルリーネはくすりと笑う。これで時間ができたと喜んでいるのだろう。表情から丸分かりだ。
天の司マリオンネの女王は高齢だ。世界を支配する者は常に女性で、それは絶えたことがない。しかし、次代の娘は早くに亡くなり、次のマリオンネを継承するのは、女王の孫になる。
「仮に女王が亡くなれば、婚約の儀式は当分の間行えなくなるだろう。葬儀や継承の儀式が続けば、一年は行えぬかもしれぬ」
「まあ、それではルヴィアーレ様がお困りでしょう。一度、国に戻られたらいかがかしら」
フィルリーネの満面の笑顔は、ルヴィアーレに向けられた。存外に帰れと言っているが、ルヴィアーレは小さく微笑むだけだ。そして王に向き直すと、どうすべきかを問うように見つめた。
「ルヴィアーレには政務を行なってもらう。フィルリーネは卒院まで、まだ学生だ。フィルリーネの執務室には仕事を用意してあるので、早速行うように」
「お父様!?」
フィルリーネが噛み付く前に、王は席を立った。反論は許さないと無言でその場を離れていく。フィルリーネはテーブルに両手を置いたままその拳を握った。瞬間立ち上がると、何も言わずに席を立つ。
レミアはその後をついていくだけだ。残されたルヴィアーレは、どんな顔をして部屋に戻るのだろうか。
「政務を手伝わせるですって!? お父様はどうかされているわ! まだ婚約も済ませていない他国の者に、なぜ我が国の政務を手伝わせると言われるの!?」
フィルリーネが行うよりずっと良いのではないかと思うが、口にはすまい。フィルリーネは激昂しているか、顔を真っ赤にしてがなっている。
腹立たしいのは、フィルリーネの執務室にルヴィアーレが入ることのようだ。自分のテリトリーに見知らぬ者が入るのが許せないのだろう。
「ルヴィアーレ様の様子を見る良い機会ではないでしょうか。何か失態でもすれば、王にお伝えできますし、フィルリーネ様がルヴィアーレ様のお人柄を確認できます」
情報が欲しいと思っているのはフィルリーネなのだから、いつも通り尊大な態度で確認すればいい。そうしないのは、それなりに警戒しているからなのだろうか。いつものフィルリーネならば、失礼なほど存外に、何に釣られてこの国に来たのか問うている。
「レミアの言う通りね。あの男がどれ程できるものか、この目で確かめればいいのだわ。そうして、お父様に言ってやるのよ。いるだけで、無意味な者なのだと」
やる気になったのか怒りは消えて声が弾みはじめた。
まったく、現金なものだ。この単純さは羨ましく思える。ある意味、精神力が強靭なのだから。
ルヴィアーレは王に言われた通り、政務のためにフィルリーネの政務室に訪れた。
試験前なのにルヴィアーレの仕事振りを確認するため仕事をしながら待っていたわけだが、フィルリーネの瞳は既に虚ろだ。書類を見ているふりをして、どんどん印を押している。
政務官の一人、若手のカノイはちらちらとフィルリーネの印を横目にして見ていた。真面目な彼のことだ、一体どの書類に印を押しているのか、気になって仕方がないのだろう。
「ふぃ、フィルリーネ様、その書類は少々予算より高めに設定されているようなので、一度発案者に戻された方が」
「大したことではないでしょう。予算など増やせば良いではないの」
緊張して声が上ずっていたが、もう我慢できなかったのだろう。カノイは意を決して発言したが、フィルリーネに一蹴された。
「これに、印をなされたのですか?」
気になったのか、言われた書類に目を通したのはルヴィアーレだ。それを確認すると、微かに眉を顰めた。
「あら、何が悪いと言うの?」
自分が行なったことに文句を言われるのが一番嫌いなフィルリーネが、ルヴィアーレを睨みつけた。しかし、何も気にならないらしいルヴィアーレは、その書類をカノイに渡すと、仕事の説明をしてほしいと、カノイに頼んだのだ。
「わ、私がご説明して、よろしいのでしょうか」
言わんことは分かっていると、ルヴィアーレは頷く。
「慣れた者に説明を受けた方が仕事は早いでしょう。どのような書類があるのか、見せていただけますか」
そう言って、もう既にフィルリーネが印を押した書類を見始めたのだ。
カノイは唖然とした。カノイだけでなく他の政務官も目が泳ぎ始めている。フィルリーネの存在を無視した態度。フィルリーネが黙っているはずがない。
「もうよろしいわ。このような仕事、わたくしがする必要があって!? カノイ、ルヴィアーレ様とお前がやりなさい。わたくしは部屋にいます!」
案の定、フィルリーネががなった。勢いよく席を立つと、怒りを顔に出して、地面が揺れるように、大股でずかずかと部屋を出て行った。レミアは急いでその後を追ったが、怒りにかられたフィルリーネは、足早に引き籠もり部屋に閉じ籠もってしまった。
「あの男、案外いい性格してるなあ」
勢いよく閉めた扉を押さえたまま、フィルリーネは小さく呟く。手の平に集まった熱を扉の真ん中辺りにかざして、部屋全体に軽い侵入防止の魔法陣がしっかり起動するのを確認した。
見目は抜群、女性陣にはうきうきの秀麗さ。正面からまともに見たことはなかったが、よく見ると瞳が濃い青と薄い青に銀が混じったような不思議な色をしていた。
すごい綺麗な目だなあ。発光してるみたいだね。なんてぼんやり思いながら話を聞いていると、普通にこちらに聞かず、カノイに話を聞く。
状況をしっかり把握できて能力を重視する、素晴らしい上司になると思う。しかし、王女を蔑ろにするとは。やるな、ルヴィアーレ。
なんて、そんなのどうでもいいや、とフィルリーネは机に向かった。
「あー、試験、試験。もう政務とかやってられないよ。今回、何点狙おう。いらいらしてたから7割しかできなかったがいい? いや、時間があったから8割がいいかな」
ぶつぶつ言いながら、机の上を片付ける。この部屋は誰にも入らないように命令してあるので、掃除や片付けは自分で行わなければならない。そのためどこかしらに物があり、本や紙が乱雑に置かれていた。
この間作った玩具のゴミがそのままなのを見付けて、まずはそこを片付ける。窓は開けられるので、窓を開けて埃を叩いた。机に乗っていた教科書を端に寄せ、軽く雑巾掛けをする。長テーブルには設計図や木くずが散乱しているので、そこも掃いて雑巾がけをし、綺麗にした。
部屋はそれなりに広いので、本棚や机、長テーブルに、大型の鍵盤楽器ロブレフィート、ソファーを置いても隙間があるくらいだ。それでも棚には作り途中の玩具や、昔作った物が細々と置いてあり、絵の具やキャンパス、鋸や彫刻などの道具も置いてあるので、誰かがこの部屋に入れば、一体どこの職人の部屋かと考えてしまうだろう。
高飛車フィルリーネ王女、職人を目指す。
うむ。他の人間が聞いたらなんの冗談だと思うだろうが、自分は本気である。まったく誰だろうね、他国の王族を婿にしようなんて思ったのは。
自分の意思そっちのけで勝手に婿を連れてきた王に、悪態をつくことしか思いつかない。やってきたルヴィアーレは微笑んでばかりだが、間違いなくあれは癖のある人間だと思う。
「私の嫌味に微笑んで返す男が、まともなはずないじゃない」
嫌味を言うたび後ろの若い騎士が身を乗り出してきて、それじゃあ王に目を付けられるよ? って注意したくなるのだが、ルヴィアーレに至っては全く無関心である。軽く笑んで人の言葉を流す辺り、いい神経をしていた。
先程も人が印を押した書類を、わざわざ自分の前で確かめるのである。皆が余計な怒りを買わないようにしている中、カノイが噛み付いてきたが、まさかルヴィアーレまで便乗するとは周囲も思わなかっただろう。ここぞとばかりに返された気分だ。やはり、自分の嫌味と態度に思うところがあったのだ。
いや、あるに決まってるけど。
花束が置かれている台座を、静かに見つめる。
黒光りした艶のある石は正方形で、そこには名前が刻まれていた。
「叔父様、わたくしに婚約者ですって。……なんて可哀想な方でしょう」
答える声はないと分かっている。フィルリーネは一度静かに瞼を下ろし、次に開いた時は踵を返していた。
「婚約の儀式が延期、ですか」
「女王の体調が良くないそうだ。マリオンネの精霊たちが安定しないのならば、儀式を行うことができない」
食事の席で王は表情なく言った。フィルリーネが笑顔で嬉しそうに聞いているのとは違い、隣にいたルヴィアーレは真剣な眼差しを向けて、王の話を聞いていた。
「マリオンネの女王の体調が良くなければ、精霊も婚約の儀式が行えないのでしょう。仕方がありませんわね」
王が言った言葉をそのまま口にして、フィルリーネはくすりと笑う。これで時間ができたと喜んでいるのだろう。表情から丸分かりだ。
天の司マリオンネの女王は高齢だ。世界を支配する者は常に女性で、それは絶えたことがない。しかし、次代の娘は早くに亡くなり、次のマリオンネを継承するのは、女王の孫になる。
「仮に女王が亡くなれば、婚約の儀式は当分の間行えなくなるだろう。葬儀や継承の儀式が続けば、一年は行えぬかもしれぬ」
「まあ、それではルヴィアーレ様がお困りでしょう。一度、国に戻られたらいかがかしら」
フィルリーネの満面の笑顔は、ルヴィアーレに向けられた。存外に帰れと言っているが、ルヴィアーレは小さく微笑むだけだ。そして王に向き直すと、どうすべきかを問うように見つめた。
「ルヴィアーレには政務を行なってもらう。フィルリーネは卒院まで、まだ学生だ。フィルリーネの執務室には仕事を用意してあるので、早速行うように」
「お父様!?」
フィルリーネが噛み付く前に、王は席を立った。反論は許さないと無言でその場を離れていく。フィルリーネはテーブルに両手を置いたままその拳を握った。瞬間立ち上がると、何も言わずに席を立つ。
レミアはその後をついていくだけだ。残されたルヴィアーレは、どんな顔をして部屋に戻るのだろうか。
「政務を手伝わせるですって!? お父様はどうかされているわ! まだ婚約も済ませていない他国の者に、なぜ我が国の政務を手伝わせると言われるの!?」
フィルリーネが行うよりずっと良いのではないかと思うが、口にはすまい。フィルリーネは激昂しているか、顔を真っ赤にしてがなっている。
腹立たしいのは、フィルリーネの執務室にルヴィアーレが入ることのようだ。自分のテリトリーに見知らぬ者が入るのが許せないのだろう。
「ルヴィアーレ様の様子を見る良い機会ではないでしょうか。何か失態でもすれば、王にお伝えできますし、フィルリーネ様がルヴィアーレ様のお人柄を確認できます」
情報が欲しいと思っているのはフィルリーネなのだから、いつも通り尊大な態度で確認すればいい。そうしないのは、それなりに警戒しているからなのだろうか。いつものフィルリーネならば、失礼なほど存外に、何に釣られてこの国に来たのか問うている。
「レミアの言う通りね。あの男がどれ程できるものか、この目で確かめればいいのだわ。そうして、お父様に言ってやるのよ。いるだけで、無意味な者なのだと」
やる気になったのか怒りは消えて声が弾みはじめた。
まったく、現金なものだ。この単純さは羨ましく思える。ある意味、精神力が強靭なのだから。
ルヴィアーレは王に言われた通り、政務のためにフィルリーネの政務室に訪れた。
試験前なのにルヴィアーレの仕事振りを確認するため仕事をしながら待っていたわけだが、フィルリーネの瞳は既に虚ろだ。書類を見ているふりをして、どんどん印を押している。
政務官の一人、若手のカノイはちらちらとフィルリーネの印を横目にして見ていた。真面目な彼のことだ、一体どの書類に印を押しているのか、気になって仕方がないのだろう。
「ふぃ、フィルリーネ様、その書類は少々予算より高めに設定されているようなので、一度発案者に戻された方が」
「大したことではないでしょう。予算など増やせば良いではないの」
緊張して声が上ずっていたが、もう我慢できなかったのだろう。カノイは意を決して発言したが、フィルリーネに一蹴された。
「これに、印をなされたのですか?」
気になったのか、言われた書類に目を通したのはルヴィアーレだ。それを確認すると、微かに眉を顰めた。
「あら、何が悪いと言うの?」
自分が行なったことに文句を言われるのが一番嫌いなフィルリーネが、ルヴィアーレを睨みつけた。しかし、何も気にならないらしいルヴィアーレは、その書類をカノイに渡すと、仕事の説明をしてほしいと、カノイに頼んだのだ。
「わ、私がご説明して、よろしいのでしょうか」
言わんことは分かっていると、ルヴィアーレは頷く。
「慣れた者に説明を受けた方が仕事は早いでしょう。どのような書類があるのか、見せていただけますか」
そう言って、もう既にフィルリーネが印を押した書類を見始めたのだ。
カノイは唖然とした。カノイだけでなく他の政務官も目が泳ぎ始めている。フィルリーネの存在を無視した態度。フィルリーネが黙っているはずがない。
「もうよろしいわ。このような仕事、わたくしがする必要があって!? カノイ、ルヴィアーレ様とお前がやりなさい。わたくしは部屋にいます!」
案の定、フィルリーネががなった。勢いよく席を立つと、怒りを顔に出して、地面が揺れるように、大股でずかずかと部屋を出て行った。レミアは急いでその後を追ったが、怒りにかられたフィルリーネは、足早に引き籠もり部屋に閉じ籠もってしまった。
「あの男、案外いい性格してるなあ」
勢いよく閉めた扉を押さえたまま、フィルリーネは小さく呟く。手の平に集まった熱を扉の真ん中辺りにかざして、部屋全体に軽い侵入防止の魔法陣がしっかり起動するのを確認した。
見目は抜群、女性陣にはうきうきの秀麗さ。正面からまともに見たことはなかったが、よく見ると瞳が濃い青と薄い青に銀が混じったような不思議な色をしていた。
すごい綺麗な目だなあ。発光してるみたいだね。なんてぼんやり思いながら話を聞いていると、普通にこちらに聞かず、カノイに話を聞く。
状況をしっかり把握できて能力を重視する、素晴らしい上司になると思う。しかし、王女を蔑ろにするとは。やるな、ルヴィアーレ。
なんて、そんなのどうでもいいや、とフィルリーネは机に向かった。
「あー、試験、試験。もう政務とかやってられないよ。今回、何点狙おう。いらいらしてたから7割しかできなかったがいい? いや、時間があったから8割がいいかな」
ぶつぶつ言いながら、机の上を片付ける。この部屋は誰にも入らないように命令してあるので、掃除や片付けは自分で行わなければならない。そのためどこかしらに物があり、本や紙が乱雑に置かれていた。
この間作った玩具のゴミがそのままなのを見付けて、まずはそこを片付ける。窓は開けられるので、窓を開けて埃を叩いた。机に乗っていた教科書を端に寄せ、軽く雑巾掛けをする。長テーブルには設計図や木くずが散乱しているので、そこも掃いて雑巾がけをし、綺麗にした。
部屋はそれなりに広いので、本棚や机、長テーブルに、大型の鍵盤楽器ロブレフィート、ソファーを置いても隙間があるくらいだ。それでも棚には作り途中の玩具や、昔作った物が細々と置いてあり、絵の具やキャンパス、鋸や彫刻などの道具も置いてあるので、誰かがこの部屋に入れば、一体どこの職人の部屋かと考えてしまうだろう。
高飛車フィルリーネ王女、職人を目指す。
うむ。他の人間が聞いたらなんの冗談だと思うだろうが、自分は本気である。まったく誰だろうね、他国の王族を婿にしようなんて思ったのは。
自分の意思そっちのけで勝手に婿を連れてきた王に、悪態をつくことしか思いつかない。やってきたルヴィアーレは微笑んでばかりだが、間違いなくあれは癖のある人間だと思う。
「私の嫌味に微笑んで返す男が、まともなはずないじゃない」
嫌味を言うたび後ろの若い騎士が身を乗り出してきて、それじゃあ王に目を付けられるよ? って注意したくなるのだが、ルヴィアーレに至っては全く無関心である。軽く笑んで人の言葉を流す辺り、いい神経をしていた。
先程も人が印を押した書類を、わざわざ自分の前で確かめるのである。皆が余計な怒りを買わないようにしている中、カノイが噛み付いてきたが、まさかルヴィアーレまで便乗するとは周囲も思わなかっただろう。ここぞとばかりに返された気分だ。やはり、自分の嫌味と態度に思うところがあったのだ。
いや、あるに決まってるけど。
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