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 昼食を終えたあとは散策となった。
 アレクシアは騎士団の鍛錬で森を歩くのは慣れていたし、「森は人がいませんし。獣や虫は私の顔を気にしないので、街にいる時より気が楽です」と言うと、「では、森で時間を潰そう」とジークフリートが提案してくれたのである。
 アレクシアはふたたび竪琴を手に、ねこさんを肩にのせて獣道を歩きはじめる。
 途中、ラズベリーの茂みをいくつも発見し、ジークフリートがパンを入れてきた革袋に、二人で赤く色づいた実を摘んでいった。なお、ウィンフィールドは摘んだ端から自分の口に入れている。

「向こうに黒スグリの木もあったはずだ」

 ジークフリートの記憶を頼りにさがすベリー摘みはちょっとした宝探しのようで、人の目から離れていることもあり、アレクシアは久々に晴々した気分を味わう。
 むろん、自分がこの国に来た理由と原因は忘れていないが、息抜きくらいはあってもいいはずだ。
 ウィンフィールドはちまちま木の実を摘んでも金儲けにつながらないと判断したか、先に行ってしまったが、ジークフリートはアレクシアと一緒に赤や黒の実を摘みながら「厨房に渡せばケーキかジャムにしてくれる」と、うっとりする未来を示唆してくれた。

「一度、姫の剣術だけを見てみたいな。相当お強いのだろう?」

 そんなことを言われた。
 アレクシアは謙遜する。

「そこらの兵卒よりは、という程度です。聖遺物を用いたほうが、当然ですが威力は増します」

「だが聖遺物がなくても身を守れるよう、訓練は欠かさなかったのではないか?」

「おわかりですか?」

 やはり彼ほどの達人ともなれば、ささいな仕草や立ち居振る舞い、体格などから読みとれるものだろうか。
 だがジークフリートの答えはアレクシアの予想を裏切るものだった。

「貴女は男が嫌いと見たので」

 アレクシアの口と表情が止まる。

「ずっと思っていた。さっき、貴女の昔の話を聞いて確信した。俺が貴女と出会って以来、貴女はその猫と竪琴を放さない。貴女にとって、その両者は安心できる存在なのだろう。そしてその竪琴は、貴女の愛用する武器だ。貴女は武器を持っていることで安心できる。当然だ。貴女はこれまで、多くの危険にさらされてきたのだから。そして、その危険の大半は男によってもたらされたもの。だから貴女は、男の前では武器を手放さない。身を守るために。そう解釈したのだが、考えすぎだろうか?」

 美麗な王子の表情はどこまでも真面目で真剣で、下世話な好奇心など微塵も感じさせない。
 だがアレクシアは、内に巨大な氷の壁が生じたように感じた。体温がすうっと下がる。

「――――男嫌いと推察しながら、その男嫌いの女に求婚するのですか?」

「うにゃ…………」と、あまりに冷ややかな声にねこさんが怯えの声をもらす。

「男嫌いと確信したのは、つい先ほどだ。貴女に求婚したのは初めて出会った夜。一昨日だ」

 アレクシアは自身の言葉の矛盾に気づいて、やや気勢が削がれる。

「――――では、男嫌いとわかった以上、求婚を撤回していただけるのでしょうか?」

 指先で竪琴の弦をなでながら確認する。
 攻撃するつもりはない。
 ただ、先ほどまで感じていたジークフリートに対する好感が後退して、内心に踏み込まれた反発や――――不安がとってかわる。

「問題はそこだ」

 ジークフリートは真剣に訴えてきた。

「貴女が男嫌いとわかった以上、それを悪化させるようなことはしたくない。だが俺も、今すぐ求婚を撤回できるほど大人ではない。俺は貴女に恋した。貴女ともっと話したいし、一緒に過ごしたい」

「…………」

「有り体に言えば、男というだけで拒絶されるのも、納得いかない。貴女が男達によって恐ろしい目に遭ってきたのは理解するが、その男達は俺ではない。それなのに性別が一緒というだけで同類のように判断されるのは、心外だ」

 ジークフリートの主張に、アレクシアも認めざるをえない。

「…………私も、殿方全員に問題があるとは考えておりません。私は父を尊敬しておりますし、公子殿下もすばらしい人柄です。父の隊にも、信頼に値する騎士が何名もおりました。ただ、基本的に殿方と関わりたくないのです。公子殿下との婚約が白紙となった今では、神殿にでも入って、生涯未婚を貫きたいというのが本音です。むろん、そうできない状況であるのは理解しておりますが」

 現実問題、あの魔王はそんな選択を認めはしないだろう。
 そもそもアレクシアとて、男全員に問題があるとか、自分に恋しているとまでは思っていない。ただ、彼女に寄ってくる男にまともな者が少ないだけだ。
 何故なら、彼女は公子の婚約者であり、まともな男はそれを知った時点で引きさがる。
 そうしないのは、よほど思いつめているか、まわりが見えていないか、『婚約者』の意味が理解できていないか。
 つまり精神状態や知性に問題ある男ばかり残るため、男嫌いに拍車がかかるのである。

「貴女は公子を愛していたのか? ただシュネーゼ公が定めた、というだけでなく?」

「…………定めたのは公でしたが、私に異論はありませんでした。むしろ、願ってもないことでした。婚約の話が出た時、私は十歳でしたが、すでに殿下をお慕いしておりました。あの方にふさわしい姫になりたくて、刺繍も音楽も詩吟も努力したのです」

「公子が貴女の心を射止めた理由はなんだろう。さしつかえなければ、貴女が彼を愛した理由を教えてほしい」

「優しい方です。思いやりある方です。勤勉で真面目で努力家で謙虚で、知れば知るほど、あの方に惹かれました。信頼しました。でも一番のきっかけは、あの方の目だったと思います」

 玲瓏たる美声が語るごとに熱と懐かしさの響きを増していく。

「他国とはいえ、王子殿下ともなれば、隣国の情報にも通じておられるでしょう。ご存じかもしれませんが…………オリス殿下は盲目でした」

 アレクシアの脳裏に一つの面影がよみがえる。
 優しい笑顔、知性的な表情、穏やかな声。長い指に広い額、癖のない黒髪。
 そして、なにも映さぬ二つの瞳――――

「あの方と出会ったのは、十歳の時です。私は父に連れられて城を訪れたのですが、はぐれてしまって。帰り道をさがしていたら、見知らぬ男に腕をつかまれ、連れていかれそうになったのです。それで逃げ出したら、オリス殿下がお住まいの離宮に迷い込んだのです」

「うにゃ」

「うんうん」とばかりに、ねこさんがうなずく。

「殿下は八歳の時に熱病で視力を失い、以降は公太子の地位も返上させられて、静養を口実に離宮に隔離された状態でした。にも関わらず、事情を知ると私を匿い、父のもとに使者を送ってくださったのです」

「だから愛するようになった?」

「それもありますが…………理由はむしろ、あの方の言葉にあると思います」

「言葉」

「匿われたあと、少し愚痴ったのです。『男は次から次へと私に迫ってくる。でも男達が見ているのは、私の外見だけ。私は、私自身を見て、愛してくれる人がほしい』と。すると殿下は私の話を静かに聞かれたあと、こうおっしゃったのです。『本当の自分なんて、誰だって見てもらえないもの』『そういう君は、他者の本当の姿が見えるのか』『美しさ以外を見てもらいたいなら、まず美しさ以外の長所を磨かなければ』と――――」

 アレクシアは笑った。

「当時、殿下は十三歳。男に追いかけられて恐ろしい目に遭った子供に対して、なかなか辛辣な方です。でも私は殿下のこの言葉で、目が覚めたのです。『美しさ以外を見てほしい』と言いながら、自分は美しさ以外の長所を磨く努力をしてきたのか?
と」

 ジークフリートは黙って耳をかたむけている。

「以来、私は自分を磨くよう心掛けました。美しさは、やがて老いにとって代わられる。その時に美しさ以外のものが残るように。あの方は盲目ゆえに『政略結婚の駒にも使えぬ』と、陰で『使い道のない公子』と嘲笑われておりましたが、ご本人は努力を重ねて勉学に励み、体を鍛え、楽器の演奏で才能を発揮しました。今では公妃殿下の音楽会では、オリス殿下の演奏は定番です。あの方は盲目に絶望せず、自分なりに努力を重ねて来られたのです。私はそういうあの方をお慕いし、心から妻になりたいと…………あの方を生涯支えるのだと…………」

 声がかすかにふるえた。
 視界がにじむ。
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