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「あら、あなたもいらしたの?」「そちらも来たのか」

 そんな会話がかわされる。
 トゥルペ城で舞踏会が開かれた。
 王族と大臣他、一部の上流貴族だけが招待された小規模なものだが、会場となった大広間には着飾った人々が詰めかけ、歩くのに注意が必要なほどだ。
 大臣やその細君など既婚者は緊張で、彼らがせがまれて連れて来た令嬢達は悔しさで、表情も口調もどこかぎこちない。
 それでも老若男女に関わりなく、共通するのは『好奇心』。
 すなわち「あのジークフリート殿下が選んだ美姫を見たい!」という野次馬根性である。

「殿下は第四王子だが、王太子殿下はお体が弱いし、男子も生まれていない。ジークフリート殿下が連れて来られた女人の身分次第では、殿下が新たに王太子候補に挙がる可能性もある」

 そのような政治的判断も影響してはいたが、それよりもなによりも。

「あの王国一の美男子で問題児の英雄が選んだのは、どのような美女か!?」

 この一言だった。
 むろん、令嬢達は、

「ずっと意中の方はいらっしゃらなかったのに!! わたくし達の殿下をたぶらかしたのは、どこの悪女!?」

 という感情のほうが強い。
 一部は、

「殿下とウィンフィールド様の間に女が割り込むなんて、許せない!!」

 という理由だったが。
 時間となり、国王一家の入場が告げられる。
 招待客はいっせいに貴族の礼をとって、最高権力者とその家族を迎えた。
 まず侍従長を先導に、白い毛皮のマントを羽織って金の王冠をかぶったフリューリングフルス国王ガリオン三世と、夫にエスコートされる銀の冠のエルヴィーラ王妃が入場。
 次いで王太子夫妻。一歳の王女も乳母に抱かれて入場する。
 それから第二王子。独身で婚約者もいないので、エスコートする相手はいない。
 第三王子は入り浸っている大学の研究を口実に欠席。
 客達の緊張が頂点に達した。
 見覚えある艶やかな黒髪の長身が現れ、一人の令嬢が第四王子のエスコートで登場する。
 空気が一変した。
『花の中の花』『宝石の中の宝石』『白の湖の女神姫』『雪薔薇姫』『蛍石の妖精』『シュネーゼのダイヤモンド』『公国の優美の化身』『美の女神の最高傑作』…………数多の賛辞を雨のごとく浴び、星のように飾ってきたシュネーゼ公国一の美姫。その、フリューリングフルス王国への降臨だった。
 二人につづいて第二側妃(第一側妃はジークフリートの母。故人)と、彼女の産んだ十三歳の第五王子が入場して来るが、こちらはすっかり存在感が薄れている。

「みな、今宵はよく集まってくれた」

 国王の長くて型通りの挨拶がはじまる。
 それが終わると広間の中央が空けられて、まず国王と王妃がダンスを一曲。それから王太子夫妻が一曲。第二王子は妻も婚約者もいないため、王妃がその代理を務めて一曲。
 そして第四王子の番である。
 紺地に銀糸の刺繍が上品な盛装に身を包んだジークフリート王子が、騎士の作法にのっとって姫君の手をとり、広間中央へ進み出る。その物腰や表情からは、誰も『問題児』の単語を連想することは不可能だ。
 楽団の音楽がはじまり、ダンスがはじまる。
 ため息が満ちた。
 もともと第四王子は見目麗しいばかりか、武術や馬術など、たいがいの体を動かすことをそつなくこなすことでも知られていた。
 だがこの夜のダンスは、これまでの彼のダンス歴の中でも珠玉の出来栄えだった。
 均整のとれた長身がすべるように優雅に右へ左へ動き、長い黒髪のゆれる様すら芸術的だ。
 パートナーを務める姫君は王子に見劣りしない身長としなやかな手足を持ち、それを流麗かつ切れのある動きで操っていく。アレクシアはシュネーゼから持参した花嫁衣装を着ており、真紅の裾は持ち主の動きに合わせてひるがえって、大輪の紅薔薇が咲き誇るかのようだった。
 未婚の証に垂らされた白銀の髪が動くたび灯りを反射し、光の粒をまき散らす。
 まさに『お似合いの二人』だった。
 息子の問題行動に日々悩まされつづけるフリューリングフルス国王もその周辺も、今宵ばかりは彼のダンスを称賛せずにはおれない。特に国王は、息子の誕生時に天界の祝福をうけて『国の英雄が誕生した』と歓喜した記憶がよみがえった。
 またたく間に一曲が終了して、踊り手達に割れんばかりの拍手が贈られる。
 大広間は感嘆と失恋のため息に満ち、第四王子とそのパートナーは優雅に一礼して、第五王子とその母妃に場所を譲ったが、こちらはもう誰が見ても付け足しで、招待客の多くは年若い王子の不運に同情した。
 しかし当の第五王子は気にする風もなく、母親と踊り終えるとさっさと定位置に戻る。
 王家全員のダンスが終了し、国王の、

「みな、今宵は楽しんでいってくれ」
 という型通りの挨拶を合図に、招待客の自由なダンスがはじまった。

「貴女が出席を承知してくれて助かった。貴女はダンスも巧みなのだな」
 ジークフリートが隣に立つアレクシアに礼を述べる。

「シュネーゼで叩き込まれましたので」

 アレクシアは短く答えた。
 単に、令嬢の嗜みというだけではない。オリス公子は目が見えなくとも、障害物さえなければたいていのダンスは踊ることができた。だからアレクシアは彼の足手まといにならぬよう、彼のステップがより冴えて見えるよう、自分もダンスの特訓に励んだのである。
 実のところ、今夜の舞踏会にアレクシアが出席する必要はなかった。
 ジークフリートが求婚しているとはいえ、彼女は正式な婚約者どころか恋人ですらない。それどころか、隣国では魔王の生贄になったと思われている存在である。
 そういう存在を公の場に出せば、面倒な事態が起きるであろうことは当然予想される。
 が、いかんせん、この数日間でトゥルペ王城内には「あのジークフリート殿下が連れ帰ったという女人を見たい!!」という声が充満した。それはもう、国王が「他に気にすべきことがあるだろう」とぼやいてしまうほどに。
 そこで「名前は出さない」という条件のもと「一回だけ小規模な集まりに出席する」という結論にいたった。名前さえ出さなければ、あとからどうとでも言い訳できるのが、政治とか体面の世界である。
 黙殺より、一時的な軽減の道を選んだ、というわけだっだ。
 アレクシアは迷い、ジークフリートからも「出たくなければ出なくていい」という言葉をもらったものの、最終的には出席することにした。一宿一飯の恩義である。
 ちなみに、ねこさんは大広間の外だ。さすがに中まで同行するのはためらわれるので、扉の外で、この数日間ですっかり仲良くなった可愛い侍女に抱っこされ、にこにこ待っている。竪琴も別の侍女が抱えていた。

「作法上のダンスは済んだが、もう一曲、申し込んでもいいだろうか? また貴女と踊りたい」

 ジークフリートの申し出にアレクシアもうなずき、彼に手をとられてふたたび広間の中央に進み出る。
 三曲、たてつづけに踊った。
 舞踏会では、貴婦人が夫や婚約者以外の男性とくりかえし踊ることは推奨されない。『必要以上に親密』と見なされ『ふしだら』の評価を下される危険性が高いからだ。
 アレクシアも普段なら一曲で終えているが、今はオリス公子との婚約も解消されたし、魔王に気を遣うのも癪だ。広間中から向けられる男達の視線も、苛立たしいことこの上ない。
 ここは異国の王城で、自身の身元も知られていないし、王子と懇意と思われれば声をかけられることもないだろう。
 そう判断して、踊りつづけていたのだが。
 四曲目の四小節目に入った、その時だった。
 激しい音が響いて大広間中の窓ガラスが粉々に割れ、強烈な熱風が吹き荒れて、山のように灯されていたシャンデリアの火の半分以上がかき消される。
 客達は驚きの声をあげ、ガラスの破片を浴びた人々の悲鳴が高い天井に響きわたった。
「あれは…………!」と、誰かが声をあげる。
 大広間でも特に大きな窓。ガラスがなくなって枠だけになったそれが開け放たれ、赤い風が吹き込む。風はつむじ風のように一カ所に集中し、人間の形となった。
 誰にとっても初めて見る顔だ。
 しかしこの場ではただ二人、アレクシアとジークフリートだけはその顔に見覚えあった。
 金味を帯びた燃えるような赤い髪と、皮肉と冷笑が似合う薄めの唇の秀麗な青年。先日、部下に憑依していた時より重厚で典雅な衣装をまとい、赤い石をはめた黄金の腕輪や首飾りは、上流階級の集まるこの場ですら、誰より豪華な輝きを放っている。
 なにより、人間にはありえない力に満ちた赤い双眸。

「幾日ぶりか。息災のようだな、我が妃よ」

 聞き覚えのある声だった。
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