聖女は歌う 復讐の歌を

奏千歌

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エカチェリーナ  *バッドエンド注意

28 今と、この先

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 トラブルが起きることなど望んではいなかったので、帝国領に入り皇子が迎えにきている場所へと合流できると、肩の荷が下りたような思いだった。

 それで、出迎えの一団の中に、見覚えのある黒髪の男性を見つけた。

 無の森に調査のために入った人が、帝国の皇子だったようだ。

 その皇子は皇族らしい態度でユーリアの元に向かっていた。

 さすがに王子には言葉をかけていたけど、他には目もくれなかったから、私は言葉を交わさなくて済んだのは良いことだ。

 ユーリアは皇子のエスコートで馬車に乗り、私と王子はそれぞれ用意された馬に乗ることとなった。

 馬上は、まぁ、それなりに賑やかなものだった。

「エカチェリーナさん。疲れたら、僕の後ろに乗ってくださって構いませんので」

「遠慮するよ。王子こそ、勧められた馬車に乗ればよかったのに」

「エカチェリーナさんが乗らないのなら乗りません」

「あなたと二人で馬車に乗りたくないだけ」

 私は王子とは別の馬車に乗るようになっていたが、それなら一緒にと王子が納得しなかったから、遠慮して馬を借りたのだ。

 別に指示を無視して飛んで行っても構わなかったけど、間に挟まれる王子が困るだろうと妥協したところだ。

 王族と平民が乗る馬車が分けられるのは当然のことで、それを良しとしなかった王子の方が、この場では異端なのだ。

「僕はこうやって、顔を合わせて話せるだけで幸せです」

「君のそういうところだよ」

 王子は疲れも見せずに、にこやかに私を見ている。

 周りの視線を全く気にしていないのは、バカなのか神経が図太いのか。

 おそらく両方だ。

 好き好んでこんな居心地の悪い一団と行動を共にしたいわけではなくて、私だけ先にルニースへ戻ってもよかったのだけど、帝国側から許可されなかったから従ったまでだ。

 帝国の首都に到着する直前で、ユーリアの体調が悪くなるトラブルがあったせいで、より、調和を乱しづらくなっていた。

 ユーリアのことは皇子が甲斐甲斐しく世話をしており、確かにこれだけ体調を崩しやすいのなら森を迂回する旅路は無理であったはず。

 移動の速度が多少は鈍化したけど、無事に帝都に到着すると、そこでやっと私は御役御免となった。

 これで、私とユーリアが関わることはもう二度とない。

 それでいいのだと思っていた。

 離れていく一団を見送り、何の邪気も含まずに、純粋な好意だけで私を見ている王子に視線を向けた。

 何だかんだと理由を考えてみたり、責任をもつために王子に対価を求めたりしてはみたけど、結局、君の目が見れなくなるようなことはしない方がいいというのが一番大きいようだ。

 ここまで無事に着いて良かったと、誰よりも私が思っていた。

 用意された宿泊場所の高級ホテルに到着すると、王子が言いにくそうに伝えてきたことがあった。

「エカチェリーナさん。僕は皇帝陛下にご挨拶をしに行かなければなりません。なので……」

 もちろん、平民の私が皇宮の中になど入れるわけがない。

「先にここで休んでいるよ。暇なら空を飛んでるかも」

「すぐに戻りますから」

「別にいいよ。今のうちにたくさんゴマスリをしておくといい。お土産は期待しておいてあげよう」

 私がそう言って送り出すと、王子は後ろ髪を引かれる思いで皇宮へと向かったようだったけど、予想通りに帰ってくるのは遅かった。

 竜を操る王子は、皇帝の興味を惹きつけた。

 だからか、根掘り葉掘り、あれこれアレコレ聞かれたようだ。

 疲労困憊で戻ってくるかと思いきや、随分と高揚した様子で私の部屋を訪れたものだから、少々彼を侮っていたと反省した。

「エカチェリーナさん!ハニートーストってご存じですか!?」

「何……?」

「帝都で人気だそうですよ。美味しいお店を聞いてきたので一緒に行きましょう。お腹空いていますよね?あ、でも、それは食事ではないそうなのですが……まぁ、きっと大丈夫ですね。食事もして、それも食べましょう」

「まったく、君は……晩餐などに呼ばれていたのではないの?」

 誰がどんな風に育てたらこれになるのか。

 私に一生懸命にハニートーストなるものを語る姿は、相手に喜んでもらうためなら何でもしそうだ。

 それが微笑ましいと思うのだから、私も大概だ。

「あっ……エカチェリーナさんが笑った……」

 私が?

 今、笑った?

 王子の言葉に驚く。

 それこそ、王子は満面の笑みで私を見ている。

「行きましょう!御案内しますね。きっと驚くと思いますよ。僕は、もっともっと、エカチェリーナさんに笑ってもらいたいです」

 自分が笑ったことも自覚しないまま、王子に手を引かれて、暗くなった帝都の街に繰り出す。

 結果、ハニートーストというものの破壊力の前で、自分がいかに無力であるかと思い知ることになった。

 分厚いトーストの上に、生クリームやアイスクリームや果物やキャラメルソースが大量に乗っていたソレは、デザートであって、デザートではない。

「また食べに来ればいいので、無理はしなくていいですよ」

 普通の食事の後にこれを目の前にすれば、ほとんどを残すことになるのはわかりきっていたことだ。

 王子はニコニコしながら、私が残した大部分を自分の胃の中に処理していた。

 私はどうやら、王子の食べられる量も侮っていたようだ。

 何となく敗北感を覚えながら店内を見渡すと、サイドテーブルに歌劇の宣伝用のカードが置かれているのに気付いた。

 演目は遠い異国から伝わったものであり、私がよく知ったものだ。

 私の視線に気付いた王子が、話題を振ってきた。

「あの夜にエカチェリーナさんが歌っていたのと同じものですね」

「そうだね。あの歌は綺麗で好きだけど、後半は……最初、私は、水の精霊姫が王子様にキスをすると死んじゃうと聞いて、怖くて泣いていたよ。他の物語は、お姫様のキスで呪いが解けたりするのに、精霊姫は王子様を死なせてしまうのだから、どうしてそれを受け入れることができるのかと。怯える私に、お母様とお父様は、怖がらなくていいんだよって言った。でも、小さな子供がそれを理解するのは難しいよ」

 自然と、子供の頃の思い出を話していた。

 それは自分でも不思議に思うことだけど、今日は、お母様達の話をするのは悲しくはなかった。

「僕も、今だから理解できることだと思います。王子の気持ちがとてもよくわかります。たとえ死の接吻でも、相手がエカチェリーナさんなら怖くはありません。何の迷いもなく受け入れます」

「バカだね、君は」

 それを言う王子こそ理解できない。

「はい。でも、ふざけているわけではありません。よければ、一緒に観ませんか?」

 本当にふざけているわけではないのでしょうね。

 だから、やっぱりバカだと思うよ。

「観たいと思って、すぐにチケットが買えるものではないでしょ」

「大丈夫です。皇帝陛下より、もう少しだけ帝国内に滞在してほしいと要請がありました。その間はできるだけの望みは叶えると仰ってて、チケットもこの通り、明後日のものをいただきました」

 謀ったようにテーブルの上に、二枚のチケットが置かれた。

「つまり、少なくとも二日後までは帝国に滞在しろと言われたわけだね」

「そうですね。僕は、このまましばらく帝国にいるつもりでもありましたから」

「そう言えば、そうだったかな」

「エカチェリーナさん」

「今度はなに?」

 改めて名前を呼ばれると、また何か頼み事かと嫌そうな顔を向けた。

 王子は意に介さない。

「実は、帝国でこのまま僕としばらく一緒にいてほしいと思っています」

「えっ?」

「僕はエカチェリーナさんのことが大好きです。でも、エカチェリーナさんに愛を語るには、まだ僕自身の成長が追いついていないのは自覚しています。虚勢ばかりの口先だけの人間にはなりたくはありません」

 そろそろ目を覚めさせなければならないようだ。

「貴方は私に恩を感じているだけ。他の女性よりも一緒にいた時間が長いせいで、それは刷り込みのようなものよ」

「それは違います!確かに、僕を救ってくれた人が屈強な男性だったら感謝の思い以外で心を動かされたりはしなかったと思いますが、貴女のような何もかもが可愛らしい人が、悪夢から覚めたばかりの僕の目の前に現れたら、好きにならない方が難しいって話です!」

 王子は、私の両手を包み込むように握った。

「お願いします。エカチェリーナさん。村のことは、僕がちゃんとします。だから、もう少しだけここで過ごしてみませんか?」

「わかった!わかったから、手を離して!」

 ここは店の中であって、誰も注目していないとはいえ、周囲にいる客の目が気になってしまう。

 王子は私の手をソッと置いて、大人しく引き下がってはくれた。

「帝国は、権力があっても無能な者には厳しい所だけど、能力が認められれば地位を得られます。僕は、必ず認められる人間になります」

「まるで、帝国に永住するような物言いね」

「はい!エカチェリーナさんのためなら」

 ニコニコしながら言われたことに、落ち着くために口にした食後のお茶を吹き出しそうになった。

「ちょっといい?貴方は子供なのよ?わかってる?」

「はい。確かに僕はまだ未成年で、エカチェリーナさんに確実なお約束をすることができません。でも、必ず僕がエカチェリーナさんに相応しいと証明してみせます」

 呆れていた。

 ここまで純粋にバカになれるのかと。

 ヴェロニカさんのことが心配で、村のこともあるから、正直に言えば私が帝国に永住などあり得ないことだ。

 でも、王子のこの勢いに押されれば、頭ごなしに拒否はできないでいた。

 ヴェロニカさんの出産予定日がもうすぐだから、それまでは何も起きないはずだと、ほんの数日だけここで過ごしてみようと思ったのは、楽しかったからだ。

 王子と過ごすこの時間が、素直に楽しいと思えていたからだ。

 もう少しだけと、それが私の、甘いことを夢見たが故の判断ミスとなったと知るのは、数日後のことだった。





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