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10 結婚できない理由

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 まだ王妃だったあの時の私は、王家に嫁いで簡単に離婚を選択するなど、無責任なことだと悩まないわけではなかった。

 私が国の将来で悩む事なくアルテュールとの別れを決意できたのは、あの日、私の元を訪れたあの方の言葉があったからだ。

 前王の異母弟で、アルテュールの叔父にあたるティメオ・ローハン公爵が、城の執務室に籠らざるを得なかった私を訪ねてくださった。

 アルテュールに暴力を振るわれ、離婚を決意したあの日より数日前に遡る。

 ローハン公爵とは何度か公的にお会いした事はあったけど、個人的な話をするような間柄ではなく、アルテュールの事で何かお叱りを受けてしまうかもしれないと、少しだけ不安はあった。

 でも、予想に反して客間で対面したローハン公爵は物腰が柔らかくて、とても話しやすかった。

 黒髪を肩に届くくらいに伸ばしており、深い青色の瞳は落ち着いた雰囲気を見せている。

 あまり華やかな場には姿を見せないけど、アルテュールとは異なる系統の整った顔立ちは貴婦人の憧れの的で、高い統率能力もあって騎士達の信頼も厚い。

 ローハン公爵は、騎士団の顧問も務めていた。

 騎士団だけでなく、あらゆる方面からの相談役を引き受けたりもしている。

 ローハン公爵が上手く立ち回ってくださっているから、アルテュールが若くして即位しても混乱は生じなかったとも言えるかもしれない。

 私とはひと回り歳が違うのだけど、私がローハン公爵と同じ年齢になった時に、彼のようになれているとは思えない。

「突然の訪問をお許しください。本日は妃殿下にお伝えしたい事があり、参りました。マヤの兄、ジェイデン・バーンズ男爵から相談を受けた事です」

 挨拶を交わすと、気品あふれる姿で姿勢良く座っている、そんなローハン公爵が丁寧な言葉で話し始めた。

 その声は、とても温かみのある声だけど、

「あの、ローハン閣下。どうか楽にされてください。貴方様に畏まられると恐縮してしまいます」

「そうはいきません。貴女は王妃なのですから」

「…………」

 正統な王位継承権を持つ、誰からも信頼されている方に敬われた態度を取られると、心中は複雑だ。

 王妃であっても、自分はそれに値する価値はあるのかと。

 王妃という冠を被った、ただ利用されるだけのただの小娘に過ぎないと。

 膝の上に乗せた手で、指先に触れたドレスをギュッと握った。

 アルテュールに軽んじられている自分の不甲斐なさが、ローハン公爵にはどのように映っているのか。

 この時はまだ、マヤに見下された笑いを向けられた時よりも、ローハン公爵に叱られる方が辛いと思っていた。

「えっと……それで、男爵からはどんな相談を……?」

 不安と自信の喪失から、徐々に声は小さくなっていた。

「はい。マヤは、正確には血の繋がりがない妹だそうです。男爵の実の妹である本物のマヤは、幼い頃に病死しています。結果的にアルテュールを騙していた為罰せられるのではと恐れていました。前バーンズ男爵は、王族を欺くつもりはなく、ただ、病死したマヤにあまりにも酷似していたから孤児であった少女を引き取ってきたと」

 ローハン公爵から伝えられた事は、少なからず驚きがあった。

 では、アルテュールが幼なじみだと思っていた少女はすでに亡くなっており、このお城にいるマヤは元々はバーンズ家の生まれではなかったと。

「お父様がマヤさんの情報を守ろうとしていたのは、平民出身だと言うだけではなかったのですね」

 国王の隣に当たり前のようにいるマヤがどんな人物なのか、こぞって記者達が暴こうとしていたのを、お父様が情報統制していた。

 そして私にも、出来るだけ王家が平穏であるように手助けしてあげろと仰っていた。

「それだけではありません。引き取られた少女が孤児となった原因は、両親が赦されない犯罪に手を染めたからです」

「その言い方は、まさか……」

「少女の両親は密猟者でした。それも、白鹿の」

 思わず、自分の口を両手で押さえていた。

 信じられないと。

 リカル公国に不法に入国して白鹿の密猟を行った場合、多くはホルト王国に面した海から逃走する。

 マヤの両親はホルト王国内で捕縛されて、そのまま罪を問われて罰を受けたのだ。

 両親がどちらも罪を犯したということは、海外から部族単位で密猟を行いに来た者達となる。

 海を越えて国を越えて、わざわざ禁忌を侵しにくる行為は理解できないものだった。

 その土地ではその土地の大切なものがある。

 遵守しなければならない法があるのだ。

「それでは、あのマヤさんは、どうあってもアルテュール様の妻となる事はできません」

 二人の間に子を成すなど以ての外。

 二人がただの平民だったなら、何の問題もない。

 シシルカの教えの通りに、犯罪者の子供にまで罪を問わない。

 でも、その血が王家に入る事までは認められない。

 アルテュールにはこれまでも、マヤさんを妻にはできないとは伝えていた。

 それは、元平民のマヤさんでは難しいと、そのつもりだった。

 でも、これでは、意味合いが全く違ってくる。

 こんな背景を知った上で、私はあの二人に尽くしていかなければならないの?

 これだけ惨めな思いをさせられているのに。

「だからと言って、貴女が離婚を考える事を躊躇する理由にしなくてもよいのです」

 後悔と絶望に襲われていると、公爵様から思いがけない言葉をかけられていた。

「離婚……?」

 今、初めてその言葉を意識した。

 それまで、王妃の自分がアルテュールと離婚するなど思ってもいなかった。

「私が、アルテュール様と離婚?でも、国に混乱を招きたくはありません」

 国の事を考えなければならないのに。

 私が離婚を選択した結果、どのような影響が出てしまうのか。

 簡単に離婚という言葉に縋る事はできない。

「貴女が犠牲になっては意味がありませんよ」

 ローハン公爵様の言葉は、諭すようにどこまでも穏やかだ。

「前王夫妻は、貴女に頼りすぎでした。不安の残るアルテュールを押し付けたとも思っています」

「私はそうは……前王妃様が仰っていました。アルテュール様を甘やかしてしまった事を悔やんでいると」

 彼は、一人息子だったから。

「前王妃様は、アルテュール様の望む通りにマヤさんを城に招いた事を後悔していると。アルテュール様とマヤさんを守って欲しいと頼まれたから、私は今までもこれからも……」

「それを貴女に押し付けたと言うのです。子供には甘い顔を見せ、他人である貴女に責任を押し付け。貴女は精一杯誠意を示して努力なされました。今後の事を貴女が気に病むことはありません。身内である私が甥を制する事ができなかったからです。貴女に辛い思いをさせてしまったのは、私の責任です」

「閣下のお立場もありますから……」

 身内だからこそもどかしく思い、言いたくても言えないこともあったはずで。

「貴女を守れずに、申し訳ありません」

 座った状態であってもローハン公爵様から頭を下げられて慌てた。

「やめてください、ローハン閣下」

「貴女はここまでよく頑張りました。後の事は私が引き受けます。貴女の事も、貴女の御家族の事も、国民も、私が守ります。なので、貴女が望む通りになさってください」

 顔を上げた公爵様は、決意したような言葉の一方で、青い炎を灯したような静かな瞳で私にそれらを告げた。

 そんな様子に、これが本来の大人のあるべき姿なのだと感心した。

 少しだけ心が楽になった私は、

「まだできる限りの事をしていません。アルテュール様と話してみます。少しでも印象が改善するようにマヤさんの問題点についても話して、できる事はお願いしてみます。それでもダメなら、その時は離婚を考えたいと思います」

 その日の最後に、ローハン公爵様にはそう話していたけど、結果が思わしくなかったことは頬の痛みと共に思い出す。






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