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バッファルケルン王国事変

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「生存してくれていれば、まだ救う手立てはあるのか……」

 希望的な言葉とは裏腹に、ケニーさんは難しい顔で思案しています。

 状況が厳しいこともわかっているようでした。

「おじさんは教会の状況を確認してくるよ。君達はどうする?光属性の魔法使いが到着するまでは、ここの方がまだ安全かもしれないよ」

 話を聞き終えたケニーさんは、早速、動き出そうとしていました。

「もう、バラバラには動かない方がいいだろ。俺達も行く。立てるか?ステラ」

「はい」

 いつまでもこの場に座り込んでいるわけにはいきません。

 ディランさんの手を借りて立ち上がると、急いで屋敷の出口へと向かいます。

 外に出ると、なんとなく空気が嫌なものに変わっていました。

 相変わらず人の姿は見えませんが、私でも感じます。

 嫌な視線を。

 ディランさんもケニーさんも、周囲を警戒しながら、同時に無言で剣を抜いていました。

「行こう」

 ケニーさんが駆け出し、私とディランさんも続きます。

 ディランさんは、距離を確認するように私の手を握っていました。

 さらなる異変が起きたのは広場に到達したところでした。

 急停止したケニーさんが振り向いたかと思うと、突然剣を私の方へと向けて斬りかかってきました。

 と、同時にディランさんに手を引かれて、頭を押さえつけられます。

 直後、背後からギャッと、獣の断末魔の悲鳴が聞こえ、見ると、小さな生き物が地面に倒れていました。

「構えろ。次がくる」

 ケニーさんが警告しながら頭上を見回して、ディランさんも体勢を整えて剣を構えます。

 教会が見えてきたところで、何かに囲まれていたのです。

 木から木へ飛び移る姿は、幼い頃にタリスライトの移動動物園で見た猿を思わせますが、これはもっと凶暴な存在です。

「ケニー!ステラを挟んで、俺の背後にいてくれ」

「おお。おじさんに背中を預けてくれるの?嬉しいなぁ」

 これだけ素早いものは、私の影で捕らえる事が難しいです。

 飛びかかって来た一匹が、ディランさんに斬り伏せられました。

 一匹自体は大した存在ではなくても、数が多過ぎです。

 ディランさんとケニーさんで対処していましたが、この数ではそれも限界があります。

 ずっと緊張と集中を強いられることになります。

 こんな事態に直面するのは初めてで、私にできることを一生懸命に考えました。

 ディランさんとケニーさんのおかげで、その時間が与えてもらえています。

 知能がどれほどかはわからないので、精神に干渉することは難しいことと思います。

 それならばと、正体不明の猿もどきが足場にしている木々に願いました。

 周辺にあった蔦が猿もどきに絡みついて動きを封じ、伸びた枝が猿もどきの体を貫きます。

 辺りに、無数の断末魔の叫びが響きました。

 やはり、ここでも私にできることは足止めに近いことでしたが、これで、少しは数を減らせたでしょうか?

「よくやった、ステラ」

「おおお、ステラちゃんの魔法?おじさん、感動したよ」

 ディランさんとケニーさんの視線は猿もどきからは外れませんが、私にそんな声をかけてくれました。

 数はかなり減りました。

 でも、一息つけるどころではなかったです。

 仲間がたくさん殺されたのに、残った猿もどきは怯むどころか、一斉にこちら側に飛びかかってきたのです。

「ディランさんっ」

「そこを動くな」

 それに焦ったのは私だけのようでした。

 私が石のように硬直している間に、ディランさんとケニーさんが演舞のように呼吸を合わせて猿もどきを葬っていきました。

「今のうちに教会に走れ」

 ケニーさんの声に、ディランさんが私の腕を掴むと走り出し、必死に足を動かして建物へと向かいます。

 背後ではまだいくつかの獣の悲鳴が聞こえたので、ケニーさんが処理しながら後ろを走って来ているのかもしれません。

 その様子を確認できないまま教会に駆け込むと、扉はすぐさま閉められていました。

 でも、何も安心することはできないようでした。

 私達は壁際の、鎖に繋がれた女性の姿に真っ先に気付きました。

 その女性は、こちらに襲いかかろうともがいています。

 そして、自分の目を疑いました。

 扉から見た正面の祭壇に、赤ちゃんがいたのです。

 バタバタと手足を動かしている様子を見る限りは元気そうです。

 ディランさんと、ケニーさんが女性や周囲に警戒の視線を向けながら移動していきます。

「近付いても大丈夫そうか?」

 私が警告しなくても自然と足を止めたお二人であり、ディランさんからそれを尋ねられました。

 赤ちゃんの周りには、魔法陣が描かれていました。

 どんな意味を持つ魔法陣なのかは分かりませんが、それは、赤ちゃんを守っているように見えます。

 お二人の前に出て、祭壇にさらに近付きました。

「調べてみます」

 複雑な紋様は、なんとなくしか意味は理解できませんが、魔法陣に迂闊に触れると体が吹き飛んでいたことと思います。

 ジェレミー様が以前に魔法陣について解説してくださったことを思い出しました。

 流れを観察して、魔法陣の結び目のような場所を探して、そこからそっと手を入れます。

 他者の魔力に触れた瞬間は、ゾワリとした嫌な感触を覚えて肌が粟立ちましたが、循環する魔力を吸い取りながら、中に足を踏み入れました。


“ダメよ!”

“連れて行かないで”

“私の子供を”


 脳裏に直接響く女性の声がして、それと同時に地鳴りがしました。

 もう、この世にはいない存在なのだとすぐにわかりました。

 その声はわずかに頭痛を生じさせましたが、我慢できる程度です。

 赤ちゃんに手を伸ばして抱き上げる代わりに、鞄にしまっていた人形をそこに置きました。

 お人形とこの魔法陣からは同じ魔力を感じられたからです。

“ああ、グウェン。ママとずっと一緒よ”

 赤ちゃんを抱いて魔法陣からそっと離れると、魔法陣が消失する、その直前に人形も消え、そして綺麗さっぱり何の痕跡もなくなっていました。

「ステラ、大丈夫か?」

 ディランさんの視線は、私の腕の中に向いています。

「はい。この子の名前はグウェン。ケイティの娘のようです」

 名前を呼んだ途端にあぶーっと、可愛らしい声をあげています。

 思わず微笑んでしまいます。

 でも、と、教会の端に視線を向けました。

 鎖に繋がれたあの女性がケイティなのではないでしょうか。

 彼女の目の色が何色だったのかは、白く濁った様子からは知ることはできませんが、グウェンと同じ金色の髪をしています。

 生前の面影をまだ残す彼女は、自分の子供を襲わないようにああやって、自らを鎖で繋いで……先ほどの魔法陣も、子供を守るためにケイティが施したのではないかと。

 あの魔法陣の中では時間の流れが緩やかになり、だから長い間、グウェンが一人でも平気だったのです。

 それらのことを、ディランさんとケニーさんに伝えました。

 これは、時を操る魔法と呼べるものです。

 彼女は、誰から魔法を授かったのか。

 最後は自分の子供を守るために使って。

「ケイティの娘が生き残っていたことが、せめてもの救いか…………」

 私と同じように壁側の女性を見たケニーさんの呟きは、悲しいものがありました。



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