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3章:雪中訓練

5話:雪原の向こうで(チェスター)

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 翌日、モヤモヤした気持ちは晴れないまま外は穏やかな様子で明るい。ただ、夜中に降ったのだろう新雪が積もっていた。

「今日は山登ってそこで一晩泊まるからねー」

 朝食を食べながらウェインが言うと、あちこちから「えー!」という声が沸き起こってくる。

「この山を登って五合目でビバーク。ただし、天候が荒れるようなら途中で引き返すよ」
「装備は?」
「スコップ持ってく。あと、火打ち石もね」
「やり!」

 これがあるだけで違ってくる。昨日みたいな杭と木槌は流石にもう無理だった。


 体も温まり、装備を調えた面々がロッジの前に一度整列する。案内役のウェインが先頭。次はランバートやハリーといった雪に慣れた面々が足場を固めつつ進む。ゼロスやコンラッドも続き、真ん中に小柄で体力の心配そうなクリフがいて、ラウルやチェルルもここになった。そして後続をドゥーガルド、レイバン、ボリス、チェスター、リカルドが続いた。
 途中で疲れたらこれらがローテーションしていくそうだ。やはり先頭集団は足元を固めたり周囲を警戒したりと疲れるらしかった。

 登山口に立つと、確かに新雪で道は分かりづらい感じではあるが未踏の地という訳ではなさそう。道は二股で、ウェインは山頂へと向かうルートを進む。片側が崖になっているものの、険しい場所の岩壁にはロープが張られていて登りやすくなっている。
 山もそれほど厳しい急斜面などはなく、比較的なだらかな感じだ。おそらく夏なら子供でも楽に登れるのだろう。

「案外ちょろい?」
「そうでもないよ。冬は足元も悪いし、野生の獣も出るからね。この時期にここを登るのはこうした獣を撃つ猟師がほとんどなんだ」
「例えば、どんな獣が出るんですかウェイン様?」
「狼、猪が多いみたい」
「……最悪」

 全員が腰につけた剣の意味を痛いほどに理解した瞬間だった。

 だが天候に恵まれたこともあり、雪を踏みしめ順調に登っていけた。正午をやや過ぎたくらいに五合目に到着した全員は、開けた場所に思わず声を上げた。

「広い! それに景色がいい!」

 それまで文句を言っていたレイバンが嬉しそうな顔をして目の前に広がる景色を楽しんでいる。
 五合目には丁度良く広い場所があり、それこそ雪合戦もできそうなくらいの平地だった。

「ここは昨日みたいな雪壁が見当たりませんが」

 周囲を見回したゼロスがウェインに確認している。確かに周囲に雪壁はない。
 だがここで、ウェインはニヤリと笑いスコップを手にした。

「これで、かまくらを作ります」
「…………え、今から?」
「勿論」
「マジかよ!!」

 ランバートは内容を知っていたのだろう。もう反論する余地もなくスコップを手にしている。

 かくして全員でのかまくら作りが始まったのだが、雪を掘っては積み上げ、丁寧に固めて更に積み上げを繰り返す単調作業。

「なぁ、ロッジとは反対側けっこうエグいぞ」
「え?」

 作業に飽きたレイバンが平地の端を覗き込んでいる。
 呼ばれて行ったチェスターも、その下に広がる景色にちょっとゾクリとした。

 ロッジ側は崖だが、わりとなだらかな傾斜がある。ここ五合目からは冬枯れの木々の合間からロッジが見えていたりする。
 けれど反対側はもっと自然むき出しな感じだ。垂直よりもやや抉れた感じで、下は真っ白な雪原。足跡一つない。

「あんまり端っこ行くと落ちるよ」

 ボリスが声をかけ、同じように覗き込んで「うげ」と一言残して引き下がる。レイバンとチェスターも同じように引き下がり、かまくら作りに再び戻った。

 適当に昼食を取り、更に作業を進めれば夕方前に立派なかまくらが二つ出来上がる。中に入ればそれなりに温かいものだ。

「案外快適かも」

 嬉しそうなボリスが疲れたと言わんばかりに雪壁に体を預けている。下は帆布を敷いているから直接の冷たさはない。

「一応外で煮炊きするように。あと、交代制で夜見張りね」
「分かりました」
「今日は夜、降らなければいいんだがな」

 ゼロスが不安そうに空を見上げている。
 ここ数日、日中は比較的穏やかだが夜になると降り出している。大雪というわけではないが、風に乗って斜めから吹き込んで来る感じがした。

 何にしてもとても順調。夕飯は外の焚き火を囲んでワイワイと話し、コンラッドが辛めのスープを振る舞ってくれて「辛い!」だのとガヤガヤした。
 訓練というか……遊びに来た感じもしないでもない。当然雪には慣れたし、色々教わる事もあったけれど終始楽しい。
 普段もこのくらいガヤガヤと楽しい事ばかりだといいけれど、そうは問屋が卸さないのが現実だ。

「なーんか、このまま王都戻りたくねー」

 多少カッカした体を雪に投げ出したドゥーガルドに、全員が笑って「わかるー」と返している。その表情はどこまでも朗らかだった。

 けれど、突如響いた遠吠えに場の空気は一気に緊張した。ランバート、ラウル、チェルルが周囲を警戒しながら立ち上がり剣に手をかける。チェスターは真っ先にリカルドの側に寄った。この場で武器を持たないのはリカルドだけだったから。

「これって」
「狼だ。数がいそうだぞ」

 冬枯れの木々の合間、暗闇にランランと光る幾つもの瞳を見つけ、チェスターは身を縮ませる。逞しい四肢で大地を踏みつけるその姿は悠然としていて、明らかにこちらが食われる側だった。

「全員応戦!」

 ランバートの声が狼よりも僅かに早く響き、剣を抜いた。そして、狼の牙を退けていく。
 流石としか言いようがない。ランバート、ラウル、チェルルは勿論の事、ウェイン、ハリーも足場の悪い雪の中で戦っている。
 コンラッドやゼロス、ボリスはそこまで上手く足元が捌けないまでもそもそもの武力がある。レイバンなどは的確な急所狙いだ。
 ドゥーガルドはクリフを背にしてむしろ動かず、その場で狼を追い払っている。その影で、クリフも一応は剣を抜いていた。

「リカルド先生、俺の側離れないように」

 これでもスキーなどに行かないゼロス達よりは慣れている。ウェインがウィンタースポーツ好きなのもあって、何度か近場に足を運んだ。おかげで今回も動けたのだ。

 強者を見る。武器を持つランバート達ではなく、狙いは弱そうなクリフやリカルドだ。チェスターの前にも三頭ほどの狼が牙を剥いて機を窺っている。
 ジリジリと間合いを取るうち、焦れたように一匹が前に出た。

「くっ!」

 一匹が飛びかかると後は集団だ。爪を引っかけようとしたのを剣で打ち払い、足を狙ったものはそれより先に蹴り飛ばす。立ち回りを始めたチェスターは確実に狼を退けた。
 だが死角から一頭がリカルドににじり寄るのを、寸前まで見つけられなかったのだ。

「! リカルド先生!」

 それはまだ子供だろうか。他の狼に比べれば小さいが、爪も牙も十分に人を殺める力がある。それがリカルドめがけ飛びかかっていく。

「っ!」

 敵に背を向けて走り出す。その背を僅かに狼の爪が掠めたが、今は痛みを感じない。子狼の一撃を回避したリカルドがたたらを踏んだ。その足元が突然割れて崩れていく。落ちる先は日中に見た、あの真っ白な雪原だ。

「先生!!」

 手を伸ばし、掴んだ手に重みがかかり瞬間肩が抜けたのが分かった。力が入らないが、このままリカルド一人を落とす訳にはいかなかった。

「チェスター!!」

 上から声がする。けれど、体は落ちていく。どうしようもなくただ落下していく中で、視界はどんどん消えていった。



……
………

 目が覚めた時、寒さに体が強張り歯の根が合わなかった。起き上がろうとして痛みに呻く。リカルドの手を握った右腕が肩から完全に落ちていた。

「こんな、時に……」

 腐っても第二師団。自分の身をある程度自分で守らなければならないのだから、脱臼くらいは直せる。かなり痛いが、それを言っていられない。
 嫌な音と激痛に呻きながらも、その痛みで若干意識が戻った。

 見回した先は雪の降る雪原。足跡もないそこにリカルドの姿は見えない。けれどすぐ岩肌だから、きっと落ちた先だ。
 そうなれば、そんなに遠くないはず。

「リカルド先生!! どこだ!!」

 声の限りに叫び、吸い込む冷気に喉がひっつく。鼻孔も凍ったようにひっつきそうだ。
 体を引きずって辺りを探す。すると少しして、こんもりと不自然に雪の山が現れた。

「先生!!」

 確信があった。あの時、確かに沢山の雪と一緒に落ちたのだ。
 必死になって手で雪を掘り起こしていく。その先に、雪とは違う黒いコートの端が見えた。

 そこを中心に掘り出すとやがて、白い髪が現れる。腕が見える。どうにか引っ張り出したリカルドの唇は色を失って、瞳はまったく開く気配がない。それでも僅かに唇が動いていた。

「しっかり、先生!」

 ぐっしょりと濡れる体を担ぎ、ヨロヨロしながらも岩肌に添って歩き出す。何所か身を隠してこの雪と風をしのげる場所を探していた。
 風が吹き、吹き溜まった雪が砂丘のような波紋を雪原に残す。その上を更に冷たく痛い氷の礫のような細かな雪が体や顔を打ち付ける。

「大丈夫、絶対助けるから。先生、しっかり」

 いいながら、自分を励ましている。それはチェスターも分かっている。
 足が震えて動かなくなる。歯の根が合わなくてカチカチ音がしている。意識が不意に朦朧として、数度倒れた。
 それでも起き上がり、歩き出す。どこでもいい、どこか……

 その時ふと、目の端に岩肌のくぼみを感じた。見れば人が一人入れそうな洞穴がある。入口は狭いが、這えば入れない事はない。

 助かるかもしれない……

 チェスターは先に中に入ってみる。すると入口の狭さに反して中は広めの空間になっている。これなら二人で入っても平気だ。
 一度這い出して、リカルドの体を洞窟の中に引き込んだ。

「先生……先生、起きてよ……」

 瞳は硬く閉じられたまま、唇にも血の気が戻らない。指先が冷たくなっている。

 こういう時、どうしたらいいと言っていたっけ? 確か、濡れたものを脱がすはず。

 水分の多い雪に埋もれ水を吸ったリカルドのコートを脱がせ、手袋とブーツも脱がせた。そして、比較的濡れていないチェスターのコートを着せかけた。

 ブルリと震える。コートの中はセーターと肌着だ。到底この寒さを凌ぐことはできない。カチカチという歯の鳴る音がより大きくなっていく。
 自分も濡れた手袋を脱ぎ、ブーツの締めつけを緩めた。そして冷えたリカルドの指先を服の中にしまい込み、覆うようにコートの上から抱きしめた。

「だい、じょうぶ……きっと、助ける、から……」

 きっと、助けにきてくれる。彼らならきっと、見つけてくれる。
 徐々に意識が切れてきて、フッと視界がブラックアウトする。起きていなければと気を張っても、強烈すぎる眠気は鈍器で頭を殴られたように重く響く。

 やがて抵抗も虚しく、チェスターは完全に意識を手放した。
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