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5章:恋人達の過ごし方

7話:旅立ち(チェルル)

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 雪山訓練から帰ってきて、チェルルは暫く迷ったものの全員にリカルドから聞いた話を伝えた。

 全員、重苦しく言葉がなかった。
 レーティスは途端に顔色をなくして口元に手をやり、震えながら涙を流して自らを責めているように見えた。
 ダンは悔しげに俯き、バンッと椅子の肘掛けを殴る。
 キフラスも痛いくらいに奥歯を噛み締めているのが分かった。

「どうしよう……」

 ハクインがポロポロと沢山の涙をこぼしている。その横ではとても不安そうなリオガンがハクインを抱き寄せて、胸元に顔を隠して肩を叩いていた。

 チェルルも、どうしたらいいかなんて分からない。過去は変えられない。死にかけるような無理をしたのはチェルルも同じだ。主の命を縮めるような事をしたのはチェルルも同じだった。

「……今後、絶対に無理をしない。死にかけるような無茶をしない。それしか今はないだろ」
「キフラス……うん」

 重苦しいキフラスの言葉にただ頷く。本当にそれしかないのだから。

「やりきれねぇ。あの人に、こんな所まで迷惑掛けちまうなんて……情けねぇ」

 ダンが悔しげにもう一度椅子を殴る。だがそれで、収めたように思えた。

「騎士団でも事情は察したって。今は、生きてるって信じて早く助け出さないと」

 チェルルはグッと拳を握って誓う。早く……早く会いたい。



 明日、とうとう出発となる。明日の朝には騎士団が迎えにくる。
 その前夜、チェルルは意を決してハムレットの私室の前に立った。どうしても伝えておきたい事があったからだ。

 コンコンとノックをしても返事がない。でも、いるのは知っている。起きているのも知っている。部屋の隙間からは明かりがほんのり漏れているし、気配がちゃんと中からしている。
 チェルルはドアを開けた。鍵はかかっておらず、簡単に開く。
 中ではドアに背を向ける形で、ハムレットが黙って座っていた。

「不法侵入だよ、猫くん」
「ノック、したし」
「招いてないよ」
「話、したかったんだもん」

 部屋に入ってドアを閉めて、その背中を呆然と見つめる。視線は自然と切なくて、声はバカみたいに震えていた。
 ここしばらくハムレットはチェルルを無視している。帰ってきて声をかけても知らない顔をして通り過ぎるし、「話をしたい」と言っても聞かないふりをしている。
 でも、丸わかりなんだ。チェルルを見る時、一瞬だけれど眉根が悲しそうに寄っているから。

「僕に話す事なんてないよ」
「先生聞いて! 俺……俺、先生の事が好きだよ」

 ビクリと、肩が震えた気がした。背を向けたままで、でも反応はしている。
 この気持ちを自覚した。悪戯や遊びの様に仕掛けられるキスに最初は驚いていたけれど、思えば最初から嫌いじゃなかった。おかしな事だと思う、同性で。しかもそんな趣味はなかったはずなのに。

 ランバートの恋人がファウストだと知ってからは、日に一度くらいキスをされるようになった。誰もいないときに来て、深く唇を奪われるようになっていた。
 ドキドキと、心臓が妙な速度で動いた。行軍前の緊張にも似ているのに、昂ぶりはない。甘く背中が痺れて、頭の芯が痺れて、もっと欲しいと思えてしまう。
 驚きはなくなった。切なさと待ち遠しさが増えた。戸惑いは限界だった。そもそもハムレットはどうして、こんな事をするのだろう?

 最初はからかいだったはずだ。楽しそうに突いて、リアクションを楽しんでいた。
 けれど西から帰ったくらいから、楽しげな雰囲気はなくなっていた。切なくて、熱くて、ギラギラしていた。濡れた瞳が見つめて、時々は一度で収まらずに続けて二度、三度と唇を交えた。

 こんな時、この人になら貪るようにされてもいいなと思うようになった。
 多分、最愛のランバートが一人を選んで幸せそうだから、寂しかったんだ。弟離れできないお兄ちゃんが、それでも無理矢理離れようとして苦しんでいるんだと思う。
 それでいい。その隙間でいい。遊びでもいいから、ここにいたくなった。

 知っていたはずなのに。ほんの一時の出会いでしかないんだって。

「先生、俺本気だよ。俺、先生の事が好きだ。だから……」
「君は一時保護した迷い猫でしょ。本当のご主人の所に帰りなよ」
「でも先生!」
「君は前の主人を捨てられないじゃないか!!」

 思った以上に大きな声が返ってきて、ビクリと体を竦ませる。
 立ち上がり、振り向いたハムレットの瞳は狂気じみて濡れていた。動けないまま、大きな歩幅で近づいてくるハムレットは徐にチェルルの胸ぐらを掴むと噛みつくようにキスをする。いきなり舌を絡め取ってグチャグチャに混ぜるような、痺れるようなキスだった。

「ぅふ……はぁ、はんぅ……」

 切なくて、苦しい。涙出そうだ。何も怖く無い。もっと、欲しい……

 角度を変えながら何度も、飲みきれない唾液が口の端を伝い落ちて、足も腰も立たなくなってもまだ目の前の人は濡れた視線を向けてくる。

 ねぇ、先生寂しい? 泣きそうな顔してる。少しは、好きでいてくれる?

 手が離れて、そのままズルズルとへたり込んだ。それでもハムレットはイライラした様子で背を向けてしまう。言葉はないままだ。

「……先生、飼い猫の義務は果たしてくる。大事にしてくれた主を、助けてくる」
「……」
「でもそれが終わったら俺、ここに帰ってきたい。先生の側に、帰ってきたい」
「……どうやって」

 それを言われると、何とも言えない。チェルルはぺたんと床に座ったまま、俯いた。

「君はテロリスト。事が収まれば国外追放されて二度とここには戻れない。分かって言ってる?」
「それは! でも、何とかして戻って」
「確信のない事言わないでくれる?」

 睨み降ろすような冷たい視線。けれど、揺れている。苦しそうに。

 自分の行いを、こんなに後悔する事はない。過去の自分を消し去りたい。主の為に生きてきた。あの楽しくて幸せな場所を取りもどしたくて必死だった。
 あの頃は、こんな出会いがあるなんて考えもしなかった。仕えたい主じゃなくて、ただの一人の人として側にいたい人に出会えるなんて、思ってもみなかったのだ。

「それでも……それでも戻ってくる。戻ってくるから、そうしたら……俺の事、側に置いてくれる?」

 答えは結局返って来ない。振り向く事もない。離れていく背中が拒絶している。ランバートとファウストの事を認めた時みたいに、凄く無理矢理見切りをつけようとしている。

「先生……」
「バイバイ、猫くん」

 背中越しの言葉。それが最後だった。



 この夜は眠れなかった。布団の中で小さく丸くなったまま、ずっと泣いていた。泣いて泣いて、気付いたら外が明るくなっている。瞼は重くて、少し頭痛がした。
 早すぎる朝食をキフラス達と過ごしても、ハムレットの姿はなかった。リオガンが落ち着かなくしている。レーティスも不安そうな顔をした。

「もぉ、二人とも落ち着いてよ」

 チェルルはへらへらと笑った。笑える訳がないけれど、そうでもしないとこの場の空気がどうにもならない。
 完全にフラれて、見切りをつけられた。それだけなんだ。

「それより、皆お願いね。俺、先に行くからさ」
「問題無い。気をつけろよ」
「有り難う、キフラス」

 心配そうな緋色の瞳。年の近い兄貴みたいなこの人に散々尻拭いしてもらったから。

「チェルルの荷物の中に、仕込めるものは色々仕込んだから。煙幕、閃光弾、臭気弾に、音爆玉に、小型の火薬粘土も」
「そんなに! 大変だったじゃん」

 ハクインはとても心配そうな顔をして、次に目をウルウルさせた。本当に、意地っ張りで可愛い弟分だ。

「チェルル、心配だよ。俺、弱っちいから側にいられないけれどでも、出来るだけはしたから」
「分かってるって、受け取った。有り難く使うよ」
「うん」

 泣き出したハクインの頭を撫でて笑ったチェルルは最後の料理を放り込んで、荷物を担ぎ、腰に武器を差し、服の裏にも色々仕込んだ。冬用のコートは仕込む場所も多くていい。

 このコートをくれたのもハムレットだった。寒そうにしていたら、首に毛皮のついた気持ちのいいコートを建国祭のプレゼントだってくれたんだ。

 見回しても、彼の姿はない。けれど、時間は許してくれない。
 迎えを知らせる呼び鈴が鳴った。これが、タイムリミットだ。

「行ってくる。先生の事も、よろしくね」
「気をつけて、チェルル」
「うん。アルブレヒト様、絶対に見つけてくるから」

 全員とギュッと抱き合って別れを惜しんで、チェルルは背を向けた。せめて最後に顔を見て、抱きしめておきたかった。お別れと、有り難うを言いたかった。

 その時、硬い声がチェルルを呼び止めた。この屋敷の執事が手に何かを持っていて、近づいてくる。そしてそれをチェルルの前にだした。

「ハムレット様からです」
「これ……」

 それは、どう見ても首輪だ。そしてこの首輪をチェルルは知っている。飼い猫のニアと同じ首輪だ。

 飼って、くれるってこと? 待っててくれるってこと? 猫に首輪つけるって、そういうことだよね?

 ぶわっと涙が溢れて、困ってコートの袖で拭った。仕込んでいるからなんかゴツゴツする。涙を拭って笑って、それを手に持って自分で首につけた。
 正直、キフラスは顔をしかめた。でも、チェルルはこれでいいんだ。これで、十分なんだ。

 ニアとお揃いの色とデザインの首輪だけれど、鈴はついていない。そのかわり迷子札がついている。住所はこの屋敷。主人の名前には「ハムレット」と書いてあった。
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