恋愛騎士物語1~孤独な騎士の婚活日誌~

凪瀬夜霧

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7章:ネクロフィリアの葬送

9話:穏やかな時間

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 感覚が徐々に戻ってくる。浮き上がった意識が、優しく温かく頭を撫でる手の感覚を伝えてくれる。優しすぎてもどかしいくらいだ。

「目が覚めたか?」

 優しくて、穏やかな声が聞いてくる。目が開いているんだと、ぼんやりした視界に映る映像で気づく。

「ファウスト様……」
「まだ休め、顔色が悪い」

 頬に触れる。その手が、熱く感じる。でも分かっている、冷たいのは自分の体だと。

「すみません」
「謝るくらいなら勝手をするな、馬鹿者」

 そう言いながら、声は穏やかだ。向けられる黒い瞳は気遣わしげで、優しくて、困っていた。
 思わず笑った。夢の中のこの人そのままで、なんだか可笑しくなってしまった。

「なんだ?」
「夢の中の貴方がそのまま、目の前にいるようです」

 素直に言うと、ファウストは目を丸くして凝視している。その顔が少し抜けていて、更に笑った。

「ずっと、夢を見ていた気がします。変ですよね、夢の中でも貴方は困ったように笑うんです。俺はそれを見ながら、悲しくなって泣きそうだった」
「ランバート」
「よかった。貴方の顔が、声が聞けて。俺、貴方の側が好きみたいです」

 するすると心が言葉になるのは不思議だ。今だけは、許されている感じがした。違う、許したのかもしれない。自分自身に、許しを与えたのかもしれない。
 目の前で、ファウストは驚きながら顔を赤くする。でも手は、ずっと頬に触れている。

「すいません、気持ちが弱るとダメですね。俺の言った事、全部忘れてください」
「お前がそう望むなら、そうしてやる」

 溜息をつきながら、手に手が触れた。確かな温かさ。指の先にもそれが伝わって、ちゃんとここにいるんだと確信できる。それがとても、幸せだった。

「元気になったら、説教だ」
「はい」
「降格だぞ」
「白に戻りましょうか?」
「言ってろ、アホ」

 憎たらしい様子で言うのに、小さく笑う。この何気ない時間を幸せに思える事が幸せだ。それを今なら感じられる。

「早く、元気になれ」

 言いながら、強く手を握る人の手を精一杯の力で握った。それほど強い力は入らなかったけれど、確かに握り返してくれる事が嬉しかった。

◆◇◆

 日常はもの凄い勢いで迫ってくるものだ。翌日には起き上がり、友人達が雪崩のように医務室に来ては声をかける。そんな、慌ただしくも楽しく、幸せな日常だ。

「それにしてもさ、昇級試験から一ヶ月もしないで降格になる奴って、いるのな」
「先輩に聞いたら、こんな奴初めてだってさ。ランバート、一つ歴史作ったね」

 レイバンがからかうように言い、ハリーも同じように言う。

「黒歴史って言わないか、それ」

 呆れた様子でドゥーガルドに言われたら世話ない。みんながドッと笑った。

「はいはい、あまり騒がないように!」

 病室の騒ぎを聞いて、エリオットが溜息をつきながら入ってきた。その手には紙の束。それがランバートの前にドサリと落ちてきた。

「……え? 何これ?」

 数センチはある紙束に、レイバンが引きつった笑みを浮かべる。ランバートは既に知っている。今朝方通達があった。

「記憶力のテストと、判断力のテスト、反省文、始末書。これが終わったら反射テストも行うから」
「うわぁ……」

 お気の毒、という顔でボリスとコンラッドが苦笑する。正直テストが苦手というドゥーガルドが、そそくさと逃げる姿勢を見せている。

「そういうことで、忙しいですから帰りなさい」
「そうしまーす」

 とばっちりを食らってはかなわない。そんな様子で帰って行く友人達を見送りながら、ランバートは目の前の紙に邁進し始める。悲しいかな、反省文と始末書はあっという間に終わった。

「よい友人ができたね」
「過ぎた友人です」
「そうでもないよ。トレヴァーがもの凄く陳情してた。自分のせいでランバートが重い罰を受けるのは納得できない。原因になった自分も同じ罰を受けるって」
「あいつは本当に」

 そう言いながらもその気持ちが嬉しくて笑みがこぼれる。その様子を、エリオットも笑みを浮かべて頷いて見ていた。
 テストは簡単に終わった。その結果を見て、エリオットも頷いている。

「正常時のテストの結果と大きな差はありませんね。どうやら脳や神経系への後遺症はないようです。体の不具合は感じていますか?」
「いえ、これと言って。痺れた感じもありませんし、思い出せない事もありません」
「それは良かった」

 言いながらも、どこかエリオットの表情が晴れない。それに首を傾げ、ランバートは問いかけた。

「困った事がありましたか?」
「え?」

 しばし黙り込んだエリオットは、次には困った笑みを浮かべて椅子に座る。次には空気が沈み込むのが分かった。

「エリオット様?」
「つくづく、自分が嫌になってしまったんです」
「どうしました?」
「あの男の研究記録を読んでいるんですが……その素晴らしさに息をのむんです。人体実験の恐ろしい記録であるのに、その非道さも知っているのに、魅入られたように読んでいる自分がいる。それに気づいた時に、自分の事が嫌になります」

 吐き出すような言葉だった。けれどランバートはそれに、首を横に振る。ランバートもその気持ちは察することが出来たから。

「医学も薬学も、多くの犠牲と失敗の上に発展を遂げる分野です。研究する人間にとって、人命も倫理も罪悪感もかなぐり捨てた者の異常なほどの研究の結果は、魅力と魔力を感じますよ」

 失敗に人の命がかかる。だからこそ不用意にそうした事はできない。それが普通の人間だ。だが同時に、もどかしさも感じる。そんな時に、理性を捨てた悪魔の実験は魅力を感じる。そういう感覚はあるのだろう。

「あの男の研究、何か拾えますか?」
「えぇ、それはもう。あの男は自分の作った毒の研究結果を事細かに記録していました。投与された人間がどのような変化を起こすか、その詳細を。これを元に改良を重ねれば、良薬が出来るかもしれません。それこそ、多くの人を救える薬が」

 パッと表情を明るくしたエリオットは、次には恥じ入るように赤くなる。それを見て、ランバートは笑った。この人は根っからの研究者なんだろう。

「エリオット様は、立派なお医者様ですよ」

 そう言うと、エリオットは顔を真っ赤にして俯いた。


 ランバートの処分は、周囲からは厳しいと見えるものだった。降格処分と、一週間ファウストの元で雑用。だが、ランバートにはそんなに厳しいものには思えなかった。退団を迫られるかと思ってドキドキしていたのだ。
 降格だって一つだ。元が青の十であることを考えれば、一つ減ったからと言ってそんなに変わるとは思えない。一週間の雑用は、おそらくファウストが安心したいからだと思えた。

「何にしても、よう生きて戻ってきた」

 エリオットから通常生活に戻っていいとお墨付きを貰った日、早々にシウス達に攫われた。そして今、宴会に招かれている。
 背中をバンバンと叩いて無事を祝うシウスの側で、オスカルまでもがうんうんと頷いた。

「ほんと、担ぎ込まれた時には生きてるなんて到底信じられなかったよね。すんごく冷たかったんだから」
「ご心配おかけしました」

 素直に頭を下げると「うわ、気持ち悪い!」とオスカルがからかう。でも今日ばかりは頭が上がらなかった。
 ファウストは不機嫌な顔で隣にいる。あれ以来、どうも機嫌が悪い。原因は自分なのだろうが。

「ほら、飲んで飲んで。あっ、でも飲み過ぎないで」
「どっちなんですか」
「ほどほどじゃ」

 陽気な二人はそう言いながらもお酒を注ぐ。それを少しずつ飲みながら、ランバートは隣のファウストを盗み見る。

「怒っていますか?」

 小さく聞いてみると、黒い瞳がこちらを見る。そして、深い溜息が返ってきた。

「怒らないと思うのか?」
「いえ、すいません」
「まったく」

 言いながら、それでもクシャリと頭を撫でる人は、許すように笑った。

「体はいいんだな?」
「はい」
「それならいいんだ」

 心からの安堵が見える表情で笑う。それにつられて、ランバートも笑った。

「明日から容赦なくしごくから、覚悟しろよ」
「お手柔らかにお願いします」

 そんな事を言いながら、乾杯をする。それはいつも通りの日々が戻ってきた瞬間だった。
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