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「この事件はスカイセキュリティホテルで殺された江藤先生の事件と繋がっていると思うんだよ」

 ハルはそう言うと、「以上」と述べ、帰り支度を始めた。しかし、いざハルが立ち上がると、百地が立ちはだかった。ハルは「退路には百地」とことわざのようにつぶやいて、諦めて再び席についた。

「ハル、それだけじゃ流石に言葉足らずだわ。詳しく話して」と私が言うと、ハルは「時雨姉さん」とこちらに向き直る。
「時雨姉さんは、本当に江藤先生を殺したのが東堂ひなただと思う?」

 答えに詰まった。正直なところ、判断しかねていた。スカイセキュリティホテルの監視カメラには一切犯人は映ってなく、ホテル側は『本人確認は完璧だった、間違いなく東堂ひなた本人だ』と証言している。チェックイン記録にも東堂ひなたの名前が記載されていた。状況的には東堂がやったとしか思えないけれど、取り調べをすればするほど分からなくなっていた。取り調べでの東堂が演技だとも思いづらい。

「僕は違うと思う」とハルが言う。「スカイセキュリティホテルの本人確認の審査は確かに厳格だ。審査に数日かかる場合もあると聞く。だけど、それはおそらく『初回』だけだ。毎回そんなに時間がかかっていたら流石に商売にならないよ」

 確かに東堂はそう言っていた。2回目からは顔を軽く確認するだけだった、と。

「東堂は黒髪で、前髪が長い。顔の大部分が隠れるほどに。だから、同じような髪形の人——あるいはウィッグでもいいけど——が江藤先生に連れられて来れば、それを東堂だと認識されてもおかしくはない。チェックイン記録に『東堂ひなた』とサインがあれば疑いすらしないだろう」
「でも、ホテル側は本人確認には誤りはなかったって言ってますよ?」と百地が言う。
「そりゃ、ホテル側はそう言うだろうよ。信用問題にかかわるからね」

 ハルは誰かが東堂ひなたになりすまして犯行に及んだ、と言いたいようだ。それは東堂の言い分と同じだった。
 同じ学校、同じ学年の女子を信じたい気持ちは分かる。
 ——ただ、

「それだけで東堂ひなたが犯人ではない、とは言えないわ」と指摘すると、ハルは「まぁ、そうだね」とペットボトルのお茶を口に含んだ。
「さっきから僕が話していることはすべて何の証拠もないこと。ただ想像力をたくましくして考えてみただけの仮説なんだけどね」とハルは前置いてから、続ける。「江藤先生は警察が押収したスマホの他に別のスマホを持っていたと思うんだよね」

 会議室が再びざわつく。隣同士の捜査員と「どういうことだ」と確認し声が聞こえる。真っ先に根を上げるのは、やはり「ハル様ァ、意味不明です。説明を求めますゥ」百地である。

 はぁ、とハルがわざとらしいため息をついてから「百地はほんとモチモチだなぁ」と蔑む。
「百地モチモチじゃありません! というか今百地モチモチは関係ありません!」ももちもっちもち、早口言葉みたいだ。
 ハルは百地を無視して、「江藤先生が死体で発見された時、スマホは持っていた?」と私に尋ねた。
「ええ、1台。ポケットに」
「でも、そのスマホには東堂とのやり取りをした形跡は見当たらなかった。そうでしょ?」

 私は頷いて答えた。

 ハルの言ったことは事実だ。スマホの契約会社に問い合わせたが、やり取りを削除した形跡すらもなかった。東堂ひなたは、取り調べで1度でなく何度も江藤とホテルに行ったと話していたが、スマホでやり取りをしたかについては「してない」と答えていた。いつも直接声を掛けられていた、と。だが、ハルはそれを否定する。

「僕と百地は江藤先生を尾行したこともあったけど、その時はスマホかパソコンかは分からないけど、メールか何かで東堂を呼び出していたよ。スマホを持っているのに使わない理由もないし。だけど、やり取りの記録は残っていない。これってどこかで聞いたような状況だよね」

「あ、百地分かりました」と百地が元気よく挙手し、「西田先生の事件と一緒です」と得意げに言った。

「そう。西田先生の事件もスマホは見つかったけど、犯人とのやり取りの記録はなかった。不自然な一致だろ? まるで意図的に隠されたみたいだ」

 話が読めてきた。その隠した人物が江藤先生を殺した犯人であり、同時に西田先生殺害事件の真犯人でもある、とハルは言いたいのだ。

「僕の下駄箱に西田先生のスマホの隠し場所が掛かれた紙が入れられていたの覚えてる?」とハルが誰にともなく聞いた。
「はいっ、百地覚えてます!」百地が挙手する。
「流石百地。もっちもち」
「もっちもちじゃありませんってばァ!」百地の嘆きは誰も拾わない。
「なんでスマホの場所を教えたのか、ハルが気にしていたアレね」と私が言うと、ハルは「そう、それ。それが言いたかった。流石時雨姉さん」とほめる。ちょっと照れくさい。
「百地をほめる時と違いますゥ! ずるいです! 時雨先輩にももっちもちって言ってください!」
「百地はもちもちな所しか褒めるところないだろ」
「ひどい!」

 百地を無視してハルが言う。「あれは多分、手当たり次第に調べられたくなかったんだよ」
「手当たり次第って、スマホをってこと?」

「警察は照会依頼を出せば携帯キャリア会社に情報開示させられるだろ? 犯人は西田先生のスマホが見つからなければ、手当たり次第にあらゆるキャリア会社に照会依頼を出されると思ったんだよ。だから、無害な方の日常使い用のスマホを差し出して、裏スマホは回収したんだ」

 なるほど。確かに1台見つかれば、そこから別キャリアのスマホは熱心には探さない。特に照会依頼は実際に情報を得るまでに時間がかかるし、一般企業を相手取るため慎重にならざるを得ない。実際にスマホが押収されなければ照会は出さないことが多い。

「ならば、江藤先生の事件も同じなの?」いつの間にかハルの隣に移動していた真里亜が尋ねた。
「うん。そうだよ。犯人は江藤先生の裏スマホを回収し、普段使いのスマホは残していった。西田先生と江藤先生、両方のスマホに真犯人を特定する証拠があるんだろ。だから、真犯人はそれを隠した。江藤先生を殺したのも、おそらく江藤先生が真犯人を知っていたか、あるいは重大な手がかりを知っていたか、だろうね」

 冴島さんが立ち上がると「至急、すべての全ての携帯キャリア会社に照会依頼をだしなさい」と支持を飛ばす。
「えぇ~?! スマホも見つかってないのにいいんですゥ?!」と百地がブー垂れた。

 事態が急転したのは、百地が弱音を吐いて項垂れている時だった。冴島さんのスマホが着信を知らせる。
 はい、とスマホを耳に当てると、冴島さんの表情がみるみる険しくなっていった。ええ、分かったわ、と電話を切る。

「聞いて」と冴島さんが声を上げた。

 その表情が事態の深刻さを物語っている。何か良くないことが起きた。それだけははっきりしていた。












「市川奏恵が自殺したわ」














 え、と誰もが言葉に詰まった。一瞬のその間にまず動いたのはハルだった。唐突に立ち上がり、走り出す。

「ハル様!」「ハルくん!」と百地と真里亜が叫ぶのと同時に私もハルの名を叫んでいた。だが、だれの呼びかけにも応じることなく、ハルは扉をあけて、出て行く。私は慌てて後を追った。
 ハルは運動神経がそんなに良くない。まだ追いつけるはず。だけど、運はハルの味方だった。ハルが乗ったエレベーターは私の目の前で閉まり切り、降下を始める。

(くそっ! 次のは、まだなの?!)

 焦る気持ちが私を階段で降りさせようとするが、思いとどまる。階段で降りるよりも、次のエレベーターを待った方が絶対に早い。ようやく到着したエレベーターに乗って、1階のボタンを連打する。

 8…………7…………6……

 いやに遅く感じる。

(ハル! 早く! ハルが行ってしまう!)

 1階に降り立つと、ドアを押し開けるように前のめりにエレベーターを出る。そのまま自動ドアを抜けて、外に出た。
 警察署の前の通りに出て、左右を見渡す。

(いない。どこ?)

 プァアアア、と車が叫びながら、私のすぐ前を通り過ぎて行く。行きかう車と人。その中にハルは消えてしまった。


 ハル……。



 心を焦がすかのような不安が静かに燃え広がるのを、私はただ立ち尽くして耐えるしかなかった。
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