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【書籍化記念】番外編

愛しい繋がり①

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「お兄ちゃん、もう、行っちゃうの」

 小さな男の子が、後ろから俺のスーツのズボンをぎゅっと掴む。振り返ってみると、その瞳はわずかに寂しげな色を宿していた。
 その場にしゃがんで、小さな少年と目線を合わせた。

「うん。だけど、また来るよ」
「本当に?」
「うん。本当」
「また、オムライス作ってくれる?」
「オムライスでも、ハンバーグでも、理央りおくんの好きなものなんでも作るよ」

 艶のある黒髪を軽く撫でてやると、少年は目を見開き口元を綻ばせた。

「だけど、次、お兄ちゃんが来るとき、ぼくもうここにいないかもしれない」

 彼の言葉の意味することが、大変喜ばしいことだと俺にはわかる。ただ、不安げに目を伏せる少年の気持ちも痛いほどにわかった。大人でさえ、環境が変わることは緊張するのだ。親のいない八歳の少年であれば、ことさら怖いことだろう。

「ぼく、ずっとここにいたいな」
「ひまわり園が好きなんだね」

 彼の口に付着したケチャップを見つけて、可愛らしさでつい頬が緩む。指でぬぐいながら、口の周りを汚したことに気づかないくらい夢中で料理を頬張ってくれたのか、と心が温かくなった。
 それならば、親のいない子供達が暮らすこの児童養護施設に来た甲斐があったというものだ。

「うん、友達もいっぱいいるし。先生も優しい。でもね、どんなに長くても十八歳までしかここには居られないって。おっきいお兄ちゃんとお姉ちゃん達が言ってたの、聞こえちゃったんだ」
「ずっと住んできた場所を離れるのは、辛いよね。でもね、理央くんがここを出るときは、理央くんと家族になりたいっていう人が現れた時なんだ。君のことをすごく大切にしたいって思う人がね」
「家族って……なに?ぼく、わからない」

 幼い少年は、両親がいて、兄弟がいる、そんな家族の形を知らずに生きてきた。純真で深く吸い込まれるような綺麗な瞳が、不安げに揺らいでいる。

「お兄ちゃんの大切な人もね、君と一緒で、家族がわからなかったんだ。突然新しいお家に引っ越すことになって、どうしたらいいかわからなくて、怖かったんだって」
「うん、ぼくも、こわいよ……」

 きっと幼い頃の蓮と蘭も、目の前の少年と同じように震えていたのかもしれない。
 大丈夫、と告げて、その小さな手を両手で包む。

「理央くんは、ここにいても、新しい家族の元へいっても、今の理央くんのままでいい。君を迎えにきてくれる人は、ありのままの理央くんを受け止めてくれるはずだよ」

 君は君のままでいい。どこにいようが、どこに生まれようが、君は君だ。自分を殺さなくていい。偽らなくていい。父と、大切で愛するパートナーが教えてくれたことを、今度は自分が、次へ繋いでいきたい。

「だから、もし。君に新しい家族ができたら。理央くんも相手のことを知ろうとしてほしい。どんなことが好きで、どんなことが苦手で、どんなふうに笑うのか。それを一つずつ知っていくとね、いつの間にか家族になってるんだ」

 きっとこれから、ともに幸せを築きたいと思う相手と出会っていくであろう、小さな身体をぎゅっと抱きしめた。
 わずかに震える小さな腕もまた、俺の背に回る。「うん、わかった」と言ってくれた少年の幸せを、強く祈った。

 ◆

「手嶋、三週間、本当にありがとう」

 空港へ向かう車内で、背もたれに寄りかかる彼に頭を下げる。

「いや、俺も達成感すげーわ。逆に同行させてくれてありがとな。この仕事関われて良かった」

 手嶋は大きく伸びをすると、持ち前の明るさで笑い飛ばした。

「改めて、企画通って良かったな」
「うん、俺も本当に実現できると思ってなかったから、嬉しい」

 今日まで丸三週間、パートーナーであり俺の雇い主でもある蓮と蘭の会社、RSグループの試験的な取り組みの一環で、全国各地の児童養護施設――つまり、保護者のいない子供達が暮らす施設を回っていた。RSグループの食品流通の営業部に配属された手嶋の力も借りて、入社して初めてこんなに長い出張を経験した。

「うちみたいに食を扱う会社はある程度フードロスの取り組みも必要だし、大きな会社であればあるほど求められる社会貢献活動の規模も大きくなるから……だったら、二つを掛け合わせちゃえばいいんじゃないかって。人件費と諸経費で会社の利益にはならないけどね」
「確かにまあ……あの巨大キッチンカー、いくらしたんだろうな」
「怖いから考えたくないね」

 まだ食べることはできるが、賞味期限の関係やいろんな事情で売りには出せない自社の食材を破棄することなく有効活用し、子供達へ美味しい食を届ける。非営利団体へ食材の提供のみを行う会社は多いが、自分たちで調理や提供まで行う会社は実はそれほど多くはない。
 蓮と蘭の二人がやたらと社会奉仕活動予算を確保していたこともあり、所属部署の企画会議で提案してみたところあっさりと通り、そのまま社長決裁まで降りてしまったのだ。
 言い出しっぺであり、もともとは調理の仕事をしていたこと俺は、そのままこのプロジェクトの指揮まで任されてしまった。初めは不安だったが、全国各地で子供達の喜ぶ顔を見れたことが何よりも嬉しかった。きっと父も、自分の料理で人を笑顔にすることが生きがいだったのだろう。今なら痛いほどよくわかる。

「でもまぁ……直接的な利益になんなくたって、企業イメージが上がればその分売り上げにも良い影響出るだろ。テレビだって映ったし」
「ごめんね、俺だけが映るはずだったのに結局手嶋にも受け答えしてもらって」
「こんな良い事して、テレビに映れるならむしろありがたいって。好感度上がって、俺モテちゃうかもな」
「何言ってんの。もうモテてるじゃん。手嶋の同期の無口なイケメンくんに告白されたんでしょ?」
「っは?な、なん、なんで翔がそれ知って……」
「出張の前にそれとなく牽制されたよ。相当好かれてるんだね」
「あいつ……」

 手嶋は途端に頬を赤く染めると、両手で隠しながらうなだれてしまった。
 誠実で、優しくて、相手の良いところに誰よりも早く気づいて、素直に口に出せてしまうような彼の魅力が、周りに伝わらないはずがない。

「言っておくけど、別に付き合ったりはしてないからな」
「良い子だと思うけど。それに彼のこと狙ってる人結構いるよ。クールだし、かっこいいし、仕事もできるし」
「べ、別に俺には関係ねぇって」
「はは。でもちゃんと、返事はしてあげなよ。イエスでも、友達からでも」
「なんでノーの選択肢ないんだよ……」

 俺が笑うと、手嶋は口をわずかに尖らせて反論する。

「てか……社長たちは、本当に良かったのかよ?俺が三週間も翔と一緒に出張なんてしてさ」
「別に二人きりってわけでもないし、仕事なんだから良いに決まってるよ。それに蓮くんと蘭くん、手嶋のことを頼りになる社員としても、俺の大事な友達としても、信頼してるよ」
「そう、なら……いいけど」

 照れたように笑う、純粋でまっすぐな彼のリアクションを見ていると、自然とこちらも笑顔になる。大切な友人であり、頼りになる同僚である手嶋とともに仕事ができて良かったと思う。
 その時、乗っていた車がゆっくりと減速し始めた。
 窓の外に目をやると、すでに空港のターミナルへと到着していた。

「じゃあ、翔、気をつけて帰れよ」

 車から降りた俺に、彼は座したまま告げた。

「え、手嶋は飛行機乗らないの?」
「俺、明日こっちで何件かアポ入れたんだよ。だから、飛行機ずらしたんだ」

 彼が持ち前の明るさやコミニュケーション能力を最大限に発揮し、営業部で活躍していることはよく知っている。何事にも一生懸命な手嶋の姿に、いつだって勇気付けられていた。

「そっか……やっぱ、手嶋はすごいね。本当に、このプロジェクト一緒に関わってくれてありがとう」
「なんか終わりみたいな言い方だな。まだまだ、規模でっかくしてこーぜ。子供が笑ってくれると、嬉しいしな」

 大きく頷いて、よろしく、と答えた。やがて走り出した手嶋を乗せた車に手を振った。長かった出張が、ようやく終わる。
 結婚して、二人と想いを通じあってから、こんなに長い間離れたのは初めてのことだ。毎日何十、何百人分の料理をし、子供たちと戯れる時間はあっという間のようで、それでも最愛の人の温もりを感じられなかった期間はひどく長くも感じる。

「よし、帰ろう」

 最小限の荷物だけを詰めたキャリーバックを引きながら、空港へ向かって歩を進める。あと何時間後に、蓮と蘭に会えるだろうか。出張中は毎日くたくたで、ろくに電話やメッセージのやりとりもできていない。早く、会いたい。二人の顔が見たい。

――今から、飛行機に乗ります。

 一言だけ二人にメッセージを送り、スーツのポケットへスマートフォンをしまう。すると間髪入れずにポケットの中身が振動した。
『まだ、乗らないで』
 蓮からだった。飛行機に乗るなとは、いったいどういうことなのか。
 どうして?と素早く入力をする。送信ボタンを押す直前で、今ここにいるはずのない人物の声がした。

「翔」

 その声を聞くだけで、全身が温かいものに包まれたように熱を持つ。振り返ると、その顔を認識するよりも早く、どっ、というささやかな衝撃とともに身体がきつく抱きしめられていた。

「来ちゃった」
「翔、三週間、頑張ったな」

 大切なパートナーが、目の前にいる。触れられる。どくん、と心臓がひときわ大きく波打って、全身がうち震えた。どうして二人がここにいるのか、その驚きよりも、隠しきれない悦びが心を沸き立たせる。

「蓮くん、蘭くん……っどうして?仕事は、いいの?」
「お前に会うために、終わらせてきた」
「少しでも早く翔に会いたくて」

 蘭が優しく頭を撫でさすり、蓮は愛おしそうに頬をすり寄せる。
 ここが空港で、他の乗客が見ていることなんて頭から抜け落ちて、自身の腕で二人の身体をぎゅっと抱きしめた。

「ただいま……っ蓮くん、蘭くん」

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