21 / 38
大人の建前
しおりを挟む
家に帰った。安堵と怠惰の入り混じった気怠い空気が僕を迎え入れる。スマホが震えていたので見てみたら椎名君からメッセージが届いていた。
椎名:後でっていつだよ
時間をついでに見たら23時。もう電話は無理だと思う。薄暗い部屋の中、スマホだけが煌々と輝く。操作をしないでいたらフッと光が消えた。この手から唯一の灯が消えた。
僕は椎名君と話せる状態じゃなかった。この灯のない部屋で自分自身と対峙していた。
今僕の心を支配しているのは、椎名君でも黒崎さんでもない。かつての幼馴染であり親友のことだった。今日のオーナーのあの目。友達に擬態して親友を困らせる目。かつて親友が目の当たりにしたであろうあの目が、体を縛って締め上げる。
椎名君が生まれるより前の話なんだ、そう思ったら急に寒気がした。黒崎さんに言われるまで気がつかなかったのだ。
「こうちゃんってさ、なんでそんな顔するの?」
部屋にけたたましい通話許可の通知アラームが鳴り響く。無視するわけにもいかずに通話を許可する。
「もう帰ったの?」
気持ちの整理できずに少し間があいてしまう。
「うん、ごめんね。連絡遅くなって」
「帰りにメッセくらいできるだろ」
そうだね、となにも続けられずにまた黙ってしまった。椎名君が小さく息を吸ったので、僕はそれより前に畳みかけた。
「部下が悩みを聞いて欲しいって言うから……2人で飲んだんだ。確かに男2人だけど。僕はそんなつもりはないし、社会人だからこういうことも多いと思う。今までも多かった」
我ながら汚い言い方だと思った。
「別に今そんなこと聞いてないだろ」
この時に嫌な汗が胸を伝った。どうしてありのままを話せないのか、自分でも不思議に思った。それを見抜いているかのような椎名君の言葉に、自分自身大きな誤算を感じてしまう。
「し……椎名君の声が……聞きたい……」
「今聞いてるだろ」
「はやく水曜日になってほしい」
椎名君の短い唸り声が響く。
「ごめん……酔っ払ってるんだ……今日は寝るね……明日鏡のサンプル届いたら、写真撮って行くから、水曜日楽しみにしてるね」
「おっさんは、いつもなにを言いかけてるんだよ」
また沈黙が続く。その重さに耐えきれなくなった椎名君がため息まじりに呟く。
「大事なことは会って聞く」
なにもかもが見破られていることに驚いている間に、椎名君は通話を終了させた。
椎名君のあの独特な笑顔が浮かんでは消える。困ったような恥ずかしいような、あの笑顔。あれはどういう意味なのだろう。そして、みんなが指摘する僕の顔はどんな顔なのだろう。
洗面台の電気を点けて鏡に映る自分の顔を覗き込む。ポッカリと1人映された自分の顔はひどく貧相に映っていた。清潔だけには気をつかい、人の顔を窺い社会の大海原に漂うちっぽけなサラリーマン。
別に20年近く前の恋愛に未練などなかった。自分でも忘れていたはずなのに。今こうやって思い出すのは、僕の恋愛経験はあれしかないからだろうか?
気づけば幼馴染を好きだった時間以上の時間を生きてきた。椎名君以上の時間を生きているのに。でも同じ顔を指摘されるのだ。
またいいようのない不安に襲われる。椎名君と出会ってからは姿を潜めていた忌々しい不安が、時間を超えて襲ってくる。
次の日、椎名君から連絡が来なかった。友達と遊んでいるかもしれない、勉強をしているかもしれない、そう言い訳して僕からも連絡ができなかった。でも約束の予備校の場所がわからないから、その質問だけを夜中に送った。
水曜日の朝、予備校のURLだけの簡素なメッセが届いていた。その送信時間を見て驚く。夜中の3時だった。慌てて返信を送る。
須藤:昨日は非常識な時間に送ってごめん。昨日は起きてたの?
椎名:いつでも嬉しいよ。今日は8時に終わるから。
僕の質問には答えない、しかしその優しい文字に胸が締め付けられる。椎名君は僕の連絡を待っててくれたのではないか。それにイエスと答えられたら、多分呼吸困難になって出社できない。
須藤:はやく会いたい
はやく会って、椎名君のキラキラした瞳で昨日一昨日と真っ暗だった僕の心を照らしてもらいたい。椎名君が好きだ、僕がそう思っていることを椎名君に伝えたかった。
椎名:後でっていつだよ
時間をついでに見たら23時。もう電話は無理だと思う。薄暗い部屋の中、スマホだけが煌々と輝く。操作をしないでいたらフッと光が消えた。この手から唯一の灯が消えた。
僕は椎名君と話せる状態じゃなかった。この灯のない部屋で自分自身と対峙していた。
今僕の心を支配しているのは、椎名君でも黒崎さんでもない。かつての幼馴染であり親友のことだった。今日のオーナーのあの目。友達に擬態して親友を困らせる目。かつて親友が目の当たりにしたであろうあの目が、体を縛って締め上げる。
椎名君が生まれるより前の話なんだ、そう思ったら急に寒気がした。黒崎さんに言われるまで気がつかなかったのだ。
「こうちゃんってさ、なんでそんな顔するの?」
部屋にけたたましい通話許可の通知アラームが鳴り響く。無視するわけにもいかずに通話を許可する。
「もう帰ったの?」
気持ちの整理できずに少し間があいてしまう。
「うん、ごめんね。連絡遅くなって」
「帰りにメッセくらいできるだろ」
そうだね、となにも続けられずにまた黙ってしまった。椎名君が小さく息を吸ったので、僕はそれより前に畳みかけた。
「部下が悩みを聞いて欲しいって言うから……2人で飲んだんだ。確かに男2人だけど。僕はそんなつもりはないし、社会人だからこういうことも多いと思う。今までも多かった」
我ながら汚い言い方だと思った。
「別に今そんなこと聞いてないだろ」
この時に嫌な汗が胸を伝った。どうしてありのままを話せないのか、自分でも不思議に思った。それを見抜いているかのような椎名君の言葉に、自分自身大きな誤算を感じてしまう。
「し……椎名君の声が……聞きたい……」
「今聞いてるだろ」
「はやく水曜日になってほしい」
椎名君の短い唸り声が響く。
「ごめん……酔っ払ってるんだ……今日は寝るね……明日鏡のサンプル届いたら、写真撮って行くから、水曜日楽しみにしてるね」
「おっさんは、いつもなにを言いかけてるんだよ」
また沈黙が続く。その重さに耐えきれなくなった椎名君がため息まじりに呟く。
「大事なことは会って聞く」
なにもかもが見破られていることに驚いている間に、椎名君は通話を終了させた。
椎名君のあの独特な笑顔が浮かんでは消える。困ったような恥ずかしいような、あの笑顔。あれはどういう意味なのだろう。そして、みんなが指摘する僕の顔はどんな顔なのだろう。
洗面台の電気を点けて鏡に映る自分の顔を覗き込む。ポッカリと1人映された自分の顔はひどく貧相に映っていた。清潔だけには気をつかい、人の顔を窺い社会の大海原に漂うちっぽけなサラリーマン。
別に20年近く前の恋愛に未練などなかった。自分でも忘れていたはずなのに。今こうやって思い出すのは、僕の恋愛経験はあれしかないからだろうか?
気づけば幼馴染を好きだった時間以上の時間を生きてきた。椎名君以上の時間を生きているのに。でも同じ顔を指摘されるのだ。
またいいようのない不安に襲われる。椎名君と出会ってからは姿を潜めていた忌々しい不安が、時間を超えて襲ってくる。
次の日、椎名君から連絡が来なかった。友達と遊んでいるかもしれない、勉強をしているかもしれない、そう言い訳して僕からも連絡ができなかった。でも約束の予備校の場所がわからないから、その質問だけを夜中に送った。
水曜日の朝、予備校のURLだけの簡素なメッセが届いていた。その送信時間を見て驚く。夜中の3時だった。慌てて返信を送る。
須藤:昨日は非常識な時間に送ってごめん。昨日は起きてたの?
椎名:いつでも嬉しいよ。今日は8時に終わるから。
僕の質問には答えない、しかしその優しい文字に胸が締め付けられる。椎名君は僕の連絡を待っててくれたのではないか。それにイエスと答えられたら、多分呼吸困難になって出社できない。
須藤:はやく会いたい
はやく会って、椎名君のキラキラした瞳で昨日一昨日と真っ暗だった僕の心を照らしてもらいたい。椎名君が好きだ、僕がそう思っていることを椎名君に伝えたかった。
0
あなたにおすすめの小説
オッサン課長のくせに、無自覚に色気がありすぎる~ヨレヨレ上司とエリート部下、恋は仕事の延長ですか?
中岡 始
BL
「新しい営業課長は、超敏腕らしい」
そんな噂を聞いて、期待していた橘陽翔(28)。
しかし、本社に異動してきた榊圭吾(42)は――
ヨレヨレのスーツ、だるそうな関西弁、ネクタイはゆるゆる。
(……いやいや、これがウワサの敏腕課長⁉ 絶対ハズレ上司だろ)
ところが、初めての商談でその評価は一変する。
榊は巧みな話術と冷静な判断で、取引先をあっさり落としにかかる。
(仕事できる……! でも、普段がズボラすぎるんだよな)
ネクタイを締め直したり、書類のコーヒー染みを指摘したり――
なぜか陽翔は、榊の世話を焼くようになっていく。
そして気づく。
「この人、仕事中はめちゃくちゃデキるのに……なんでこんなに色気ダダ漏れなんだ?」
煙草をくゆらせる仕草。
ネクタイを緩める無防備な姿。
そのたびに、陽翔の理性は削られていく。
「俺、もう待てないんで……」
ついに陽翔は榊を追い詰めるが――
「……お前、ほんまに俺のこと好きなんか?」
攻めるエリート部下 × 無自覚な色気ダダ漏れのオッサン上司。
じわじわ迫る恋の攻防戦、始まります。
【最新話:主任補佐のくせに、年下部下に見透かされている(気がする)ー関西弁とミルクティーと、春のすこし前に恋が始まった話】
主任補佐として、ちゃんとせなあかん──
そう思っていたのに、君はなぜか、俺の“弱いとこ”ばっかり見抜いてくる。
春のすこし手前、まだ肌寒い季節。
新卒配属された年下部下・瀬戸 悠貴は、無表情で口数も少ないけれど、妙に人の感情に鋭い。
風邪気味で声がかすれた朝、佐倉 奏太は、彼にそっと差し出された「ミルクティー」に言葉を失う。
何も言わないのに、なぜか伝わってしまう。
拒むでも、求めるでもなく、ただそばにいようとするその距離感に──佐倉の心は少しずつ、ほどけていく。
年上なのに、守られるみたいで、悔しいけどうれしい。
これはまだ、恋になる“少し前”の物語。
関西弁とミルクティーに包まれた、ふたりだけの静かな始まり。
(5月14日より連載開始)
【完結】※セーブポイントに入って一汁三菜の夕飯を頂いた勇者くんは体力が全回復します。
きのこいもむし
BL
ある日突然セーブポイントになってしまった自宅のクローゼットからダンジョン攻略中の勇者くんが出てきたので、一汁三菜の夕飯を作って一緒に食べようねみたいなお料理BLです。
自炊に目覚めた独身フリーターのアラサー男子(27)が、セーブポイントの中に入ると体力が全回復するタイプの勇者くん(19)を餌付けしてそれを肴に旨い酒を飲むだけの逆異世界転移もの。
食いしん坊わんこのローグライク系勇者×料理好きのセーブポイント系平凡受けの超ほんわかした感じの話です。
イケメン後輩のスマホを拾ったらロック画が俺でした
天埜鳩愛
BL
☆本編番外編 完結済✨ 感想嬉しいです!
元バスケ部の俺が拾ったスマホのロック画は、ユニフォーム姿の“俺”。
持ち主は、顔面国宝の一年生。
なんで俺の写真? なんでロック画?
問い詰める間もなく「この人が最優先なんで」って宣言されて、女子の悲鳴の中、肩を掴まれて連行された。……俺、ただスマホ届けに来ただけなんだけど。
頼られたら嫌とは言えない南澤燈真は高校二年生。クールなイケメン後輩、北門唯が置き忘れたスマホを手に取ってみると、ロック画が何故か中学時代の燈真だった! 北門はモテ男ゆえに女子からしつこくされ、燈真が助けることに。その日から学年を越え急激に仲良くなる二人。燈真は誰にも言えなかった悩みを北門にだけ打ち明けて……。一途なメロ後輩 × 絆され男前先輩の、救いすくわれ・持ちつ持たれつラブ!
☆ノベマ!の青春BLコンテスト最終選考作品に加筆&新エピソードを加えたアルファポリス版です。
【完結】君を上手に振る方法
社菘
BL
「んー、じゃあ俺と付き合う?」
「………はいっ?」
ひょんなことから、入学して早々距離感バグな見知らぬ先輩にそう言われた。
スクールカーストの上位というより、もはや王座にいるような学園のアイドルは『告白を断る理由が面倒だから、付き合っている人がほしい』のだそう。
お互いに利害が一致していたので、付き合ってみたのだが――
「……だめだ。僕、先輩のことを本気で……」
偽物の恋人から始まった不思議な関係。
デートはしたことないのに、キスだけが上手くなる。
この関係って、一体なに?
「……宇佐美くん。俺のこと、上手に振ってね」
年下うさぎ顔純粋男子(高1)×精神的優位美人男子(高3)の甘酸っぱくじれったい、少しだけ切ない恋の話。
✧毎日2回更新中!ボーナスタイムに更新予定✧
✧お気に入り登録・各話♡・エール📣作者大歓喜します✧
イケメンモデルと新人マネージャーが結ばれるまでの話
タタミ
BL
新坂真澄…27歳。トップモデル。端正な顔立ちと抜群のスタイルでブレイク中。瀬戸のことが好きだが、隠している。
瀬戸幸人…24歳。マネージャー。最近新坂の担当になった社会人2年目。新坂に仲良くしてもらって懐いているが、好意には気付いていない。
笹川尚也…27歳。チーフマネージャー。新坂とは学生時代からの友人関係。新坂のことは大抵なんでも分かる。
【完結・BL】俺をフッた初恋相手が、転勤して上司になったんだが?【先輩×後輩】
彩華
BL
『俺、そんな目でお前のこと見れない』
高校一年の冬。俺の初恋は、見事に玉砕した。
その後、俺は見事にDTのまま。あっという間に25になり。何の変化もないまま、ごくごくありふれたサラリーマンになった俺。
そんな俺の前に、運命の悪戯か。再び初恋相手は現れて────!?
完結|好きから一番遠いはずだった
七角@書籍化進行中!
BL
大学生の石田陽は、石ころみたいな自分に自信がない。酒の力を借りて恋愛のきっかけをつかもうと意気込む。
しかしサークル歴代最高イケメン・星川叶斗が邪魔してくる。恋愛なんて簡単そうなこの後輩、ずるいし、好きじゃない。
なのにあれこれ世話を焼かれる。いや利用されてるだけだ。恋愛相手として最も遠い後輩に、勘違いしない。
…はずだった。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる