生きるのがツラくてなにが悪い!

大田ネクロマンサー

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大人の建前

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 家に帰った。安堵と怠惰の入り混じった気怠い空気が僕を迎え入れる。スマホが震えていたので見てみたら椎名君からメッセージが届いていた。

椎名:後でっていつだよ

 時間をついでに見たら23時。もう電話は無理だと思う。薄暗い部屋の中、スマホだけが煌々と輝く。操作をしないでいたらフッと光が消えた。この手から唯一の灯が消えた。

 僕は椎名君と話せる状態じゃなかった。この灯のない部屋で自分自身と対峙していた。

 今僕の心を支配しているのは、椎名君でも黒崎さんでもない。かつての幼馴染であり親友のことだった。今日のオーナーのあの目。友達に擬態して親友を困らせる目。かつて親友が目の当たりにしたであろうあの目が、体を縛って締め上げる。

 椎名君が生まれるより前の話なんだ、そう思ったら急に寒気がした。黒崎さんに言われるまで気がつかなかったのだ。

「こうちゃんってさ、なんでそんな顔するの?」

 部屋にけたたましい通話許可の通知アラームが鳴り響く。無視するわけにもいかずに通話を許可する。

「もう帰ったの?」

 気持ちの整理できずに少し間があいてしまう。

「うん、ごめんね。連絡遅くなって」

「帰りにメッセくらいできるだろ」

 そうだね、となにも続けられずにまた黙ってしまった。椎名君が小さく息を吸ったので、僕はそれより前に畳みかけた。

「部下が悩みを聞いて欲しいって言うから……2人で飲んだんだ。確かに男2人だけど。僕はそんなつもりはないし、社会人だからこういうことも多いと思う。今までも多かった」

 我ながら汚い言い方だと思った。

「別に今そんなこと聞いてないだろ」

 この時に嫌な汗が胸を伝った。どうしてありのままを話せないのか、自分でも不思議に思った。それを見抜いているかのような椎名君の言葉に、自分自身大きな誤算を感じてしまう。

「し……椎名君の声が……聞きたい……」

「今聞いてるだろ」

「はやく水曜日になってほしい」

 椎名君の短い唸り声が響く。

「ごめん……酔っ払ってるんだ……今日は寝るね……明日鏡のサンプル届いたら、写真撮って行くから、水曜日楽しみにしてるね」

「おっさんは、いつもなにを言いかけてるんだよ」

 また沈黙が続く。その重さに耐えきれなくなった椎名君がため息まじりに呟く。

「大事なことは会って聞く」

 なにもかもが見破られていることに驚いている間に、椎名君は通話を終了させた。

 椎名君のあの独特な笑顔が浮かんでは消える。困ったような恥ずかしいような、あの笑顔。あれはどういう意味なのだろう。そして、みんなが指摘する僕の顔はどんな顔なのだろう。

 洗面台の電気を点けて鏡に映る自分の顔を覗き込む。ポッカリと1人映された自分の顔はひどく貧相に映っていた。清潔だけには気をつかい、人の顔を窺い社会の大海原に漂うちっぽけなサラリーマン。

 別に20年近く前の恋愛に未練などなかった。自分でも忘れていたはずなのに。今こうやって思い出すのは、僕の恋愛経験はあれしかないからだろうか?

 気づけば幼馴染を好きだった時間以上の時間を生きてきた。椎名君以上の時間を生きているのに。でも同じ顔を指摘されるのだ。

 またいいようのない不安に襲われる。椎名君と出会ってからは姿を潜めていた忌々しい不安が、時間を超えて襲ってくる。



 次の日、椎名君から連絡が来なかった。友達と遊んでいるかもしれない、勉強をしているかもしれない、そう言い訳して僕からも連絡ができなかった。でも約束の予備校の場所がわからないから、その質問だけを夜中に送った。

 水曜日の朝、予備校のURLだけの簡素なメッセが届いていた。その送信時間を見て驚く。夜中の3時だった。慌てて返信を送る。

須藤:昨日は非常識な時間に送ってごめん。昨日は起きてたの?

椎名:いつでも嬉しいよ。今日は8時に終わるから。

 僕の質問には答えない、しかしその優しい文字に胸が締め付けられる。椎名君は僕の連絡を待っててくれたのではないか。それにイエスと答えられたら、多分呼吸困難になって出社できない。

須藤:はやく会いたい

 はやく会って、椎名君のキラキラした瞳で昨日一昨日と真っ暗だった僕の心を照らしてもらいたい。椎名君が好きだ、僕がそう思っていることを椎名君に伝えたかった。
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