約束へと続くストローク

葛城騰成

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第一章 新しい仲間とのストローク

第三話 璃子と勝負!

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 水中は静かだ。
 誰かの声も、車が走る音も、建物を工事する音も、聞かずにすむから。
 水中は自由だ。
 なにもない空間を、自身の腕と足だけで切り拓いていけるから。
 そんな風に静かで自由な水中が、ウチは大好きだ。
 鳥になって空を飛んでいるかのような浮遊感を全身で感じながら、水中を泳いでいく。
 勝負は最初から仕掛けるもの。後半まで力を温存しておくつもりは毛頭ない。
 さぁ、いくよ!

「!!」

 ウチがいきなりスピードを上げたのを見て、皆が驚いたのがなんとなくわかる。
 いつものことだ。序盤から差をつけてゴールまで逃げ切ろうとするウチのスタイルに、周囲が驚くのは。
 この中で驚かないのはあんただけでしょうね。璃子!
 指先を水に入れ、手首を曲げて水を掴み、そのまま水を胸の下に引き寄せ、加速をつけながら後ろへと押しやる。そして、また腕を前に持っていく。クロールはこれの繰り返しだ。この一連の流れがスムーズならスムーズなほど、他者と差をつけられる。
 少しずつだけど、着実に皆との差を広げている。このまま逃げ切ってみせる。
 50メートル。折り返し地点。
 壁にぶつかる直前に、足を上下に動かして反動をつける。それによって生じた勢いを利用して、顎を引きながら前転する。その後、膝を曲げて体を捻り、壁を力強く蹴り飛ばした。
 まだウチ以外にターンを終えている子はいない。いける。このままトップを維持して、フィニッシュや!
 誰よりも速く先頭を泳いでいるという事実は、心に余裕を生む。
 その余裕が安定したストロークを生み、もっと速くなる。
 長い競泳人生の中でウチが見つけた自分に最適なスタイルや!
 ウチは感情が泳ぎに出てしまうタイプみたいで、後半になっても周囲と差をつけておかないと、焦ってしまって泳ぎが煩雑になってしまうらしい。だから、最初から最後まで一位で在り続ける必要がある。
 もうすぐで75メートルに差し掛かるという時だった。背筋をゾワッとする感覚が走った。何度も戦ったことで体が覚えてしまった恐怖が、全身を駆け巡っていく。
 ウチとは対を成すスタイルで勝利を掴んできた璃子が、温存していた力を解放したのだ。怒涛の勢いで後半から巻き返しを図るのが、彼女の戦い方だった。
 嫌だ。負けたくない。追いつかれてたまるもんか。
 ウチの気持ちとは裏腹に、どんどん璃子との距離が縮まり、気配が大きくなる。サバンナでチーターに獲物として狙われているかのような心地だ。

「~~ッ」

 どうして、どうして、どうして。
 序盤の加速とターンで差をつけていたはずなのに、今やウチと璃子は同じ位置を泳いでいる。接戦になってしまった。
 大丈夫。まだ負けが決まったわけじゃない。先にタッチしたほうの勝ちなんだから。

「しまっ――」

 残り1メートルという距離で、自身の動きに乱れが生じてしまう。中盤まであった余裕が、璃子の追い上げによって生まれた焦りに上書きされてしまった。
 ほんのわずかな綻び。けれど、競泳では致命的なロス。先にタッチしたのは璃子だった。

「はぁ……はぁ……はぁ……」

 端壁に両手をついて息切れから回復しようとする。なかなか呼吸が安定しない。
 やっぱり、練習で何往復も泳ぐのとは違うな。本気で競うと体力を著しく消耗してしまう。
 璃子のほうをちらりと見ると、たいして疲れた様子もなく平然としていた。プールから上がった彼女に、「やるじゃないか」と顧問が声を掛けていた。
 ウチの順位は二位。結果だけを見れば好成績だ。でも、心は晴れない。これじゃあ中学までと同じなままだ。やるせなさを感じながら、ウチもプールから上がる。

「すごいじゃん!」

 ゴーグルとキャップを外して頭を左右に振るっていると、二人の女の子が話しかけてきた。
 色黒の子と色白の子、二人ともなにやら興奮しているようだ。

「最初、ぐわぁーって加速したよね。あれ、びっくりしたよ!」
「途中でスピードが落ちるかなと思いましたけど、最後まで速くてすごいなって思いました」

 まだ名前は覚えられてないけれど、確かこの子たちもウチと同じ一年生だ。

「あ、ありがとう。えへへ……褒められるなんて思ってなかったから、なんだかびっくり」

 頭を掻きながら返答すると、二人が顔を近付けてきた。目をキラキラと輝かせている。

「立清学園にはヤバい子しかいないんだろうなって思ってたけど、やっぱりだった! わたし、三島夕みしまゆうって言うの。よろしくね!」

 三島ちゃんはウチと同じ茶髪だし、明るいし、すぐに顔と名前を一致させて覚えられそうだ。

「私の専門は平泳ぎなんですけど、先程のクロールはとても感動しました。私ともお友だちになってください。中條彩乃なかじょうあやのと言います。よろしくお願いします」

 中條ちゃんは雪みたいに色白で、綺麗な雰囲気を漂わせている。まだ出会ったばかりだからか、同学年なのに敬語なところがなんだか可愛い。

「三島ちゃんに、中條ちゃんだね。ウチは金井紗希。よろしくね!」

 二人と握手を交わしていると、ウチの前に璃子がやってきた。

「紗希。貴方は以前、あたしに勝ってみせるって言ったわね。でも、今回もあたしが勝ったわ」
「ぐっ……そうね。今回もあんたが一位よ。だから、なに? おめでとうって言えばいいかしら?」
「そうじゃないわ。ただ、いつになったら貴方が宣言した通りの結果が訪れるのかなって思っただけよ」
「ぐっ……」

 悔しいけど、彼女の言う通りだ。
 璃子に勝てないままだと、いつまで経っても柊一君に会えない。

「インハイ。あんたも出るでしょ? 自由形で。そこであんたから、勝利をもぎ取ってみせるわ。優勝するのは、ウチよ」

 璃子を指さしながらそう宣言すると、隣で中條ちゃんが顎に手を当てながら、ぶつぶつと小声で呟き始めた。「確かに今の記録を見る限り、去年の標準記録は二人とも優に越えています」と言っていたところまでは聞こえたけれど、その後はわからなかった。

「紗希、女にだって二言はないのよ? インハイ直前になって撤回しないでね」
「しなわいよ! せいぜい首を洗って待ってなさい。あんたをキャン言わしたるからな」
「ええ。楽しみにしているわ」

 璃子は、余裕のある笑みを残して去っていく。

「お~、しょっぱなから白熱してるね~」

 ウチと璃子の様子を見ながら、とても楽しそうに三島ちゃんが呟いた。
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