約束へと続くストローク

葛城騰成

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最終章 約束へと続くストローク

第二十九話 柊一君への手紙

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 柊一君が怪我をして元気をなくしてしまったという話をみっちーから聞いた時、どうにかして彼を励ましてあげたいと思った。毎日部活動で忙しい生活を送っているから、東京に行く時間もお金もない。そんな状況で出来ることといったら、手紙を書くことくらいしか思い浮かばなかった。
 今まで何度も柊一君の手紙に励まされてきた。今度はウチが励ます番だ。
 自分の思いを文字に託して、みっちーのお兄さんに送った。いつものように直接柊一君に届けることも考えたけど、それでは見てくれない可能性が高い。柊斗君を柊一君だと勘違いしていた時に、手紙を読む気力さえ湧かなかった経験からの判断だった。
 そして、ウチが璃子たちに助けられた時の経験から、殻に閉じこもった人の心を変えられるのは、会って話せる人じゃないと駄目だとも思った。だから、これは賭け。
 柊斗君かみっちーのお兄さん。二人のどちらかがぶつかってくれないと、ウチの手紙を柊一君に読んでもらうというスタートラインにすら立てない。

「紗希、どっちが勝っても負けても恨みっこなしだからね」

 インターハイ四日目。更衣室で着替えていると、隣にいる璃子がそんなことを言ってきた。

「うん」
「あたしは紗希が嫌いだけど、ここで戦う相手が貴方で良かったと思ってる」
「なんだか反応に困る言い方だね……」

 予選でさっそく璃子と当たることになる。
 お互い手の内を明かし合った仲。本番中にどれだけ自分の泳ぎができるかどうかで、勝敗が決まる。相手が発するプレッシャーにやられて、精神を乱すことがないようにしないと。

「だってしょうがないでしょう。あたしも複雑な気持ちなんだから。貴方が嫌いだった筈なのに、同じ部屋になってから考えが変わってしまったんですもの」
「ん? どういうこと? 璃子がウチを認めたってこと?」

 ウチが首を傾げていると、璃子がデコピンをしてきた。

「違うわよ。今までは自由奔放な泳ぎに憧れていても、親の教えに背いてまで泳ごうとは思わなかったのに、本気で泳いでみたくなってしまったのよ」

 いつもと違うスタイルで挑んできた近畿大会の璃子を思い出す。自分の泳ぎができた者が試合で勝つってことくらい璃子はわかっているだろうから、自分という大事な根幹を変えるのは相当な覚悟が必要だっただろう。それだけ憧れが強かったんだ。

「あたしは……あたしの憧れを体現している貴方を倒して一番になりたいって思ってる」

 璃子は本当にすごい奴だ。実力者なのに、まだ成長しようとしている。
 水着姿になったウチらは、互いに向き合う。

「璃子には悪いけど、ウチは負けるわけにはいかないの。勝って、一番になって、誇れるウチにならないといけないから」

 両者の視線がぶつかり合って、空中に見えない火花を散らす。
 もう、言葉はいらなかった。無言でプールを目指して歩いていく。
 あとは水中で互いの意思をぶつけ合うだけだ。

『柊一君へ。紗希です。お久しぶりです。いつもと違う方法で手紙を送ってしまってごめんなさい。柊一君が怪我をしたと聞いて、居ても立っても居られなくなって、この手紙を書きました。今はあまりウチの文章を読みたいと思わないかもしれないけど、どうか見てくれると嬉しいです』

 会場は、空席が見当たらないくらい多くの観客で埋め尽くされていた。至る箇所に応援団がいたり、学校の校章が刻まれた旗が掲げられたりしていて、見ている人たちの熱気が、こちらにまで伝わってくるかのようだった。
 思わずごくりと唾を飲んでしまう。覚悟を決めてここに臨んできた筈なのに、体が強張ってしまった。

『ウチは柊一君に謝らなくてはいけないことが沢山あります。柊斗君から事情は既に聞いているかもしれませんが、ウチは約束を果たす前に柊一君と会おうとしました。柊斗君が柊一君に成りすましていたとはいえ、どちらが先に夢を叶えるかの勝負をしていた筈なのに、ウチが勝負から降りてしまったのは事実です。本当にごめんなさい』

 でも、立清学園の皆がいる観客席を見たら、すぐにいつもの自分に戻ることができた。仲間が応援してくれるってことが、こんなにも心強いなんてこと、高校生になってから知るなんて遅いよね。

『でも、ウチが柊一君と交わした約束を蔑ろにしようとしていたわけじゃないんです。むしろ、約束を片時も忘れたことはないくらい大事にしていました。だから、許して欲しいとは言いません。でも、まだウチのことを想っていてくれるなら、チャンスをくれませんか?』

 今まで水泳は一人で泳ぐものだと思っていた。
 100メートルという距離を、自分の腕と脚で必死にもがいて進むものだって。
 でも、本当は違くて、その長いようで短い距離を、仲間の手を借りて泳いでいいんだってことを、ウチは立清学園にきてから知った。
 初めてメドレーリレーの練習を皆とした時、水の抵抗を全く感じられないくらい速く進むことができた。限界を優に超えたパフォーマンスを発揮することができて、自分で自分にびっくりした。
 泳いでいるのは一人だけだけど、一人で戦っていた訳じゃない。心では仲間と一緒に泳いでいたから、周囲の選手が発するプレッシャーにやられずに済んだんだ。

『ウチね、なんとか近畿大会を突破して全国に進むことができたんだ。もし、チャンスをくれるなら、そこで戦うウチの姿を見てほしいの。今度こそ約束を叶えてみせる。柊一君が驚くくらいの功績を手にしてみせるから!』

 今だって一人じゃない。ウチを見てくれている仲間がいる。
 だから、怖くない。なんの心配もいらない。あとは自分を信じて進むだけだ。

『柊一君が転校する時、なんで三人で文通をしようって言ったのか今ならわかるよ。ウチと柊一君の関係が特別なものになってしまっても、三人の関係が大切なものであることに変わりはないからだったんだね。文通をする約束を柊斗君とも交わせていたら、こんなことにはならなかったのかもしれないと思うと、とっても胸が痛くなるんだ。だから、ウチは今度こそ、三人で手紙のやりとりがしたい』

 スタート台の上に乗って、いつでも飛び込める態勢になる。
 眼前でゆらゆらと揺れる水面を見つめながら、開始の合図を静かに待つ。

『一位になって柊一君に会いに行くから、その時に柊一君の気持ちを聞かせてね。紗希より』

 みっちー、中條ちゃん、見ててね。ウチの泳ぎを。
 柊一君、柊斗君、見ててね。約束へと続くストロークを。
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