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第一話『罪人となるまで』
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ユベールが罪人として辺境の地に追いやられて、早一ヶ月が経つ。
ここ――リンフォレル森林外縁領の端にある、森に囲まれた隔離邸は、罪人の幽閉場所として使われていた。
貴族として生まれた者が、不慣れな地で使用人もなしに過ごすのは不便でしかない。衣類の洗濯も、毎日の食事も、自分の手で用意しなければならなかった。
食材は伯爵邸の使用人たちが、一週間分をまとめて荷車に積んで届けてくる。北方の高台にある辺境伯邸から、わざわざやってくるのだ。
隔離邸には料理人もいないため、ユベールは包丁を握った。トマトのヘタを取ったり、根菜の皮を剥いたりした。
初めて作ったスープは、切った根菜が分厚くて生だったり、味付けもなく薄かった。唯一、食べられたのは生のトマトだった。
使用人から入り用のものを尋ねられたときに、料理の指南書が欲しいと言った。
ベッドメイクも自分の手で行う。その日の蝋燭をケチって、暗くなれば早々に寝床につく。
もはや、庶民と違わない暮らしだ。普通の貴族なら発狂しかねない。
しかしユベールは、あまりのことに気を病んでは……いなかった。
不満どころか、元気に野山を駆け回り、虫を捕まえ、草花をスケッチし、湖の前でのんびり釣りをする。
毎日、気ままにその日の遊びを考える。
――そうか。僕はずっと遊びたかったんだ。
すべては子供の頃にはやりたくてもできなかったことばかりだ。
ボルニャク領のヴラーニク侯爵家に生まれて、長男のスペアとして厳しく躾けられた。
両親の関心は長男にあったため、成績がどんなに良くても褒められることはなかった。
ユベールは不満を押し殺して、波風を立てないように生きていた。
両親の望み通りに、気心の知れた幼なじみの令嬢と婚約した、初めての夜会。その夜の“失態”で何もかもが変わった。
今にして思えば、防ぎようもなく、結果としてはよかったのかもしれない。この地に流れ着いて、ユベールはすべての荷を下ろすことができたのだ。
今日もユベールは竿を肩に担ぎ、片手に木バケツを持って、湖に向かった。その顔には満面の笑みが浮かんでいた。
その姿を何者かが木陰から見守っていたことなど、ユベールの知る由もない。「くそ、今日も可愛らしい」と胸を焦がしていたことなど知らないままだった。
◆
話は二ヶ月前にさかのぼる――。
ユベールは幼なじみのミリエナ・スラヴィーンと共に庭園に来ていた。スラヴィーン家の庭園は見事で、ヴラーニク家の合理的な庭園とは比べようがないほどだ。
この庭園には幼い頃からよく来ていた。
ミリエナは木に登ることが得意だった。しまいには庭園が狭いと言って、近くの山まで遠乗りをした。
ユベールは遊ぶことを親から禁止されていて、庭園に来ても木陰で本を読んでいた。白銀の短い髪を軽く引っ張られて、「めずらしい色ね」とミリエナに言われたのが最初だった。
ミリエナは自分の茶色の髪の毛を「地味でしょ」と言い、ユベールは「木みたいに落ちつく色だからいいよ」と褒めた。
「ぼくは木が好きなんだ」
「わたしも好きよ、のぼるとたかいし」
上と下ではだいぶ違う気がしたが、あたたかいミリエナの笑顔にユベールは反論しなかった。
ユベールの瞳が澄み渡った空のような色で、ミリエナの瞳は深く温かみのある緑色だった。ミリエナは空と木を交互に指差して、「わたしたち、そこにある、お空と葉っぱみたいね」と笑った。
それからは、わんぱくなミリエナが怪我をしないように見守るのがユベールの役目になった。
そんなミリエナも三年前にデビュタントを迎えた。その時のエスコートはユベールだった。
淑女としてドレスを着ているが、コルセットがきついといつも文句を言っていた。ユベールの前で「コルセット、緩めてもいい?」とたずねてくるほどの気軽な関係だ。
そんな二人の間には友情以上の感情は生まれなかった。お互いの年齢が十八歳になっても、関係は変わらなかった。
庭園のガゼボまで歩くと、テーブルを隔てて向かい合わせの椅子に座った。甘い雰囲気など一切流れないまま、お互いに用意された茶をすする。ミリエナの使用人を下がらせて、ふたりきりにしてもらったのは、幼なじみに大事な話があったからだ。
花の香りを連れて風が吹いていく。ユベールはティーカップを置いたタイミングで、本題を切り出した。
「ミリエナ、僕と結婚してくれるかな?」
提案されたミリエナはユベールを一瞥した後、ため息をついた。特に頬を染めることもなかった。カップを下ろして、定位置に置く。
「いいわよ。お互い恋なんかに興味はないんだし」
恋愛に対して冷めた部分はふたりとも似ていた。ミリエナは馬がとにかく好きで色恋に興味がない。ユベールは母のような強い女性に辟易していて、恋愛に乗り気ではなかった。
無意識に気を張っていたらしい。肩の力が抜ける。
「よかった。君に断られたらどうしようかと思っていたんだ」
「断るわけないじゃない。親がうるさくて、本当に嫌になっていたもの」
ミリエナは令嬢らしくなく、顔をしかめている。ユベールはそういったわかりやすい表情を、友人として好んで見ていた。思わず、愛想笑いではない、本当の笑みがこぼれる。
「それでは、交渉成立だね」
「そうね」
手袋を外した手が差し出されて、ユベールも握手を交わす。そこには色気など微塵もなかった。友情を示すような固い握手だった。
◆
お互いの両親も異議はなく、ミリエナとの婚約が決まった。ユベールの父としても、政略結婚として申し分なかったからだろう。
子供の頃からの遊び相手だった王太子のスヴェトミールだけは、難色を示していた。「もっと慎重に考えるべきだ!」と何度も言われたが、ユベールは笑って取り合わなかった。
スヴェトミールの思惑は虚しく、国王陛下からの許しも経て、ふたりの婚約が正式に発表された。婚約期間を設けた後はすぐに式を挙げて、スラヴィーン家の婿養子になる予定だ。
この頃、ユベールとミリエナに夜会や茶会の招待が多く来るようになった。貴族として顔を売るのにはいい機会だと、ミリエナの両親からもすすめられた。
たいへん数が多く、すべてに出席するわけにはいかないので、ミリエナが乗り気かどうかで判断した。特に夫人だけの茶会は断り、ふたりで出られるものを積極的にこなした。
婚約者として、ユベールは完璧に振る舞った。エスコートもダンスも貴族間の会話もそつなくこなした。
ダンスや会話のタイミングは、幼い頃のよしみで、ミリエナと息が合った。恋をしなくても夫婦にはなれる。
勇ましいが感情的なミリエナと、冷静に物事を見通せるが及び腰のユベール。
お互いの足りないところを補い合って、夫婦として領地を守っていくのだろうと思っていた。
ここ――リンフォレル森林外縁領の端にある、森に囲まれた隔離邸は、罪人の幽閉場所として使われていた。
貴族として生まれた者が、不慣れな地で使用人もなしに過ごすのは不便でしかない。衣類の洗濯も、毎日の食事も、自分の手で用意しなければならなかった。
食材は伯爵邸の使用人たちが、一週間分をまとめて荷車に積んで届けてくる。北方の高台にある辺境伯邸から、わざわざやってくるのだ。
隔離邸には料理人もいないため、ユベールは包丁を握った。トマトのヘタを取ったり、根菜の皮を剥いたりした。
初めて作ったスープは、切った根菜が分厚くて生だったり、味付けもなく薄かった。唯一、食べられたのは生のトマトだった。
使用人から入り用のものを尋ねられたときに、料理の指南書が欲しいと言った。
ベッドメイクも自分の手で行う。その日の蝋燭をケチって、暗くなれば早々に寝床につく。
もはや、庶民と違わない暮らしだ。普通の貴族なら発狂しかねない。
しかしユベールは、あまりのことに気を病んでは……いなかった。
不満どころか、元気に野山を駆け回り、虫を捕まえ、草花をスケッチし、湖の前でのんびり釣りをする。
毎日、気ままにその日の遊びを考える。
――そうか。僕はずっと遊びたかったんだ。
すべては子供の頃にはやりたくてもできなかったことばかりだ。
ボルニャク領のヴラーニク侯爵家に生まれて、長男のスペアとして厳しく躾けられた。
両親の関心は長男にあったため、成績がどんなに良くても褒められることはなかった。
ユベールは不満を押し殺して、波風を立てないように生きていた。
両親の望み通りに、気心の知れた幼なじみの令嬢と婚約した、初めての夜会。その夜の“失態”で何もかもが変わった。
今にして思えば、防ぎようもなく、結果としてはよかったのかもしれない。この地に流れ着いて、ユベールはすべての荷を下ろすことができたのだ。
今日もユベールは竿を肩に担ぎ、片手に木バケツを持って、湖に向かった。その顔には満面の笑みが浮かんでいた。
その姿を何者かが木陰から見守っていたことなど、ユベールの知る由もない。「くそ、今日も可愛らしい」と胸を焦がしていたことなど知らないままだった。
◆
話は二ヶ月前にさかのぼる――。
ユベールは幼なじみのミリエナ・スラヴィーンと共に庭園に来ていた。スラヴィーン家の庭園は見事で、ヴラーニク家の合理的な庭園とは比べようがないほどだ。
この庭園には幼い頃からよく来ていた。
ミリエナは木に登ることが得意だった。しまいには庭園が狭いと言って、近くの山まで遠乗りをした。
ユベールは遊ぶことを親から禁止されていて、庭園に来ても木陰で本を読んでいた。白銀の短い髪を軽く引っ張られて、「めずらしい色ね」とミリエナに言われたのが最初だった。
ミリエナは自分の茶色の髪の毛を「地味でしょ」と言い、ユベールは「木みたいに落ちつく色だからいいよ」と褒めた。
「ぼくは木が好きなんだ」
「わたしも好きよ、のぼるとたかいし」
上と下ではだいぶ違う気がしたが、あたたかいミリエナの笑顔にユベールは反論しなかった。
ユベールの瞳が澄み渡った空のような色で、ミリエナの瞳は深く温かみのある緑色だった。ミリエナは空と木を交互に指差して、「わたしたち、そこにある、お空と葉っぱみたいね」と笑った。
それからは、わんぱくなミリエナが怪我をしないように見守るのがユベールの役目になった。
そんなミリエナも三年前にデビュタントを迎えた。その時のエスコートはユベールだった。
淑女としてドレスを着ているが、コルセットがきついといつも文句を言っていた。ユベールの前で「コルセット、緩めてもいい?」とたずねてくるほどの気軽な関係だ。
そんな二人の間には友情以上の感情は生まれなかった。お互いの年齢が十八歳になっても、関係は変わらなかった。
庭園のガゼボまで歩くと、テーブルを隔てて向かい合わせの椅子に座った。甘い雰囲気など一切流れないまま、お互いに用意された茶をすする。ミリエナの使用人を下がらせて、ふたりきりにしてもらったのは、幼なじみに大事な話があったからだ。
花の香りを連れて風が吹いていく。ユベールはティーカップを置いたタイミングで、本題を切り出した。
「ミリエナ、僕と結婚してくれるかな?」
提案されたミリエナはユベールを一瞥した後、ため息をついた。特に頬を染めることもなかった。カップを下ろして、定位置に置く。
「いいわよ。お互い恋なんかに興味はないんだし」
恋愛に対して冷めた部分はふたりとも似ていた。ミリエナは馬がとにかく好きで色恋に興味がない。ユベールは母のような強い女性に辟易していて、恋愛に乗り気ではなかった。
無意識に気を張っていたらしい。肩の力が抜ける。
「よかった。君に断られたらどうしようかと思っていたんだ」
「断るわけないじゃない。親がうるさくて、本当に嫌になっていたもの」
ミリエナは令嬢らしくなく、顔をしかめている。ユベールはそういったわかりやすい表情を、友人として好んで見ていた。思わず、愛想笑いではない、本当の笑みがこぼれる。
「それでは、交渉成立だね」
「そうね」
手袋を外した手が差し出されて、ユベールも握手を交わす。そこには色気など微塵もなかった。友情を示すような固い握手だった。
◆
お互いの両親も異議はなく、ミリエナとの婚約が決まった。ユベールの父としても、政略結婚として申し分なかったからだろう。
子供の頃からの遊び相手だった王太子のスヴェトミールだけは、難色を示していた。「もっと慎重に考えるべきだ!」と何度も言われたが、ユベールは笑って取り合わなかった。
スヴェトミールの思惑は虚しく、国王陛下からの許しも経て、ふたりの婚約が正式に発表された。婚約期間を設けた後はすぐに式を挙げて、スラヴィーン家の婿養子になる予定だ。
この頃、ユベールとミリエナに夜会や茶会の招待が多く来るようになった。貴族として顔を売るのにはいい機会だと、ミリエナの両親からもすすめられた。
たいへん数が多く、すべてに出席するわけにはいかないので、ミリエナが乗り気かどうかで判断した。特に夫人だけの茶会は断り、ふたりで出られるものを積極的にこなした。
婚約者として、ユベールは完璧に振る舞った。エスコートもダンスも貴族間の会話もそつなくこなした。
ダンスや会話のタイミングは、幼い頃のよしみで、ミリエナと息が合った。恋をしなくても夫婦にはなれる。
勇ましいが感情的なミリエナと、冷静に物事を見通せるが及び腰のユベール。
お互いの足りないところを補い合って、夫婦として領地を守っていくのだろうと思っていた。
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