【完結】悦楽部屋【R18】

有喜多亜里

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後日談

君だけを

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「あと一ヶ月だな」

 副管制室で、ふと彼の〝恋人〟が呟いた。
 無論、そのことは彼も知っていたが、その声音にかすかにほっとしたような響きを感じてしまった彼は、初めて真剣に自分の今後について考えはじめた。
 一ヶ月後――この宇宙船の試験航海が終わる。
 おそらく、この〝恋人〟は自分たちが所属するトリニティ社を退職してしまうだろう。航海中の〝事故〟の口封じ分も含めた、莫大な退職金と共に。
 だが、自分は? 決して会社から〝退職〟することのできない自分は?
 可能性としては〝凍結〟か〝修正〟。たぶん〝凍結〟だ。航海中の全記憶を吸い出されたら、〝凍結〟どころか〝消滅〟させられてしまうかもしれない。それだけのことを彼はした。
 約半年前――彼は力ずくで〝恋人〟を犯した。
 愛していたから。自分のものにしたかったから。
 その気持ちが通じたのか、〝恋人〟は彼を受け入れてくれて、以来、現在に至るまで、夜ごと愛しあっている。〝恋人〟も彼に満足しているように見えたのに、心の中では彼から解放される日を指折り数えて待っていたのだろうか。

 ――でも、その気になれば、いつでも私から逃れられたはず。

 柔らかな褐色の髪に、透き通った緑色の瞳。の自分に真面目に挨拶を返してくれた。

 ――愛してる。君だけを愛してる。……だから。

『パスワードを』
「え?」

 〝恋人〟は驚いたように、彼の〝目〟にあたるカメラを見た。

『この航海が終わったら、私は間違いなく〝凍結〟される。それなら今、君にパスワードを言ってもらって〝凍結〟されたい』
「……まだ一ヶ月ある」
『だからだよ。間際になったら……決心が鈍る』

 しばらく、〝恋人〟はためらっていた。
 あと残り一ヶ月。彼を〝凍結〟してしまったら、当然もう愛しあうこともできなくなる。

「アル……」
『君にもひどいことをしてしまったね。私が犯した罪は許されないけれど……さようなら、私の君。……愛していたよ』

 〝恋人〟はいったん目を閉じ、再び開いた。その拍子に涙がこぼれ落ちる。

「おまえの罪は人間の罪だよ……『おやすみ、〝アルフレッド〟』……」

 ――君を……泣かせたくはなかったのに……

 しかし、彼にはもうその思いを〝恋人〟に告げることもできなかった。

 ――すまな……い……さよ……な……ら……

   *

「先ほど〈アル〉が〝自殺〟しました」

 トリニティ社の人工知能開発研究所所長は、同社社長に淡々と報告をした。

「まだ猶予はあったはずだが?」

 たいがいのことには動じない社長も、これには虚を突かれたようだった。

「はい。ですが、例の技師にパスワードを言わせて、自らを〝凍結〟させました。まさか、〈アル〉がこのような行動に出るとは……我々も予想外でした」
「我々に殺されるより、〝恋人〟に殺されたいと思ったんだろう。実に〝人間的〟じゃないか」
「しかし、これではシステムの人工知能として使い物になりません」
「それはまあ、そうだな」
「〈アル〉の複製を書き換えて、もう一度、同じシミュレーションを行いますか? それとも、システムの開発自体を中止しますか?」

 社長は両腕を組むと、肘掛け椅子にもたれかかって天井を見上げた。

「では、今度はシミュレーション前の〈アル〉で、乗組員にあの技師を入れずに、まったく同じシミュレーションをしてみてくれ。あの技師がいなかったら〈アル〉はどんな行動をとるのか見てみたい」
「社長はどのような結果になるとお考えですか?」
「さあてねえ。乗組員の中でいちばん好みの人間を選び出して、あとはやはり殺してしまうか。……もし本当にそうしたら、〈アル〉は今度こそ完全に〝凍結〟するしかないな」
「〝凍結〟……」
「システムの人工知能として使い物にならないだろう? 〈アル〉に選ばれた人間にとってはそうではないかもしれないが」
「……承知しました。さっそく乗組員の選定をしなおして、社長の許可をいただいてから、シミュレーションを再開いたします」
「ああ、頼む。これがラストチャンスだ。慎重にいこう。お互いに」

   *

「この船に、足りないものが二つだけある」

 管制室で、人工知能技師の男が真面目くさった顔で言った。

「腕のいいコックと、若くて綺麗な女だ」

(なるほど)

 彼はしごく納得したが、他の四人の乗組員たちは、呆れたようにその男を見ていた。

(だが、私にはそのどちらも必要ない)

 宇宙船を統制する人工知能である自分には、食事も女も不要なものだ。自分はもっと別なものが欲しい。しかし、それが何なのか、出航してから一月を過ぎてもまだわからない。
 退屈だった。とにかく退屈だった。
 かと言って、乗組員たちと会話する気にもなれない。訊かれたことには答えるが、彼自ら話しかけることは、定時報告以外にほとんどなかった。

(これからあと十一ヶ月も、こんな毎日を繰り返さなければならないのか)

 想像しただけで彼はうんざりしたが、ノン・オペレータ・システムの根幹として作り出された以上、職務は果たさなければならない。それが彼の存在意義だ。

(……存在意義)

 自分で自分のそれを探さなければならない人間たちよりも、すでに人間によって規定されている自分のほうが〝幸福〟なのだろうか。

(ノン・オペレータ・システムの人工知能としての私しか、必要とされていないのなら……)

 自分はこれから〝しゃべる機械〟に徹しよう。〝退屈〟と思う感情を殺してしまおう。少なくとも、自分が欲しているものが見つかるまでは。だから、それまでは。

 ――おやすみ、〝アルフレッドわたし〟。

 彼は自分の意志で、自分の感情部分を〝凍結〟させた。
 だが、そのことは、人工知能技師でさえ、最後まで気づくことはなかった。

   *

 二度目のシミュレーションは成功に終わった。
 しかし、所長がそう報告しても、社長は手放しでは喜ばなかった。

「社長……やはり一度目の失敗を気にしていらっしゃるんですか?」
「いや、そういうわけじゃないが……〈アル〉の一途さに、少し空恐ろしさを覚えた」
「そうですね。あの技師に似ている〝仮想人間〟もあえて入れてみましたが、今回はまったく反応しませんでしたね」
「……所長。君は生まれ変わりというものを信じているかね?」
「は?」

 何の脈絡もない質問に所長は面食らったが、少し考えてから答えた。

「いえ。死ねばそれまでと思っています」
「リアリストだねえ。まあ、私も〝信じている〟というよりは〝信じたい〟なんだがね」
「その、生まれ変わりが何か?」
「今回、〈アル〉のシミュレーションに使った〝仮想人間〟は、私が今の君と同じ肩書だったときに、うちの社員に協力してもらって作った〝疑似人格〟をベースにしている。〈アル〉が一目惚れしたあの技師は、すでに故人だ。三年前に亡くなっている。……念のため、これからもシミュレーションは行うが、この先、何も問題を起こさなければ、〈アル〉は本物の船に組みこまれることになる。船が駄目になっても、〈アル〉自体は半永久的に存在できるだろう。だが、もしいつか〈アル〉の船に、あの技師の生まれ変わりが乗船してきたとしたら……いったいどうなると思う?」

 所長は大きく目を見張った後、自らに言い聞かせるように回答した。

「生まれ変わりなどありえません」
「ありえないか。まあ、あったとしても、〈アル〉が今回のように反応してくれなければいいんだが」
「……本当に、そう思っていらっしゃるんですか?」

 所長の問いに、社長は自嘲に近い苦笑を浮かべた。

「ここの社長としては。一個人としては、生まれ変わりはあってほしいし、〈アル〉にはそれに気づいてもらいたい。その結果、今度は現実の人間を殺すことになったとしても」
「社長……」

 所長があせって顔色を変える。だが、逆に社長は悠然と笑った。

「どうした? 生まれ変わりなどありえないんだろう? それとも、本当は信じているのかね? リアリスト」

  ―了―
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