君に捧げる歌

河野彰

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序章

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 歌声が聞こえた。
 静かな中庭に、男子ソプラノの陽気で高く楽しげな歌声が。歌詞までは分からない。ただ、その弾むような旋律が中庭を囲む石造りの廊下に響いている。

 ローデリアス王国の第一王子ギルバート・ローデリアスは、王立の高等学部の入学式を終えた足で、従者のディミトリと共に、中庭に差し掛かったところだった。
 ギルバートは15歳。キリリとした濃い緑の瞳に、若い雄獅子のような黄金色の短い金髪、成長途中の若々しさに溢れた、若干傲慢な少年だった。──恵まれた容貌に第一王子という地位、生来の利発さに加え努力も怠らぬ、少し出来すぎた少年。
 友のディミトリは王子より二歳年上の、聡明な美しい青年だった。流れるような銀髪を肩下で切り揃え、柔和な笑顔は男女を問わず魅了する、ギルバートの腹心。主人に付き従って、この王立の学校に共に入学したところだった。
 微かに聞こえた歌声にふと、興味を惹かれ、ギルバートは足を止めた。美しい玉で飾られた廊下から、薔薇が咲き乱れる中庭を覗き込む。軽やかな歌声はまだ続いている。
 中庭の中へと二歩、三歩と入っていく。友であり従者のディミトリは、黙って後から従った。
 黒髪の小柄な少年がいた。
 庭の陽光に照らされて、淡い緑の瞳が喜びを湛えていた。歌を歌い終わり、深く息を継いで、今度は先程よりもか細く密やかな声で、次の曲を歌いだす。
──ああ、聖なる天の御遣いよ。どうか我の願いを聞き給え。天にも地にも悪心などはない。神に伝え給え。この身も心も、神への供物なりと。ああ、聖なる天の御遣いよ。我を照覧あれ──。
 神を讃え、我が身を神に捧げると誓う聖歌だった。歌声は次第に高くなり、高音の叫ぶような祈りが少年の唇から紡がれる。
 ギルバートは少年の歌声に聞き惚れていた。身なりは粗末な、ちっぽけな少年からこんなにも美しく力強い歌声が出るのかと、驚いていた。
「西の平民学舎のエミリオ・カーライルですね。確か、聖歌隊のメンバーですよ。成績も優秀で貴方に次いで次席に名前を連ねている筈です」
 情報通のディミトリが主の耳元にそっと囁く。ギルバートはそれを聞くともなく聞いていた。自分とは身分が釣り合わぬ少年をただただ見つめていた。
 エミリオは歌い終わった。既に何曲も歌い続けていたのだろう、肩で大きく息を吐いている。長めの黒髪を麦藁と共に編み込んで、肩から胸元近くまで垂らしていた。聡明そうな明るく輝く緑の瞳、誰かのお古らしい平民学生が着る灰色の半ズボンの制服から伸びる細い手足。成長途中らしい、まだ薄い身体。
 ディミトリがまた主人に声をかけた。
「羊飼いの両親の元に産まれた、異端の秀才です。……お声をかけられますか?」
 学舎は貴族の子弟が通う東学舎と、平民が通うことの出来る授業料免除の西学舎に別れていた。二つの学舎では同じ内容を学ぶことが出来るが、平民学舎への進学も通学も、領主やその街の司祭らの推挙と生活費の援助がなければやっていけない。
 エミリオは街の司祭の推薦で入学したのだと、ディミトリは付け加えた。
「……いや、良い。少し興味を惹かれただけだ」
 西の学舎、平民の出、粗末な身なり、なのに自分に劣らぬ優秀な成績……。僅かな選民意識とライバル心が無意識にギルバートに無愛想でつっけんどんな態度を取らせた。
 自分で思うより大きな声が出てしまい、エミリオがはっとこちらを振り返った。視線が絡み合う。エミリオはこちらを知っていると見え、その場で歌声を聞かれていた羞恥に顔を赤らめ、次の瞬間ばっとその場にひれ伏した。
「ギ、ギルバート……様っ!」
 変声前の高く鈴が鳴るような涼やかな声だった。だが、他人に頭を下げられることに慣れている筈のギルバートの身に、ピリッとした苛立ちが走った。中庭に入りかけていた身体を翻し、何も言わず、その場から足早に遠ざかる。ディミトリがエミリオに軽く会釈し、立ち上がるよう促しながら、主人の後をパタパタと追った。
 地面から頭を上げて、エミリオは呆然と我が国の第一王子を見送った。
 これが二人の、運命の出会いだった。
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