君に捧げる歌

河野彰

文字の大きさ
5 / 11
1

しおりを挟む
 その日から、二人は急速に近づいた。エミリオが控えめながら、わずかな一歩でその距離を縮めたのだった。
「おはようございます、ギルバート様」
「ん」
 今まですれ違う度にエミリオが見ていたのは地に落ちたギルバートの影だった。それが遠慮がちにではあるが、その美しい頬あたりへ目線を据えて挨拶するようになった。ギルバートも短くだが返答を返す。
 まず変わったのは、共に机を囲む図書室の空気だった。 
 それまでは互いの論理の穴を探すために向けられていた視線が、今は一つの頁を共有するために注がれている。難解な古典を読み解く最中、エミリオがふと、羊飼いの知恵に聖書の詩句を交えて「神の慈悲」を語る。ギルバートはそれを「非合理的だ」と切り捨てる代わりに、ペンを置き、エミリオの言葉が紡ぐ景色を頭の中に描くようになった。
「……お前の言う通りなら、この一節は軍事的な統治ではなく、民の安らぎとして解釈すべきか」
 ギルバートが零す独り言のような言葉に、エミリオは「左様でございます」と花がほころぶように笑う。その笑顔を見るたび、ギルバートの胸の奥にある、王子という名の堅い結び目が一つずつ解けていく。
 食堂での風景も一変した。 
 華美な円卓の中央で取り巻きに取り囲まれ食事を摂っていたギルバートは、今やエミリオと同じ、窓際の質素な席を好むようになった。 エミリオが食酢平民向けの麦とじゃがいものスープを、ギルバートは「田舎臭い味だ」と毒づきながらも、差し出されれば当然のように口にする。噛み締めるたびに広がる土の甘みは、宮廷のどんな贅を尽くした菓子よりも、ギルバートの乾いた心を潤した。
 放課後の時間は、二人の「聖域」となった。 ある日はギルバートの広大な私室で。またある日は、学生寮の端にあるエミリオの質素な小部屋で。 部屋を行き来する際、ギルバートはエミリオの歩幅が自分よりわずかに短いことに気づき、無意識に足を緩めた。エミリオはその優しさに気づかないふりをして、隣を歩くギルバートの衣の擦れる音を、この世で最も美しい音楽のように聴いていた。
 エミリオの部屋は狭く、古びた羊皮紙と野草の香りが満ちている。 そこで共に課題をこなし、疲れるとエミリオが故郷の民謡や聖歌を口ずさむ。ギルバートはその歌を聴きながら、王としての義務でも王子としての虚栄でもない、ただの「ギルバート」という一人の人間として呼吸することを許されていく。
 「エミリオ。……明日の朝も、あの場所で待っていろ」
 別れ際、ギルバートが掛ける言葉は、相変わらず命令のような響きを帯びている。 けれど、その声には以前のような棘はなく、代わりにエミリオの手を握りしめた時の、あの切実な熱が宿っていた。エミリオは深く頭を垂れ、立ち去る王子の背中に向かって、心のなかで何度も繰り返す。 
(お慕いしております。好みをすべて捧げても良いほどに……)
 影を踏んでいた日々は遠く。今、二人の歩む足跡は、夕暮れの回廊に一つに重なり合っていた。
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

鎖に繋がれた騎士は、敵国で皇帝の愛に囚われる

結衣可
BL
戦場で捕らえられた若き騎士エリアスは、牢に繋がれながらも誇りを折らず、帝国の皇帝オルフェンの瞳を惹きつける。 冷酷と畏怖で人を遠ざけてきた皇帝は、彼を望み、夜ごと逢瀬を重ねていく。 憎しみと抗いのはずが、いつしか芽生える心の揺らぎ。 誇り高き騎士が囚われたのは、冷徹な皇帝の愛。 鎖に繋がれた誇りと、独占欲に満ちた溺愛の行方は――。

希少なΩだと隠して生きてきた薬師は、視察に来た冷徹なα騎士団長に一瞬で見抜かれ「お前は俺の番だ」と帝都に連れ去られてしまう

水凪しおん
BL
「君は、今日から俺のものだ」 辺境の村で薬師として静かに暮らす青年カイリ。彼には誰にも言えない秘密があった。それは希少なΩ(オメガ)でありながら、その性を偽りβ(ベータ)として生きていること。 ある日、村を訪れたのは『帝国の氷盾』と畏れられる冷徹な騎士団総長、リアム。彼は最上級のα(アルファ)であり、カイリが必死に隠してきたΩの資質をいとも簡単に見抜いてしまう。 「お前のその特異な力を、帝国のために使え」 強引に帝都へ連れ去られ、リアムの屋敷で“偽りの主従関係”を結ぶことになったカイリ。冷たい命令とは裏腹に、リアムが時折見せる不器用な優しさと孤独を秘めた瞳に、カイリの心は次第に揺らいでいく。 しかし、カイリの持つ特別なフェロモンは帝国の覇権を揺るがす甘美な毒。やがて二人は、宮廷を渦巻く巨大な陰謀に巻き込まれていく――。 運命の番(つがい)に抗う不遇のΩと、愛を知らない最強α騎士。 偽りの関係から始まる、甘く切ない身分差ファンタジー・ラブ!

後宮の男妃

紅林
BL
碧凌帝国には年老いた名君がいた。 もう間もなくその命尽きると噂される宮殿で皇帝の寵愛を一身に受けていると噂される男妃のお話。

博愛主義の成れの果て

135
BL
子宮持ちで子供が産める侯爵家嫡男の俺の婚約者は、博愛主義者だ。 俺と同じように子宮持ちの令息にだって優しくしてしまう男。 そんな婚約を白紙にしたところ、元婚約者がおかしくなりはじめた……。

神父様に捧げるセレナーデ

石月煤子
BL
「ところで、そろそろ厳重に閉じられたその足を開いてくれるか」 「足を開くのですか?」 「股開かないと始められないだろうが」 「そ、そうですね、その通りです」 「魔物狩りの報酬はお前自身、そうだろう?」 「…………」 ■俺様最強旅人×健気美人♂神父■

敵国の将軍×見捨てられた王子

モカ
BL
敵国の将軍×見捨てられた王子

魔王に飼われる勇者

たみしげ
BL
BLすけべ小説です。 敵の屋敷に攻め込んだ勇者が逆に捕まって淫紋を刻まれて飼われる話です。

悪役令嬢の兄でしたが、追放後は参謀として騎士たちに囲まれています。- 第1巻 - 婚約破棄と一族追放

大の字だい
BL
王国にその名を轟かせる名門・ブラックウッド公爵家。 嫡男レイモンドは比類なき才知と冷徹な眼差しを持つ若き天才であった。 だが妹リディアナが王太子の許嫁でありながら、王太子が心奪われたのは庶民の少女リーシャ・グレイヴェル。 嫉妬と憎悪が社交界を揺るがす愚行へと繋がり、王宮での婚約破棄、王の御前での一族追放へと至る。 混乱の只中、妹を庇おうとするレイモンドの前に立ちはだかったのは、王国騎士団副団長にしてリーシャの異母兄、ヴィンセント・グレイヴェル。 琥珀の瞳に嗜虐を宿した彼は言う―― 「この才を捨てるは惜しい。ゆえに、我が手で飼い馴らそう」 知略と支配欲を秘めた騎士と、没落した宰相家の天才青年。 耽美と背徳の物語が、冷たい鎖と熱い口づけの中で幕を開ける。

処理中です...