ひと繰りの白虎姫

河野彰

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【第1章:起動(ブートアップ)】

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​(……くっだらない)
 毎朝そう思いながら覚醒する。
 浅葱加那は、網膜に投影されるノイズ混じりのアラームを舌打ちで弾き飛ばした。コンタクト型のデバイスと生活を支えるアプリ。恐らく日本国民の八割以上が使っているだろうそれ。 
 時刻は午前六時前。
 学校への登校シーケンスを開始するには早すぎる。再スリープするには中途半端だ。
 階下からは、いつものように両親の不協和音(ノイズ)が響いてくる。
 感情の解像度を低く保とうとする父親と、ヒステリックにボリュームを上げる母親。
 今日のデバッグ対象は「アイロンのかかっていないワイシャツ」らしい。
(本当に、くだらない……。そんなにバグだらけなら、システムごと初期化(離婚)しちゃえばいいのに)
​ 加那はリビングで罵り合う二人に「おはよ」と最小限のパケットを投げるが、彼らの受信ポートは閉じられたままだ。
 朝の挨拶は大切だと言って育てられた。今の彼らにはどうでも良いことらしい。
 朝食の準備とそれぞれの仕事の支度と、器用にこなしながら両親は罵り合う。
 おそらく今日も最初はほんの些細なすれ違い。
 ほんの少しの嫌味の応酬。
 それが毎日毎日大喧嘩へと発展するのだ。
 よくもこれだけすれ違いながら一緒に住めるものだと思いながら、加奈は脱衣所で顔を洗い髪をブローする。
 可愛いね、と言われるのには慣れている自分の顔がある。素肌でも白くそばかすのない肌に、ツンと上向きの唇。通った鼻筋。
 そして小柄で細身の身体。
 前下りのボブに、パツンと揃えられた前髪にも丁寧にアイロンをかけて、毛先だけをやや内巻きにした。
「加那! 朝ごはんは……」
「いらない。ゼミでリソース使うから夕飯もパス」
 加那は背後から追いかけてくる父親の声という名のログを無視し、かかとを踏み潰したスニーカーを履いて、外界へと接続した。
 今日は加那の17歳の誕生日だ。
「ハッピーバースデー、私」
 呟きはエレベーターのエントランスに着く頃には朝のタイムラインのログに流され消えた。

​(2)
​ 通勤ラッシュのピーク前、加那は一人で電車という名の移送ユニットに乗り込む。
 昨夜は友人の恋の悩みという「低価値なデータ」の同期に付き合わされ、睡眠リソースを削られた。
(ばかばかしい。結局みんな、誰かの皮(スキン)に恋して、後で中身のバグに絶望するのに)
​ 駅前のコーヒーチェーン。加那の指定席は、窓際カウンターの中央。まるで彼女専用にリザーブされているかのように、毎日空いている。
 リュックからポーチを取り出し、最低限の「女子高生」という名のテクスチャを顔面に上書きしていく。白粉、マスカラ、色付きのリップ。
 ベーグルを齧りながら、足元のストリートを流れる人々を眺める。
(……くっだらない)
 全てが既定のプログラム通りに動いているようで、反吐が出る。
  けれど、お腹がくちくなればそれなりに気分は浮上する。
 昨日ラインを一方的に切った友達に、『昨夜は眠くてごめんね。応援するよ、頑張れ!』と定型文をラインする。 
 足元から数十メートル先にバスが来た。加那が乗るバスだ。人の入れ替えで、長い列ができている。
今から店を出ても十分間に合う。
 加那はリュックを背負って、店を出た。

 加那にだけは、その老女がよろけたのが分かった。
 誰もその老女を気にしていなかった。
 加那が乗ろうとしたバスの長く伸びた列の最後尾あたりだった。そこからはみ出すように不意に一人の老女が横へ逸れたのだ。
 その後ろの若者はこれ幸いと彼女を抜かしてバスに乗り込もうとする。若者のボストンバッグがさらに彼女の肩に当たり、どうっと老女は倒れ込んだ。
(どいつもこいつも、本当にクソなプログラムで動いてる)
 キャッと叫んで固まるだけの女性や、ばつが悪そうな若者を押しのけて加那は老女の元へ急ぐ。
 たどり着き仰向かせると、老女は肩で息をするのも苦しそうで、胸を掴んでごくゆるく呼吸をしていた。
「大丈夫ですか!?」
 網膜に浮かび上がる老女のバイタルは明らかに低下しており、呼吸の波形が乱れている。
「貴女……」
 老女はうっすらと目を開けた。声が声になっていない。
 周囲もざわざわと騒ぎ出した。救急車だ、いやAEDだと声がする。
「はい」
 加那は、老女に呼ばれたような気がして、彼女の口元へと耳を寄せた。
「ごめんなさいね。あの子を、光流を……よろしく」
 「貴女……ごめんなさいね。あの子を、よろしく……」
 そう聞き取れた。
 『迷惑をかけてごめんなさい』だろうか。しかし、あの子とは?
 周囲に子供と思われる年齢の者はいない。
 そうしているうちにも、老女は意識を失ったようだった。
 救急車が駆けつけるまで、加那は声をかけ続けた。
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