ひと繰りの白虎姫

河野彰

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【第1章:起動(ブートアップ)】

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 神功光流(じんぐう みつる)は、染料商社の薄暗いオフィスで、突如としてバックボーンに走った電気信号に立ち上がった。
「亡くなった……」
 つい、声に出して呟く。
 自分の主人が、今、息を引き取ったのが光流には分かった。
「おい……? どうした、何が無くなったんだ?」
 隣の同僚が怪訝そうに光流を見上げた。
 小さな、染料を扱う商社の事務所だった。
 いきなり立ち上がった光流を、全員が仕事の手を止めて、ぽかんと見ていた。
 光流は事務所の経理担当だ。
「マスターが……亡くなった」
 彼には分かった。自分という存在をこの世界につなぎ止めていた、唯一の主人が消滅したことが。
「おい、神功? どうした」
 隣の同僚の声が、遠くのノイズのように聞こえる。
 光流は経理担当として、徹底して背景になりきって生きてきた。目立たない黒髪、黒縁眼鏡。数年ごとに履歴を偽装し、社会という名のサーバーに寄生してきた存在。
 その光流が、今立ち上がり不意にぽろりと泣いた。
「どうした……?」
 経理部長が、伺うように席から声をかけてきた。
 光流はそちらを向く。涙が止まらなかった。
「いつまでもこの生活が続けられるとは思っていませんでした……けれど、彼女が死んでしまった」
 姿の変わらない自分がいつ命尽きるのかも分からない。
 もしかしたら死ねない体なのかもしれない。
 けれど彼女さえ側にいれば……それで良かったのに。
「お前、一体どうしたんだ?」
 部長が戸惑いつつ近寄ってくる。
 他の職場の人間は誰も言葉も出ない様子だった。
「お世話になりました……失礼します」
 光流は一歩下がり、職場の全員へと向けて丁寧に頭を下げた。
 親族でもない光流は彼女の病院へも、葬儀へも駆けつけられない。
 これから行く場所もない。
 どこへも行けない。
 もう彼女には会えない。優しいあの笑顔にもう会えない。
「おい!」
 引き止める同僚たちの声も光流には届かなかった。
 心の中は空虚だった。
 光流はデスクや荷物はそのままに、会社を後にした。
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