【完結】【R18】【BL】ミスティの記憶と悲しみの竜

柚槙ゆみ

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第三章

恐怖

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 誰かのやさしい手が額に触れている。ミスティはゆっくりと意識を浮上させた。目を開けると暗い部屋の中にいるのかと勘違いした。ぼやけた景色がはっきりして、ミスティは一瞬でついさっきのことを思い出す。

「ぅあああっ!」

 情けない声を上げて起き上がった。そこには岩場と森、そして地面を赤黒く染めた血の臭いがミスティの鼻を突いた。
 起き上がった目の前には、先ほど男の頭部を捻じ切った化物が片膝を突いてこちらの様子を伺っていた。

「な、な、なんだよ! あんた誰なんだ! なんで人を、ころ、殺して……!」

 ミスティは男から距離を取るように後ろへと下がっていく。背中が岩に当たり逃げ場がなくなった。男の手には見慣れたものが握られている。

「それ、僕の……日記帳」
「そうだ。ミスティの日記帳だ。ここに昨日の出来事が書いてある。それをまず読んでほしい。俺は、近くの川まで行ってくる」

 ここに置いておくから、と男がミスティの日記帳を足元に置いた。そのまま立ち上がり、森の中へと入っていく。姿が闇に溶けてしばらくして、ミスティは森の方を警戒しつつ男が置いた日記帳を取りに行った。
 昨日の出来事を確認するために日記帳を開く。そこには驚愕な事案が書かれてある。森の中に入って行った男は一緒に旅をしているルトで、毎夜キスをして治療実験を行っていると書いてあった。

「は? 治療実験? 竜人……」

 ミスティとルトはもう長いこと一緒に旅をしていると知って驚いた。あんなふうに人を殺す人間といたことに考えが追いつかない。

「どうなってるんだ……僕は、ククルド村からこんなところに来て……」

 膝を立てて蹲る。なにも覚えていないことがこんなに怖いと思わなかった。目が覚めると覚えていない場所にいて、知らない人物と旅をしている。どうやって理解すればいいのか。これまでの自分はちゃんとルトの説明を信じて、この自分で書いた日記帳の中身を信じていたのだ。
 しかしさっきのような恐ろしい光景を見せられて、それでもこの日記の中のルトを信用できるのかわからない。

「どうすればいいんだ……」

 蹲ったまま動けず、そうしているうちに夜が明けた。辺りは明るくなり、森の奥から人が歩いてくるのが見える。それがルトだと気づいて緊張が走った。

「日記を読んだのか?」

 血だらけの顔は綺麗になっている。服についた血も洗ったのだろうか。黒い服だからよくわからない。

「読んだ……ルト、っていうんですね、あなた」
「そうだ。その、あんなことをしたのは、自分でもよくわからなくて……気づいたら、男の首を……。こんなことは初めてだから、俺も自分で驚いているし、困惑している。怖い思いをさせて申し訳ない」

 困惑し苦しそうな顔をしたルトが、まるでそれを隠すように左手で覆った。その手はミスティが見た異形ではなかった。しかし手の甲などには黒い痣のようなものが見える。

「この日記の内容は本当なんですね。僕の字だし、いろいろと詳細が書かれてあるので……」
「そうだ。本当のことだ。昨日の夜はキスをしなかった。そのせいで記憶がすべて消えているのだと思う。これでわかった。俺は竜人でミスティは俺の体液で物忘れが治るということだ」

 ルトが飛び散った鮮血で消えてしまった薪に、土をかけ始めた。それを足で踏み固め、自分の荷物をまとめている。

「ここを片付けたら出発する。ミスティ……俺と一緒に、まだ、旅ができるか?」

 ミスティに背中を向けて荷造りをしていたルトが聞いてくる。すぐに返事はできなかった。自分の書いた日記の中身を信じたいが、昨夜見た出来事もまた真実なのだ。

「僕は、ルトとキスをしたら、物忘れが治るんですか? これまでのことも思い出せるんですか?」
「キスをすると……前日の記憶が残るのは実証できた。でも過去のことも思い出せるかどうかまでは……。ミスティの記憶の鍵を握るのは、俺だということはわかった。だが……」

 昨夜の出来事が原因で、ミスティがルトを怖がり旅をやめたいというならそれでもいい、と彼は感情のないような声で伝えてきた。
 ルトのことは怖い。それはもうしかたがなかった。

(僕はどうすればいいんだ……。一人でいることも、ルトと一緒に行くことも怖い)

 ミスティがためらっていると荷造りの手を止めていたルトが動き出し、さっさと荷造りを終わらせ鞄を肩から下げて立ち上がる。

「どちらにしても、俺は次の街に向かう。もしも一緒に来る気があるなら、この地図を頼りにくればいい」

 ルトが折りたたんだ紙を自分の足元に置き、ちらりとミスティの方を見てから背を向けた。昨夜見た恐ろしい姿はそこにはなく、彼の背中はとても小さく見える。
 ミスティはなにも言えなかった。そしてルトはその場から立ち去り、一人になってしまう。そうなると今度は違う不安が襲ってくる。

(こんな場所で、一人なんて気持ち悪い……)

 辺りは血だらけなのだ。ミスティが気絶している間に、捻じ切った頭部と胴体をルトがどこかに移動させたのだろうが、その凄惨な現場はそのままだ。
 ミスティは大急ぎで荷造りを始める。この場所にいるのも一人で旅を続けるのも、ルトと一緒に行くのもすべてが怖かった。だがひとつ望みがあるのとしたら、怖いと思っているルトについて行けば、少なくとも朝起きたときに覚えていない恐怖に混乱はしないということだろうか。
 荷造りを終えたミスティは、ルトが置いていった地図を掴んで彼の後を追うように走り出したのだった。
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