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第一章 帰ってきた幼馴染

みんなへの報告と、青司特製ブレンドコーヒー

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 帰宅してから何度も真剣に考えた。
 わたしの一存で、みんなに報告してもいいものかって。
 結果、わたしはかつてのお絵かき教室の仲間たちに、青司くんが帰ってきたことを伝えた。
 やっぱり自分一人の胸の内に留めておけない。
 一斉送信すると、すぐに、驚きやら困惑やらの反応が返ってきた。
 紅里あかりからは特に怒りにあふれたメッセージがくる。

『ちょっと! どういうこと? ずっと音沙汰が無かったのにしれっと戻ってきて。しかもお店を開く? 真白、あんたそれでいいわけ!?』

 青司くんと再会したばかりの自分と重なった。
 戸惑いのあとに、まず怒りがきた。紅里も同じだったのかと思うとおかしい。
 でも……。
 紅里だって話せばわかってくれるはず。

 青司くんが連絡とれなくなった理由や、今までどこに行っていたのか、何をしていたのか、ということをわたしはさらに細かく伝えた。
 人は受け取った情報によって見方を変える。
 幸いなことに、みんなにはそれで納得してもらえたようだった。
 紅里だけは、最後まで無理だったけれど。

『そういういろんな理由があったとしてもさあ、あんただけはちゃんとけじめを付けなきゃだめだよ。十年間ずっと立ち止まったままだったんだから。その止まった「時」を、自分から動かさなきゃ。じゃなきゃ……またつらい思いをする。あたしはそんな真白をもう見ていたくないよ』

 お母さんみたいなことを言うなと思った。
 わたしは「ありがとう」とだけ返した。

 青司くんがいなかった間、わたしはたしかにいろいろと迷走していた。
 そのことを、家族や紅里など身近な人たちはしっかり見ている。
 気分を変えて新しい場所に飛び込もうとして、またはなにかやろうとして、失敗して、元に戻る、そんなことをよく繰り返していた。

 それで傷つけてしまった人もいる。
 黄太郎こうたろうもその一人だ。
 スマホ上に映る、アドレス先を見つめて思う。

 星野黄太郎。

 彼は、紅里やわたしと同じお絵かき教室に通う生徒だった。
 高校生になったとき、わたしは一つ上の彼から告白されて付き合うことになった。
 もともとそんなに嫌いじゃなかった。
 でも、わずか一週間で別れることになってしまった。
 キスをされそうになったとき、やっぱり青司くんがいいってわかってしまったからだ。

「黄太郎……元気かな」

 青司くんのことを連絡しても、彼からだけは返事がなかった。
 宛先不明で戻ってきてはいないから、たぶん読んではくれてるんだろう。でもどういう言葉をわたしにかけていいかわからないのかもしれない。

 『良かったな、真白』?
 それとも『もうそんなやつと付き合うんじゃない』?

 どっちにしても、もし返ってきていたら、わたしは少し心強くなっていたと思う。
 彼はいつでもわたしのことを考えてくれる人だったから。
 ああ……でもダメだ。
 またこんな風に他人に甘えようとしている。

 紅里が言うように、わたしはわたしだけでけじめをつけないといけない。
 誰の助けも借りずに。


 ※ ※ ※ ※ ※


 翌日。
 わたしは青司くんの家には寄らないで、そのまままっすぐアルバイト先に向かった。
 夕方には寄るつもりだったけど、朝はまだ気持ちの整理がついていなかったのだ。

 いつものように職場に着くと、店長がたまたま休憩室にいた。
 わたしは思い切って話を切りだした。

「あの。おはようございます、店長……。実は折り入ってお話が」

 仕事を辞めさせてほしいと告げると、大きなため息をつかれた。

「三月いっぱいで? それはちょっと、困るなあ。四月になれば新しい学生バイトとか、子育てがひと段落した主婦が自然と入ってきてくれるんだけど……その人たちが入るまで、もう少しいてもらえないかな」
「友人の……お店を手伝うことになったんです。そのお店のオープンが四月からで。今から準備もありますし、その……少し難しいかと」
「そうか。うーん。わかった。早めに募集をかけるけど、入らなかったらできるだけギリギリまでいて」
「わかりました。検討します」

 抜けた人の穴を埋めるため、タウン誌などに求人の広告を出すのはお金がかかる。
 店側に負担をかけてしまうとわかっているので心苦しかった。
 でも、もともとギリギリの人数で回していたので、わたしじゃなくても突然辞める人がいたらこうなっていたと思う。
 誰かが、急に怪我や病気で来れなくなってしまうことだってあるのだ。

 経営者としてできるだけ人件費を抑えたいのはわかるが、それはそれ。わたしの問題とは関係がない。
 わたしはわたしの人生を生きたい。
 店長に話は通せたので、あとは早く代わりの人が入ってくれるのを願うだけだった。


 ※ ※ ※ ※ ※


 仕事が終わり、また青司くんの家に向かう。
 どきどきするけど、いい加減覚悟を決めなきゃ、と思う。
 
 どんなに思わせぶりな態度を取られても、絶対動揺しない。
 青司くんが内心どう思っていたとしても、努めて平静でいよう、と心に誓いながら……。

「うん、よし!」

 気合を入れて、わたしは店の玄関扉を開けた。

「あ、おかえり真白」
「ただい、ま……?」

 予想外の言葉だったので、つい「ただいま」と条件反射で返してしまった。
 え、なに。
 これじゃあまるで。

「あ……ごめん。これじゃあまるで真白もここに住んでるみたいだな。あの、わ、忘れて!」
「い、いや……」

 照れて顔をそむける青司くんに、わたしは首を横にふった。

「別に、へ、変じゃないよ。これから働こうとしてる店に、帰ってきたん……だし」
「そう?」
「うん……。ただいま、青司くん」
「うん、おかえり。真白」

 そう言って、ふわっと優しい笑顔を向けられる。
 ああもう。
 さっきまで固く、いろいろ決意していたのが全部無駄になる。その笑顔は……ずるいよ。

 顔を熱くさせながらコートを脱いでいると、サンルーム越しの庭に誰かがいるのが見えた。

「あれ……? あそこ、誰かいる?」
「ああ、あれは庭の手入れをしてもらってる、森屋園芸さんだよ」
「え? 森屋園芸さん……って、たしか昔もここで仕事してた園芸屋さんだよね?」
「うん、そう」

 青司くんによると、建物とは別に、庭もずっとよそに管理を任せていたらしい。
 そのメンテナンスをしていたのが、十年前からここで世話を続けている森屋園芸さんだった。

 あそこにいるのは、その店主の森屋堅一さんだ。
 わたしは彼のフルネームを、このとき初めて青司くんから聞いて知った。

「あの綺麗なお庭を作ってたのは、あのおじさん……だったんだ」
「うん。母さんは庭のことはすべてあの人に任せてた。手入れも年に三回までって決めてたんだけど、でも俺がいなくなった後は誰も住まないから、枯れたのとかはもうそのままにしてていいって頼んでたんだ。でも、店を始めるにあたって……さすがにこのままじゃまずいって、今もう一度作り直してもらってるんだよ。よく見ると、ところどころに新しい花が植え直されてるだろ?」
「あ……そうだね」

 紺色のつなぎを着た男性がせっせと木の枝を剪定したり、花苗を植え込んだりしている。
 お絵かき教室に通っていた頃も、たまにあのおじさんを見かけた。
 元から無口な人なのか、こちらが話しかけても無視されることが多かったけれど。

「さ、真白。今日はいろいろドリンク作ったから試してみて」
「ドリンク?」
「そう。紅茶と日本茶はもう試飲済みだから、今度はコーヒー。それからジュース類も」
「うわー。すごいね」

 わたしはカウンターの上に並べられたコーヒーや、カラフルなジュースを見て声を上げた。

「いいかい、真白。あくまで試飲だからね。試飲。全部飲む必要は、ないんだからね?」
「わかってますよう」
「ほんとか……?」
「ほんとだって!」
「ふふっ」
「あははっ」

 思わず二人とも吹きだす。
 どれだけわたしは食い意地が張っていると思われているんだろう。

 たしかに昔はよく食べていた。
 でもそれは、ここで出されるおやつがどれもとても美味しかったからで。もっと食べたくて、でも人前ではなかなかそうできなくて。それでついつい、チャンスがあればたくさん食べてしまっていた。
 きっとそのイメージが強く残っているんだろう。

 わたしは「いただきます」と言って、最初に熱々のコーヒーを口にした。

「……っ!」

 ふわりと、芳ばしくて華やかな香りが鼻に抜けていく。
 続いて、わずかな酸味と爽やかな甘味。苦みがあまりないからか、とても飲みやすかった。
 
「美味しい……。すごく美味しいよ、このコーヒー。若い頃はコーヒーって、苦いだけであんまり好きじゃなかったけど……大人になってからは好きになって、最近よく飲むようになったんだ。でも、このコーヒーは普段のと全然違う……なんで?」
「俺の、特製ブレンドなんだ。コスタリカとエチオピアとブラジルの豆を混ぜてる」

 青司くんはそう言って得意そうに笑った。
 わたしは次々述べられた国名に首をかしげる。

「えっと……産地とか、わたしはよくわからないんだけど、なにか違いがあるの?」
「よく訊いてくれました。それぞれ香りが独特だったり、酸味とか甘味の違いがあるんだよ」
「へえ。青司くん特製ブレンドかあ」

 もう一度口に含んで、ゆったりと味わう。

「うん。甘いものと一緒だったら、わたしはもう少し苦くてもいいかなあ。でも、コーヒーだけ頼むお客さんもいるよね。飲みやすかったらお代わりもしてくれるだろうし、うん。良いと思うよ」
「あ、そうか……。ケーキと一緒に食べるとしたら、苦みがもう少しあってもいいのか」
「そう、だね。お口直しとして飲まれたりもするから」
「このブレンドはこのままで、あともう一つ、苦めのコーヒーを置こうかな……」

 なにやらそうぶつぶつと言いながら、青司くんはコーヒー豆の入った袋を見くらべている。
 わたしはそんな真剣な青司くんの横顔を見ながら、ああとっても幸せだなあとしみじみ思った。
 いつまでも二人きりでこうしていたい。

 でも――。
 わたしは青司くんのお店も成功させたい……。だから、意を決して言った。

「青司くん。あのね、わたし、みんなに青司くんが帰ってきたこと……知らせたよ」
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