6 / 53
二日目
第5話 「中庭の少女」
しおりを挟む
鳥たちの歌う朝。
空は真っ青に晴れ渡り、心地よい潮風が庭の木々を揺らしている。
つるバラが生い茂ったレンガの壁。きれいに刈り込まれた芝。清涼な水がわき出る噴水。すべてが美しく輝いて見えるのに、少女の心だけはそれに反するように深い悲しみで覆われていた。
「お父様……お母様……」
しくしくと、誰もいない中庭で、薄紅色のドレスを着た少女が泣いている。
正確には一人だけ、少女を監視するメイドが離れた位置に立っていた。少しの間だけ独りにしてほしいと少女に頼まれたので、あえてこのような位置にいる。庭が良く見える屋敷の通用口前だった。他のメイドたちは「なんであのメイドだけ、あそこに直立不動で立っているのかしら」などと口々に噂している。
「早く……帰りたい。戻りたい。ユリオン村に……」
少女の涙は止まる気配がなかった。
館に着いてから、ちょうど一夜が明けている。
少女はあれからひどい扱いを受けることも無く、満足な食事に風呂、ふかふかのベッドに綺麗なドレスと、至れり尽くせりのもてなしを受けていた。
それでも、急に家族と引き離されたことや、さらわれたという事実は変わらない。
「お父様たち、今頃どうしているかしら……。きっと、とても心配しているでしょうね……」
本当の親のように育ててくれた養父母のことを思い出して、ガーネットはまたその深紅の瞳から幾筋もの涙をこぼす。小鳥たちが、そんな彼女をあざ笑うように空へ飛び立っていった。
「ああ、あなたたちは空を飛べて……いいわね。わたしもああやって飛べたら……ここから逃げられるのに」
青空に消えていく鳥たちを目で追う。
けれど、唐突にその鳥の一羽が落下した。何か黒い大きな毛玉とともに地面に転がる。
「えっ?」
一瞬目を疑った。
急に視界に飛び込んできたものに驚く。それは……高い塀を飛び越えてきた一匹の黒猫だった。上手に小鳥を口でキャッチして、今なお、息の根が止まるまでその首根っこを強く噛んでいる。
「ね、猫さん?」
おずおずと近づいてみる。
猫は小鳥を仕留めきったとわかると、血に濡れた顔を上げて少女を見た。一瞬、その目が大きく見開かれる。
――――お前は、あの時の。
瞬間、あたりに少年の声が響き渡った。だが、見回してみても誰もいない。少女はいぶかしげにもう一度黒猫を見た。空のように、海のように透き通った青い目。この瞳は、どこかで一度見たことがあるような……。
「あっ、そうだ。昨日の猫さんに似てるんだ。たしかすごく綺麗な青い瞳だったわ。もしかして……あなた……」
じっと見つめていても変わった反応は見られない。
気のせいかと思っていると、また声が聞こえてきた。
――――本当に、あの時の人間だ。この赤い瞳、忘れもしない。そうだ。そういえばこいつらがいけないんだった。ボクの魚をとりやがって。
「えっ? 魚?」
どこからともなく聞こえてくる少年の声は、怒りに満ちていた。ふと黒猫を見ると、同じように背中の毛を逆立てている。
「えっ? どういうこと? この声……まさか……」
少女が一つの結論に達しようとしたところで、少女付きのメイドがあわてて駆け寄ってきた。
「こら、ガーネット様に近づくな! あっちへ行け! この野良猫!」
庭の角に置かれていた箒をぶんぶんと振り回し、追い払おうとしている。黒猫は分が悪いと思ったのか、先ほどの小鳥を咥えると一目散に駆け出して行った。庭を横断すると、ひょいと飛び上がって塀の向こうへと消えていってしまう。
メイドは箒を逆さにしたままため息をついた。
「まったく、このお屋敷は堀で囲まれているというのに……いったいどこから入ったんでしょう。ガーネット様も、迂闊にああいった動物に近寄らないでください」
「はい……ごめんなさい」
しゅんとして反省してみせると、メイドは腰に手を当てて困ったように言う。
「今回はこのケイトがいたからいいようなものの……何かあったら旦那様に申し訳が立ちません。貴女は……このサンダロスの街を救っていただくお方なのですから。もう少しそれを自覚していただかないと」
「ええ、そうね……」
屋敷で働く者たちは、全員すでに、ガーネットがどういう理由で連れてこられたのかを知らされていた。屋敷外には他言無用で、話した者には重い罰があるということもきつく言い渡されている。
ガーネットは自分が持つ力のことをなんとなく理解していた。
けれど、この街でもユリオン村と同じ「奇跡」が起こせるかはわからない。
少女は複雑な思いを抱えたまま、不思議な猫の消えた方角をじっと見つめていた。
空は真っ青に晴れ渡り、心地よい潮風が庭の木々を揺らしている。
つるバラが生い茂ったレンガの壁。きれいに刈り込まれた芝。清涼な水がわき出る噴水。すべてが美しく輝いて見えるのに、少女の心だけはそれに反するように深い悲しみで覆われていた。
「お父様……お母様……」
しくしくと、誰もいない中庭で、薄紅色のドレスを着た少女が泣いている。
正確には一人だけ、少女を監視するメイドが離れた位置に立っていた。少しの間だけ独りにしてほしいと少女に頼まれたので、あえてこのような位置にいる。庭が良く見える屋敷の通用口前だった。他のメイドたちは「なんであのメイドだけ、あそこに直立不動で立っているのかしら」などと口々に噂している。
「早く……帰りたい。戻りたい。ユリオン村に……」
少女の涙は止まる気配がなかった。
館に着いてから、ちょうど一夜が明けている。
少女はあれからひどい扱いを受けることも無く、満足な食事に風呂、ふかふかのベッドに綺麗なドレスと、至れり尽くせりのもてなしを受けていた。
それでも、急に家族と引き離されたことや、さらわれたという事実は変わらない。
「お父様たち、今頃どうしているかしら……。きっと、とても心配しているでしょうね……」
本当の親のように育ててくれた養父母のことを思い出して、ガーネットはまたその深紅の瞳から幾筋もの涙をこぼす。小鳥たちが、そんな彼女をあざ笑うように空へ飛び立っていった。
「ああ、あなたたちは空を飛べて……いいわね。わたしもああやって飛べたら……ここから逃げられるのに」
青空に消えていく鳥たちを目で追う。
けれど、唐突にその鳥の一羽が落下した。何か黒い大きな毛玉とともに地面に転がる。
「えっ?」
一瞬目を疑った。
急に視界に飛び込んできたものに驚く。それは……高い塀を飛び越えてきた一匹の黒猫だった。上手に小鳥を口でキャッチして、今なお、息の根が止まるまでその首根っこを強く噛んでいる。
「ね、猫さん?」
おずおずと近づいてみる。
猫は小鳥を仕留めきったとわかると、血に濡れた顔を上げて少女を見た。一瞬、その目が大きく見開かれる。
――――お前は、あの時の。
瞬間、あたりに少年の声が響き渡った。だが、見回してみても誰もいない。少女はいぶかしげにもう一度黒猫を見た。空のように、海のように透き通った青い目。この瞳は、どこかで一度見たことがあるような……。
「あっ、そうだ。昨日の猫さんに似てるんだ。たしかすごく綺麗な青い瞳だったわ。もしかして……あなた……」
じっと見つめていても変わった反応は見られない。
気のせいかと思っていると、また声が聞こえてきた。
――――本当に、あの時の人間だ。この赤い瞳、忘れもしない。そうだ。そういえばこいつらがいけないんだった。ボクの魚をとりやがって。
「えっ? 魚?」
どこからともなく聞こえてくる少年の声は、怒りに満ちていた。ふと黒猫を見ると、同じように背中の毛を逆立てている。
「えっ? どういうこと? この声……まさか……」
少女が一つの結論に達しようとしたところで、少女付きのメイドがあわてて駆け寄ってきた。
「こら、ガーネット様に近づくな! あっちへ行け! この野良猫!」
庭の角に置かれていた箒をぶんぶんと振り回し、追い払おうとしている。黒猫は分が悪いと思ったのか、先ほどの小鳥を咥えると一目散に駆け出して行った。庭を横断すると、ひょいと飛び上がって塀の向こうへと消えていってしまう。
メイドは箒を逆さにしたままため息をついた。
「まったく、このお屋敷は堀で囲まれているというのに……いったいどこから入ったんでしょう。ガーネット様も、迂闊にああいった動物に近寄らないでください」
「はい……ごめんなさい」
しゅんとして反省してみせると、メイドは腰に手を当てて困ったように言う。
「今回はこのケイトがいたからいいようなものの……何かあったら旦那様に申し訳が立ちません。貴女は……このサンダロスの街を救っていただくお方なのですから。もう少しそれを自覚していただかないと」
「ええ、そうね……」
屋敷で働く者たちは、全員すでに、ガーネットがどういう理由で連れてこられたのかを知らされていた。屋敷外には他言無用で、話した者には重い罰があるということもきつく言い渡されている。
ガーネットは自分が持つ力のことをなんとなく理解していた。
けれど、この街でもユリオン村と同じ「奇跡」が起こせるかはわからない。
少女は複雑な思いを抱えたまま、不思議な猫の消えた方角をじっと見つめていた。
0
あなたにおすすめの小説
つまらない妃と呼ばれた日
柴田はつみ
恋愛
公爵令嬢リーシャは政略結婚で王妃に迎えられる。だが国王レオニスの隣には、幼馴染のセレスが“当然”のように立っていた。祝宴の夜、リーシャは国王が「つまらない妃だ」と語る声を聞いてしまい、心を閉ざす。
舞踏会で差し出された手を取らず、王弟アドリアンの助けで踊ったことで、噂は一気に燃え上がる――「王妃は王弟と」「国王の本命は幼馴染」と。
さらに宰相は儀礼と世論を操り、王妃を孤立させる策略を進める。監視の影、届かない贈り物、すり替えられた言葉、そして“白薔薇の香”が事件現場に残る冤罪の罠。
リーシャは微笑を鎧に「今日から、王の隣に立たない」と決めるが、距離を取るほど誤解は確定し、王宮は二人を引き裂いていく。
――つまらない妃とは、いったい誰が作ったのか。真実が露わになった時、失われた“隣”は戻るのか。
どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~
さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」
あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。
弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。
弟とは凄く仲が良いの!
それはそれはものすごく‥‥‥
「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」
そんな関係のあたしたち。
でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥
「うそっ! お腹が出て来てる!?」
お姉ちゃんの秘密の悩みです。
私が王子との結婚式の日に、妹に毒を盛られ、公衆の面前で辱められた。でも今、私は時を戻し、運命を変えに来た。
MayonakaTsuki
恋愛
王子との結婚式の日、私は最も信頼していた人物――自分の妹――に裏切られた。毒を盛られ、公開の場で辱められ、未来の王に拒絶され、私の人生は血と侮辱の中でそこで終わったかのように思えた。しかし、死が私を迎えたとき、不可能なことが起きた――私は同じ回廊で、祭壇の前で目を覚まし、あらゆる涙、嘘、そして一撃の記憶をそのまま覚えていた。今、二度目のチャンスを得た私は、ただ一つの使命を持つ――真実を突き止め、奪われたものを取り戻し、私を破滅させた者たちにその代償を払わせる。もはや、何も以前のままではない。何も許されない。
「がっかりです」——その一言で終わる夫婦が、王宮にはある
柴田はつみ
恋愛
妃の席を踏みにじったのは令嬢——けれど妃の心を折ったのは、夫のたった一言だった
王太子妃リディアの唯一の安らぎは、王太子アーヴィンと交わす午後の茶会。だが新しく王宮に出入りする伯爵令嬢ミレーユは、妃の席に先に座り、殿下を私的に呼び、距離感のない振る舞いを重ねる。
リディアは王宮の礼節としてその場で正す——正しいはずだった。けれど夫は「リディア、そこまで言わなくても……」と、妃を止めた。
「わかりました。あなたには、がっかりです」
微笑んで去ったその日から、夫婦の茶会は終わる。沈黙の王宮で、言葉を失った王太子は、初めて“追う”ことを選ぶが——遅すぎた。
公爵令嬢は結婚式当日に死んだ
白雲八鈴
恋愛
今日はとある公爵令嬢の結婚式だ。幸せいっぱいの公爵令嬢の前に婚約者のレイモンドが現れる。
「今日の結婚式は俺と番であるナタリーの結婚式に変更だ!そのドレスをナタリーに渡せ!」
突然のことに公爵令嬢は何を言われたのか理解できなかった。いや、したくなかった。
婚約者のレイモンドは番という運命に出逢ってしまったという。
そして、真っ白な花嫁衣装を脱がされ、そのドレスは番だという女性に着させられる。周りの者達はめでたいと大喜びだ。
その場所に居ることが出来ず公爵令嬢は外に飛び出し……
生まれ変わった令嬢は復讐を誓ったのだった。
婚約者とその番という女性に
『一発ぐらい思いっきり殴ってもいいですわね?』
そして、つがいという者に囚われた者の存在が現れる。
*タグ注意
*不快であれば閉じてください。
彼女が望むなら
mios
恋愛
公爵令嬢と王太子殿下の婚約は円満に解消された。揉めるかと思っていた男爵令嬢リリスは、拍子抜けした。男爵令嬢という身分でも、王妃になれるなんて、予定とは違うが高位貴族は皆好意的だし、王太子殿下の元婚約者も応援してくれている。
リリスは王太子妃教育を受ける為、王妃と会い、そこで常に身につけるようにと、ある首飾りを渡される。
完結【強引な略奪婚】冷徹な次期帝は、婚姻間近の姫を夜ごと甘く溶かす
小木楓
恋愛
完結しました✨
タグ&あらすじ変更しました。
略奪された大納言家の香子を待っていたのは、冷徹な次期帝による「狂愛」という名の支配でした。
「泣け、香子。お前をこれほど乱せるのは、世界で私だけだ」
「お前はまだ誰のものでもないな? ならば、私のものだ」
大納言家の姫・香子には、心通わせる穏やかな婚約者がいた。
しかし、そのささやかな幸福は、冷徹と噂される次期帝・彰仁(あきひと)に見初められたことで一変する。
強引な勅命により略奪され、後宮という名の檻に閉じ込められた香子。
夜ごとの契りで身体を繋がれ、元婚約者への想いすら「不義」として塗り潰されていく。
恐怖に震える香子だったが、閉ざされた寝所で待っていたのは、想像を絶するほど重く、激しい寵愛で……?
「痛くはしない。……お前が私のことしか考えられなくなるまで、何度でも教え込もう」
逃げ場のない愛に心が絡め取られていく中、彰仁は香子を守るため、「ある残酷な嘘」を用いて彼女を試す。
それは、愛するがゆえに彼女を嫉妬と絶望で壊し、「帝なしでは息もできない」状態へ作り変えるための、狂気じみた遊戯だった。
「一生、私の腕の中で溺れていろ」
守るために壊し、愛するために縛る。
冷酷な仮面の下に隠された、
一途で異常な執着を知った時、香子の心もまた甘い猛毒に溶かされていく――。
★最後は極上のハッピーエンドです。
※AI画像を使用しています。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる