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六日目
第39話 「教会へ」
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港に着くと、船は長い桟橋の先につけられた。
伯爵姿のファンネーデルとガーネットだけがはしごで降ろされ、またすぐに船が海へと戻っていく。
甲板に出ている乗組員たちは一人もファンネーデルたちを見送ろうとしなかった。
すべてあの船長の指示だろう。「伯爵」と「宝石加護の娘」がこの船に乗っていたという事実はなかったということになったのだ。
「ガーネット、じゃあ、行くか」
「うん。教会に……行きましょう。といっても場所がわからないけど……ファンネーデルは知ってる?」
「ああ、まかせておけ。この街はボクの庭みたいなもんだ。けど……この姿のままじゃちょっとな」
ファンネーデルは伯爵の姿から、黒猫の姿に戻った。
「やっぱり、この姿の方がいいや。あ、ガーネットは、ボクが人間の姿の方がいいか?」
「ううん。ファンネーデルは、やっぱりその姿が一番よ。ねえ、抱っこしてあげる」
「え?」
ガーネットはひょいと抱き上げると、ファンネーデルの背中の毛をもふもふなではじめた。
「これが幻影だなんて、思えないわ……うーん、いい手触り!」
「おい、そんなことしてる暇ないだろ? お前、尋ね人になってるはずなんだからな! 見つかったらあの伯爵の屋敷に逆戻りだぞ!」
「あら、ファンネーデルがわたしを誰からも守ってくれるんじゃなかったの?」
「そ、そりゃあ、そう言ったけど……」
「ならいいじゃない。さ、行きましょ」
「ああ……はいはい」
ファンネーデルは観念して、ガーネットの腕の中で丸くなった。
教会までの道を、人通りの少ない道を選んで案内する。
ガーネットははじめて見るサンダロスの街の景色を、不思議な面持ちで眺めていた。
「朝早いのに、みんなもう働き始めているのね……」
「だいたい陽が昇ったら仕事だよ。ボクにはあんまり関係ないけどな」
「そうね。フフッ、あなたは猫だものね」
「港で漁師のやつらを見ただろ? あいつらなんて陽が昇る前から舟を出すんだ。まったく、人間ってのは忙しすぎる生き物だよ。あー猫で良かった」
街の人々は各自、仕事の準備で忙しく、ファンネーデルたちをあまり気にする者はいないようだった。だが警備兵たちの姿がときおり見え、その度にファンネーデルたちはうまく物陰に隠れてやり過ごす。
ガーネットはそんな折、ふと、盲目の人間が道端に座り込んでいるのを見つけた。
「わたし……魔女の呪いを解決したかったわ」
「ガーネット?」
「今、その魔女がどこに行ったのかはわからないけど……もうわたしたちの前には現れないんでしょ? わたしが……死ぬまでは。だったら解決法を彼女に訊くのはもう難しいわよね。この街にすでにいないかもしれないんだもの」
「そうだな……」
「わたしとあなたが力を合わせれば、救えないかしら……」
真剣な顔つきでガーネットは腕の中のファンネーデルを見る。
「わからない。そんなのやってみたことないし。たしかにボクは死ぬ前、一瞬だけど特殊な力が湧き上がってきてたような気がする。爪が異様に強くなって、人攫いのやつらに深手を負わせることができた。でも……お前の力の方はどうだかわからない。今、ちょっとやってみるか?」
「ええ」
ガーネットは路地裏に座り込んでいる老人に近づくと、片手をその目元辺りにかざした。
相手には触れていないので気づかれないようだ。
周囲には何人か通行人がいたが、老人と孫の関係だと思われているらしく、誰も気に留めない。
「おじいさん、おはようございます」
やがて手をかざすのが終わると、ガーネットは老人に声をかけてみた。
すると、顔を上げた老人は見えないはずの目を開けてガーネットを見上げる。
「え? なんだ……? あんたは。というか、どうなってる!?」
「どうしました、おじいさん」
「み、見える! 痛くない。どうして……あ、あんたわしに今何かしたのか?」
「落ち着いてください、おじいさん」
老人は片手で目を押さえながら、ガーネットに迫ってきた。
騒がれると困るので、ガーネットは口に人差し指を持っていく。
「しー、お静かに。もう一度お聞きします。見えるように、なったんですね?」
「あ、ああ、あんたいったい……」
老人はガーネットの真っ赤な瞳を見て、ハッとした。
「あ、あんたはまさか……」
「ええ、お気づきになりましたか」
「ああ、それに……その猫の目も……少しおかしい。まさか……」
老人はファンネーデルも見て驚いていた。
ガーネットはにっこりとほほ笑む。
「ええ、わたしたちは……宝石加護の力を持っています。これから教会にこの力を寄付に行きます。どうか、それまで秘密にしていてください。あなたが治ったのです。きっと他の方も……治してあげられるはず……」
では、とガーネットは老人におじぎをすると、走り出した。
教会はもう目の鼻の先だった。
路地を抜けた大通りの向こうに、太陽のモチーフが飾られた屋根の建物がある。
「ファンネーデル、やった、できたわ! これでみんな助かるかもしれない!」
「ああ、ホントにできたんだな……。やったな、ガーネット!」
「うん、嬉しいわ! 早く、早くこれをみんなに……」
笑顔で路地を抜ける。
だが、あと少しというところで、屋敷の警備兵たちと出くわしてしまった。
「お、おい、あれ!」
「みんな、見つけたぞーっ!」
その声を聞いて、わらわらと近くにいた他の警備兵たちが集まってくる。
あたりは騒然とし、ガーネットとファンネーデルはあっという間に人の輪に囲まれた。
伯爵姿のファンネーデルとガーネットだけがはしごで降ろされ、またすぐに船が海へと戻っていく。
甲板に出ている乗組員たちは一人もファンネーデルたちを見送ろうとしなかった。
すべてあの船長の指示だろう。「伯爵」と「宝石加護の娘」がこの船に乗っていたという事実はなかったということになったのだ。
「ガーネット、じゃあ、行くか」
「うん。教会に……行きましょう。といっても場所がわからないけど……ファンネーデルは知ってる?」
「ああ、まかせておけ。この街はボクの庭みたいなもんだ。けど……この姿のままじゃちょっとな」
ファンネーデルは伯爵の姿から、黒猫の姿に戻った。
「やっぱり、この姿の方がいいや。あ、ガーネットは、ボクが人間の姿の方がいいか?」
「ううん。ファンネーデルは、やっぱりその姿が一番よ。ねえ、抱っこしてあげる」
「え?」
ガーネットはひょいと抱き上げると、ファンネーデルの背中の毛をもふもふなではじめた。
「これが幻影だなんて、思えないわ……うーん、いい手触り!」
「おい、そんなことしてる暇ないだろ? お前、尋ね人になってるはずなんだからな! 見つかったらあの伯爵の屋敷に逆戻りだぞ!」
「あら、ファンネーデルがわたしを誰からも守ってくれるんじゃなかったの?」
「そ、そりゃあ、そう言ったけど……」
「ならいいじゃない。さ、行きましょ」
「ああ……はいはい」
ファンネーデルは観念して、ガーネットの腕の中で丸くなった。
教会までの道を、人通りの少ない道を選んで案内する。
ガーネットははじめて見るサンダロスの街の景色を、不思議な面持ちで眺めていた。
「朝早いのに、みんなもう働き始めているのね……」
「だいたい陽が昇ったら仕事だよ。ボクにはあんまり関係ないけどな」
「そうね。フフッ、あなたは猫だものね」
「港で漁師のやつらを見ただろ? あいつらなんて陽が昇る前から舟を出すんだ。まったく、人間ってのは忙しすぎる生き物だよ。あー猫で良かった」
街の人々は各自、仕事の準備で忙しく、ファンネーデルたちをあまり気にする者はいないようだった。だが警備兵たちの姿がときおり見え、その度にファンネーデルたちはうまく物陰に隠れてやり過ごす。
ガーネットはそんな折、ふと、盲目の人間が道端に座り込んでいるのを見つけた。
「わたし……魔女の呪いを解決したかったわ」
「ガーネット?」
「今、その魔女がどこに行ったのかはわからないけど……もうわたしたちの前には現れないんでしょ? わたしが……死ぬまでは。だったら解決法を彼女に訊くのはもう難しいわよね。この街にすでにいないかもしれないんだもの」
「そうだな……」
「わたしとあなたが力を合わせれば、救えないかしら……」
真剣な顔つきでガーネットは腕の中のファンネーデルを見る。
「わからない。そんなのやってみたことないし。たしかにボクは死ぬ前、一瞬だけど特殊な力が湧き上がってきてたような気がする。爪が異様に強くなって、人攫いのやつらに深手を負わせることができた。でも……お前の力の方はどうだかわからない。今、ちょっとやってみるか?」
「ええ」
ガーネットは路地裏に座り込んでいる老人に近づくと、片手をその目元辺りにかざした。
相手には触れていないので気づかれないようだ。
周囲には何人か通行人がいたが、老人と孫の関係だと思われているらしく、誰も気に留めない。
「おじいさん、おはようございます」
やがて手をかざすのが終わると、ガーネットは老人に声をかけてみた。
すると、顔を上げた老人は見えないはずの目を開けてガーネットを見上げる。
「え? なんだ……? あんたは。というか、どうなってる!?」
「どうしました、おじいさん」
「み、見える! 痛くない。どうして……あ、あんたわしに今何かしたのか?」
「落ち着いてください、おじいさん」
老人は片手で目を押さえながら、ガーネットに迫ってきた。
騒がれると困るので、ガーネットは口に人差し指を持っていく。
「しー、お静かに。もう一度お聞きします。見えるように、なったんですね?」
「あ、ああ、あんたいったい……」
老人はガーネットの真っ赤な瞳を見て、ハッとした。
「あ、あんたはまさか……」
「ええ、お気づきになりましたか」
「ああ、それに……その猫の目も……少しおかしい。まさか……」
老人はファンネーデルも見て驚いていた。
ガーネットはにっこりとほほ笑む。
「ええ、わたしたちは……宝石加護の力を持っています。これから教会にこの力を寄付に行きます。どうか、それまで秘密にしていてください。あなたが治ったのです。きっと他の方も……治してあげられるはず……」
では、とガーネットは老人におじぎをすると、走り出した。
教会はもう目の鼻の先だった。
路地を抜けた大通りの向こうに、太陽のモチーフが飾られた屋根の建物がある。
「ファンネーデル、やった、できたわ! これでみんな助かるかもしれない!」
「ああ、ホントにできたんだな……。やったな、ガーネット!」
「うん、嬉しいわ! 早く、早くこれをみんなに……」
笑顔で路地を抜ける。
だが、あと少しというところで、屋敷の警備兵たちと出くわしてしまった。
「お、おい、あれ!」
「みんな、見つけたぞーっ!」
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