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十 織田家混乱
十三
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斎藤道三の居城、稲葉山城は、長良川を天然の堀に利用した山城である。およそ三町(標高三百二十九メートル)の金華山に築かれている。眼下の井ノ口の町は開け物流の拠点として賑わう。
北に飛騨の三木直頼、南に尾張の織田信長。西に北近江の浅井久政、東に甲斐の武田信玄と四方を敵に囲まれている。
道三は、北の三木には帰蝶の妹を嫁に出し、南の信長には帰蝶を嫁に出し婚姻関係を結んだ。西の浅井からは嫡男の義龍に娘をもらうことになっている。
道三は、巧みに婚姻関係を使った外交戦術で、向かう敵は東の武田信玄のみである。
広間に通された恒興が、向き合う斎藤道三は、キレイに頭を剃り上げた、やけに目付きの鋭い深いほうれい線のある老人である。
道三は、信長の使いである恒興と向き合っても、手元に枝豆をつまみながら話を聞いている。
「で、婿殿の返事は?」
「ハッ、主の信長は、斎藤山城守様との面会を承知し、楽しみにしております」
道三は、手を叩いて、
「そうか、婿殿は乗ってきたか」
と、不敵な笑みを浮かべた。
(おれは、もう、道三に殿が殺されようが、生かされようが知ったことじゃない。俺は淡々と役目を全うするのみだ)
と、恒興の心中は忠義の欠片もない。
道三が、枝豆を飲み込んで、
「おい、池田とやら」
突然、道三は恒興の姓を呼んだ。恒興は取次の堀田道空には名乗ったが、道三にはまだ名乗っていない。
道三は、身を乗り出して、
「池田、なぜ名を知っておるか驚いておるのか」
図星だ。斎藤道三は、心を読むのか気味が悪い。
「俺の名をどこで?」
「道空に尋ねたわけではない。ワシは、尾張のことなら稲葉山城にいて、すべてを手に取るように分かる」
(ほう、大きく出たな)
「おい、池田。お前の女と子供は残念だったな」
(まさか、そこまで!)
恒興の母が、信長の乳母だと言うことならまだわかる。月とのことは、家中でも限られた者しか知らない話だ。それをなぜ道三が知っている。
「池田とやら、お主は、女が死んで婿殿、いや、信長を恨んでおるようだのう」
「いや……、そのようなことは……」
「隠さずともよい。ワシはすべて知っている。愛する女を失う気持ちよくわかる」
恒興は、俯いてしまい返す言葉がない。
「そこでじゃ、池田とやら、お主に頼みがある」
そう言って道三は、傍らの堀田道空に目配せした。
道空が、小姓に命じると、三宝に短刀を乗せて運んで来た。
「確かめてみよ」
「こ、こっ、これは‼」
恒興が、短刀を確かめると、池田家家宝の籐四郎吉光だ。
「どうして、これを斎藤山城守様がお持ちなので?」
「詳しくは言えんが、ワシには、婿殿の元で働いてくれる者がおるのよ」
やはり道三は只者ではない。尾張で一族同士の骨肉の争いに発展しているとはいえ、信長の所有物をいとも簡単に入手できるものではない。
織田家に放っている間者は、雑兵などの身分の低い者ではない。おそらく、家老や側近、織田家中でも中心に近い人物でないと、ここまで恒興の身元を知りえない。
「斎藤山城守様は、俺にどうしろというので?」
道三は、恒興と不敵に囲碁でも差すように、顎の髭を撫でながら、
「隙あらば、亡き者にして欲しい」
「そんなことをすれば、尾張は一層乱れます」
「そうだ、そこをワシが丸呑みにする」
斎藤道三、怖い男だ。国を奪い取るのに躊躇がない。しかも、信長に恨みを持つ恒興を詳細に調べ上げ利用しようというのだ。
恒興は、愛する月を、信長の命によって死に至らしめたも同然。他にはない人選だ。
恒興には、信長を殺す理由しかない。
「いつ、刀を抜けばよろしいので?」
「決まっておろう。正徳寺の面会の時だ」
恒興は、籐四郎吉光を握って、美濃からの使いの帰り、那古野へは真っすぐ戻らず、月を弔った萬松寺へ参った。
戦禍での弔いである。月の亡骸は、盛り土に一本「南無釈迦牟尼仏」と卒塔婆を立てただけのものだ。
「あれっ?」
白百合が手向けられている。ここを訪れる者は、恒興しかいないはずだ。白百合は水気を十分に含んで新しい。誰が手向けたかは知らないが、路傍の人となった月を憐れんでくれる人間がいることに感謝した。
恒興は、膝を折り手を合わせた。
「なあ、月よ。俺はお前と子供の星の無念を晴らすぞ。分かってくれるだろう」
もちろん返事はない。恒興はつづけた。
「俺は、生まれた時から、愛する女を信長に奪われた。母を、幼馴染みのお善を、そして、お前だ。もう俺は我慢できない」
気づいたら恒興は泣いていた。
「あら、勝三郎!」
明るい朗らかな声だ。
恒興が、涙を拭うと、お善がヨチヨチ歩きのお七を連れて墓参りに訪れていた。
「なんだ、この白百合はお前か?」
恒興は、死んだ月のことを、ポロっとお善にだけは話したことがある。
「ん? なんのこと?」
お善は、とぼけているのだ。
「ありがとうなお善」
「ああ、勝三郎のお父さんの墓のことね。勝三郎は幼馴染みだもの、あなたが居ない間は、私が参らなくちゃね。でも、その白百合は私じゃないわ」
「じゃあ、誰なのだ?」
「そうね、きっと、優しい人じゃないかしら?」
北に飛騨の三木直頼、南に尾張の織田信長。西に北近江の浅井久政、東に甲斐の武田信玄と四方を敵に囲まれている。
道三は、北の三木には帰蝶の妹を嫁に出し、南の信長には帰蝶を嫁に出し婚姻関係を結んだ。西の浅井からは嫡男の義龍に娘をもらうことになっている。
道三は、巧みに婚姻関係を使った外交戦術で、向かう敵は東の武田信玄のみである。
広間に通された恒興が、向き合う斎藤道三は、キレイに頭を剃り上げた、やけに目付きの鋭い深いほうれい線のある老人である。
道三は、信長の使いである恒興と向き合っても、手元に枝豆をつまみながら話を聞いている。
「で、婿殿の返事は?」
「ハッ、主の信長は、斎藤山城守様との面会を承知し、楽しみにしております」
道三は、手を叩いて、
「そうか、婿殿は乗ってきたか」
と、不敵な笑みを浮かべた。
(おれは、もう、道三に殿が殺されようが、生かされようが知ったことじゃない。俺は淡々と役目を全うするのみだ)
と、恒興の心中は忠義の欠片もない。
道三が、枝豆を飲み込んで、
「おい、池田とやら」
突然、道三は恒興の姓を呼んだ。恒興は取次の堀田道空には名乗ったが、道三にはまだ名乗っていない。
道三は、身を乗り出して、
「池田、なぜ名を知っておるか驚いておるのか」
図星だ。斎藤道三は、心を読むのか気味が悪い。
「俺の名をどこで?」
「道空に尋ねたわけではない。ワシは、尾張のことなら稲葉山城にいて、すべてを手に取るように分かる」
(ほう、大きく出たな)
「おい、池田。お前の女と子供は残念だったな」
(まさか、そこまで!)
恒興の母が、信長の乳母だと言うことならまだわかる。月とのことは、家中でも限られた者しか知らない話だ。それをなぜ道三が知っている。
「池田とやら、お主は、女が死んで婿殿、いや、信長を恨んでおるようだのう」
「いや……、そのようなことは……」
「隠さずともよい。ワシはすべて知っている。愛する女を失う気持ちよくわかる」
恒興は、俯いてしまい返す言葉がない。
「そこでじゃ、池田とやら、お主に頼みがある」
そう言って道三は、傍らの堀田道空に目配せした。
道空が、小姓に命じると、三宝に短刀を乗せて運んで来た。
「確かめてみよ」
「こ、こっ、これは‼」
恒興が、短刀を確かめると、池田家家宝の籐四郎吉光だ。
「どうして、これを斎藤山城守様がお持ちなので?」
「詳しくは言えんが、ワシには、婿殿の元で働いてくれる者がおるのよ」
やはり道三は只者ではない。尾張で一族同士の骨肉の争いに発展しているとはいえ、信長の所有物をいとも簡単に入手できるものではない。
織田家に放っている間者は、雑兵などの身分の低い者ではない。おそらく、家老や側近、織田家中でも中心に近い人物でないと、ここまで恒興の身元を知りえない。
「斎藤山城守様は、俺にどうしろというので?」
道三は、恒興と不敵に囲碁でも差すように、顎の髭を撫でながら、
「隙あらば、亡き者にして欲しい」
「そんなことをすれば、尾張は一層乱れます」
「そうだ、そこをワシが丸呑みにする」
斎藤道三、怖い男だ。国を奪い取るのに躊躇がない。しかも、信長に恨みを持つ恒興を詳細に調べ上げ利用しようというのだ。
恒興は、愛する月を、信長の命によって死に至らしめたも同然。他にはない人選だ。
恒興には、信長を殺す理由しかない。
「いつ、刀を抜けばよろしいので?」
「決まっておろう。正徳寺の面会の時だ」
恒興は、籐四郎吉光を握って、美濃からの使いの帰り、那古野へは真っすぐ戻らず、月を弔った萬松寺へ参った。
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「あれっ?」
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恒興は、膝を折り手を合わせた。
「なあ、月よ。俺はお前と子供の星の無念を晴らすぞ。分かってくれるだろう」
もちろん返事はない。恒興はつづけた。
「俺は、生まれた時から、愛する女を信長に奪われた。母を、幼馴染みのお善を、そして、お前だ。もう俺は我慢できない」
気づいたら恒興は泣いていた。
「あら、勝三郎!」
明るい朗らかな声だ。
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