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第一部 第一章 異変

第16話 下層での初戦

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 妖しい深紅の鎧を身にまとった落ち武者は、刀を正眼に構えてじりじりとにじり寄ってくる。
 妖鎧武者は知能が人間とほぼ変わらず、修羅のように戦い続け己を鍛えるため、その能力は基本際限なく上昇していくという強力なモンスターだ。
 なので基本長く生き残っている個体は上澄みの中の上澄みで、大ベテランの探索者や魔術師、呪術師、退魔師でも戦って命を落とすことがある。
 生き残ればその分だけ技を磨き強くなり続けるため一等に登録され、強くなり続けるという特性ゆえに下層最強格と呼ばれている。

 美琴もこの個体がどれだけ長くこのダンジョンで生きているか分からないし、一鳴すら開放していない状態なのでやみくもに突っ込まない───と視聴者は誰もが思っていただろう。
 お互いの出方をしばし窺ってから、美琴は先手必勝と言わんばかりに地面を蹴って走り出す。

 低い姿勢で疾走して近付くと、上段に振り上げた刀を力強くまっすぐに振り下ろしてくる。
 刃毀れがかなり酷い刀なので真っ二つにされることはないかもしれないが、刃毀れが酷いからこそ受けてはいけないため、紙一重の神業的な見切りの鋭さで避ける。

 しっかりと研がれた鋭利な刀であれば切り口は非常に綺麗でなめらかで、きちんと処置をすれば傷は早く治る。
 しかしノコギリのようになっている刃毀れの酷い刀で斬られれば、傷はズタズタになって処置をしてもその分治りが遅くなる。
 それでなくてもあれだけ刃ががたがただと、綺麗な刀身で斬られるよりも何倍も痛いだろう。危険な場所にいることは承知の上だが、痛いのは嫌だ。

 さっと攻撃を避けた後に踏み込んで雷薙を振るおうとするが、武者がぐっと近付いて薙刀の利点を潰しにかかってきた。
 槍のように長い薙刀は、間合いを詰められすぎると非常に戦いづらくなる。やはりこの妖鎧武者は、かなりの経験を積んでいる長生きした個体のようだ。

 一方的にされるわけにはいかないので一度敢えて雷薙を手放し、右から振るわれてきた刀を腕を掴むことで無理やり止めて、そこから当身をして刀の柄を掴み、合気で投げ飛ばす。
 投げ飛ばされた妖鎧武者はガシャンと鎧を鳴らして地面を転がり、すぐに立ち上がって正眼に構えるが、その手には刀がなかった。

「合気って普段あまりやらないけど、結構便利ね」

 武者の持っていた刀は今、美琴の手の中にある。
 ぼろぼろで異常なまでに使い込まれたその刀は重く、正直持っていたくないほど血の臭いがするが、今はこれで行くほうが有利だ。

”ふぁーwww”
”何今の!?”
”あ、ありのまま今起こったことを話すぜ! おれは美琴ちゃんが薙刀を捨てて妖鎧武者に突っ込んで投げ飛ばしたのを見たと思ったら、いつの間にか美琴ちゃんの手に刀が握られていた。な、何を言っているか分からねーと思うが、おれも何を言っているのか分からなかった!”
”それっていわゆる合気道の太刀取りってやつじゃ……”
”相手から武器奪うってどんな技だよwww”
”一瞬すぎていつ奪ったのか全く見えん”

 視聴者はどのように投げ飛ばしながら武器を奪ったのか理解できないようで、もう何度目か分からない混乱と衝撃を感じているようだ。
 濁流のように流れているコメントを視界の端に入れながら武者と向き合うと、武者は地面に転がっている美琴の薙刀を拾い上げて、八相に構える。

 ダンジョンで生まれているモンスターとはいえ、恐らく生まれる原因となった『武者はどのような武器も使いこなす』という共通の恐怖からなのか、その構えは非常に様になっている。
 最初と同じように自ら飛び込んでくることはせず、美琴が出てくるのを待っているかのようだ。だがそれは、美琴からすれば刀より使いこなす自信がないことを教えているようなものだ。

 持っているぼろぼろの刀を数度軽く振って調子を確かめてから霞に構え、薙刀を持っている時以上の速度で踏み出す。
 美琴の速度に合わせて武者が薙刀を振り下ろしてくるが、やはり最初に見せた刀の唐竹割よりもやや鈍さを感じる。
 振り下ろされる薙刀を受け止めるように水平に頭上に掲げ、接触すると同時に振り下ろされる速度に合わせて刀を傾けることで受け流す。

 そのまま受け止められると思っていたのか、かなり勢いを付けていた妖鎧武者は体を大きく前のめりにさせる。
 薙刀を受け流した後、体を丸めるように捻りながら左袈裟に振り下ろしまずは右腕を叩き斬る。
 思っている以上に切れ味が悪く、もしこんなので斬られでもしたらたまったものじゃないなと、肌が粟立つのを感じる。

 腕を切られた妖鎧武者は牽制するように薙刀を振り上げてから後ろに跳んで下がり、残っている左腕一本で構える。
 じわじわと右腕が再生を始めているが、美琴が飛び込むと再生が止まって迎撃を優先する。

 薙刀よりもリーチが短く軽い分、手数が多くなる。しかも相手は片腕を失い、刀より使いこなせていない薙刀を持っている。
 それでいて更にその武器で一番威力の出せる間合いよりも内側にいるため、武者は一方的に剣戟の檻の中に閉じ込められる。

 無論一方的にやられるつもりはないようで、美琴が見せた太刀取りをやろうと合間合間で右腕の再生を優先させるが、そっちがその気ならと美琴は更に加速する。
 その速度はまさに剣の嵐で、妖鎧武者はただ一方的に斬撃を叩きこまれ続ける。

「あっ」

 このまま畳みかけようと右から左へ水平に薙ぎ払うが、甲冑と当たった瞬間ばきんっ、と音を立てて折れてしまう。
 予想以上に脆くなっていたようで、美琴はここで武器を失ってしまう。

”ぎゃああああああああああ!? 武器がああああああああああああ!?”
”なんでそんな簡単にへし折れるんだよっ”
”逃げて! 超逃げてええええええええええ!!”
”あのまま薙刀でやってたほうがよかったじゃん!”
”雷使って雷! じゃないと美琴ちゃん怪我しちゃうから!”

 刃毀れまみれの刀が折れるとすぐにコメント欄が狂乱に満ちる。
 逃げろという視聴者や雷を開放しろという視聴者が一斉にコメントを送ってくる。

 美琴が丸腰になったのを当然見逃すはずのない妖鎧武者は、美琴のことを押し飛ばした後に斬られた右腕を再生させて両手で薙刀の柄を持ち、疾風のような速度で間合いを詰めてくる。
 鋭い攻撃が繰り出されるが、ひらりひらりと風に舞う花弁のようにゆっくりとした動作で避け、時にはそっと手を当てて受け流す。
 体に無駄な力を一切入れず、心を波一つ立たない水面のように落ち着かせて余分な思考を放棄する。

 頭の中に残す考えはただ一つ。反撃の隙を決して見逃さないこと。
 ここで下手に攻撃を仕掛ければ、逆に自分が武者のペースに飲み込まれて行ってしまい、倒されるまではいかなくても体力を大きく削られるか怪我をするだろう。
 大勢が見ている中でそれは嫌なので、とにかく力を温存しつつ反撃の瞬間を窺う。

 面、小手、胴、脛、咽喉の五か所に上下振り、横振り、斜め振り、振り返しと薙刀術の基本の攻撃型である八方振りに打突も混ぜてくる。
 どれも鋭く、一つでも当たれば大怪我必至だ。流石は武者のモンスターだと言えよう。
 だがやはり、遅い。技と技の繋ぎ目が粗く、僅かな隙がその瞬間に生まれている。それに攻撃がここまで当たらないことがあまりなかったからか、徐々に攻撃が大振りになりつつある。
 人とそう変わらない知能があるとはいえ、所詮はモンスター。人のように焦りや怒り、イラつきを抑える理性が弱い。

 繰り返し繰り返し攻撃を避け続けると合間の隙も大きくなっていき、どんどん大振りになっていく。
 あともう少しだろうかと考えていると、今までで一番大きく振りかぶって勢いを付けた薙ぎ払いが放たれる。

 その瞬間、持っていた折れた刀を投げ捨てて一気に超近距離まで近付き、その薙ぎ払いを左手で受け止めて上手いことその力を右手側まで伝えつつ、更に発勁で強烈な力を発生させて上乗せし、そっと触れさせた右拳を寸勁で叩きこむ。
 自身で発生させた力と外部から得た力の二つで増幅した一撃を叩きこまれた妖鎧武者はその鎧を砕かれ、よろりとぐら付く。

 その瞬間を見逃さずに再度投げ飛ばしつつ太刀取りで薙刀を奪い返し、地面に転がった妖鎧武者の砕けた鎧の中から顔を覗かせている、真っ黒な心臓部を突き刺してとどめを刺す。

「うん、意外と無手でも行けるかも」

 ぼろぼろと体を崩していく武者を見下ろしながら、右手を何度かぐっぱっと握ってから呟く。

”いやいやいやいやいやいやいやいや⁉⁉”
”どんな倒し方!?”
”強化もなし、雷の力もなしで鎧を殴って砕いたの!?”
”フィジカルお化けやんけ”
”あれだけ心配したのが馬鹿らしくなるくらい強い”
”ステゴロでも十分行けるんじゃないこれ”
”ステゴロポンコツJK美琴ちゃん”

『……お嬢様。いつ八極拳を習得なさったのですか?』

 妖鎧武者が完全に消滅した後、刀を含めて何も残らなかったことにがっかりしていると、アイリが呆れた様子で聞いてくる。

「え、これ八極拳じゃないよ?」
『では一体何だというのですか?』
崩拳ほうけんって知ってる?」
『確かその拳法は呪術師最強の座に君臨する、朱鳥霊華あけとりれいか様が開祖の最強拳法では』
「そうそれ。あれの基礎中の基礎をまだ京都に小学校低学年のころまでいた時に教わったことがあったんだ。その先を教えてもらう前に親の都合で引っ越しすることになったんだけどさ」

 美琴は小学二年生までは京都に住んでおり、引っ越す前まで本人から崩拳の基礎を教えてもらっていた時期がある。
 結局拳法より薙刀術や剣術の方に才能があったため、そっちばかりになってしまい全く鍛えられていないが、下層でも通用しないこともないようだ。
 正直かなり近付かないといけないため、あまり使いたくはないものだが。

”しれっと凄い情報出てきた”
”京都にいたってことはもしかして、京都弁話せる!?”
”美少女の京都弁とか超聞きたい”
”絶対可愛いやつそれ”
”崩拳とかそんなのどうでもいいから京都弁聞かせて”
”みんな録音の準備はできているか!?”
”核爆弾級の可愛さ爆弾に耐えるためのライフは十分か”

「あ、あれ……?」

 てっきり崩拳のことや誰に教わったのか教えてほしいと言われるかと思ったが、全然そんなことはなく、そんなことよりも京都弁で何か話してくれというリクエストが山のように送られてくる。
 別にそんなことをしなくてもいいのは分かっているが、途中で武器を手放したりして無用な心配をかけていたので、ここはしょうがないとファンサービスで話すことにする。

「きょ、今日はこないにぎょうさんの人が見に来てくれて嬉しいなあ。頑張って配信するさかい、最後まで観て行ってな」

 何年振りかに使う故郷の言葉。
 時々家族と話す時に出ることがあるのに、聞いている人が二十万人近くいると思うと途端に恥ずかしさが湧き上がってきて、顔が熱くなるのを感じる。

”あっ(心停止)”
”あっ(心停止)”
”スゥー……(昇天)”
”ぐはっ”
”カワイッ”
”ミ゛ッ”
”我が人生に一片の悔いなしッッッ”
”鬼リピ決定”
”家宝にします”

 美琴の京都弁披露に、コメント欄がボス戦の時と同じくらいの大盛り上がりを見せる。
 録音したという視聴者が続出してやめてほしいと言おうとしたが、こればかりは余分な心配をかけたのだから、これくらいのことは甘んじて受け入れろとアイリに言われ、可愛いコメントのラッシュを見ながら恥ずかしさで顔を赤くしたまま、攻略を続けるべく歩き出す。
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