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第六話 少女と狼犬
10、
しおりを挟む激しい衝撃を感じ、私の視界が真っ赤に染まった。
床に倒れ込む。
何も見えない。
何も聞こえない。姉の声も、もう聞こえない。
だというのに。
どうして私の目の前に、あの人形があるんだろう。朱に染まった世界で、首だけとなったその人形は、頬の部分が壊れてしまっているけど。変わらず綺麗な青い目で、私を見つめる。
何かを言いたいように。
何かを伝えたいように。
私は手を伸ばした。
もう動かないはずの手を動かして。いや、そう思ってるだけで実際は手なんて動いてないのかもしれない。
それでも私は必死で手を伸ばそうとした。
けれど人形に手は届くことなく……不意に、その首を誰かがヒョイと拾った。
目だけを上げれば、それは先ほどの男だった。フードの奥に異様にギラギラ光る眼を認めるも、恐ろしいとは感じなかった。
ただ赤い視界に黒いその男はよく合うと、場違いな事を思っただけだった。
「それは私の人形よ」
声が出たのか分からない。発したつもりではある。
「もうこれは人形では無いよ。壊れてしまった」
言葉が届いたのか、男が答える。
「人形は脆いな」
男は言葉を続けた。
「人形は簡単に壊れるのでつまらん。やはり人間だな。人間ほど面白いものは無い」
そう言ってクククと笑った。まるで自分は人間ではないように……。
「あなたは一体、なんなの?」
誰なの、ではない。
何であるのか、と尋ねる私に一瞬驚いたように目を見開き、そしてその目は細められた。楽し気に。
「さて、何だろうな?悪魔とか言うやつも居るが、知らん。俺は自分が何であるのか知らない」
だが、と男は続ける。
「分かるのは、お前の望みを叶えられるということだ。俺はお前の望みを叶えてやれる。その代わりに代償を貰う。それだけの存在だ」
「望み……?」
「そうだ。お前は何を望む?」
「私は──」
私の望み。それは一体何だろう?
ただ、死が目前に迫っている今、頭に浮かぶのは……
正人
竜人
彼らにもう一度会いたい。そう、思ったのだ。
会いたい。
彼らと共に在りたい。
「死にたくない……」
だから、死にたくない。
だけどこんな私が共に在っても、彼らはきっと喜ばないだろう。
血まみれでボロボロの私は、ことさら醜くなっている事だろう。こんな私と一緒に居たいと思う者などどこに居るというのか。
きっと正人も竜人も私の姿を見れば目を背ける。きっと逃げる。
そこで男の手の中にある人形に目が行った。
ああ……綺麗だな。首だけになってもやっぱり綺麗。
あんな風に綺麗だったなら。
私は父に愛されただろか。
姉に愛されただろうか。
──正人に愛してもらえただろうか……。
「綺麗になりたかった」
「──それがお前さんの望みか?」
「生きたかった」
「それもか?」
「正人と……竜人と一緒に生きたかった」
「……」
「幸せに、なりたかった……」
ポロポロとまた涙がこぼれた。視界が歪む。もう男も人形も見えない。
見えない私の脳裏には、笑顔の正人と──
「いいだろう」
不意に、男の声が耳を突く。
何がいいのだろう?
言ってる意味が分からない。
──考えるだけ無駄か。もうすぐ死ぬ私が何を考えても無駄なこと。
私に出来るのは、諦めて死を迎えることだけ……。
そうして、私はそっと目を閉じた。視界は朱から闇へと切り替わった。
体はもう動かない。
何も感じない。
ああ、私は。
死ぬんだ。
死とはかくも優しいものなのか……
覚悟したというのに、男はまだうるさく話し続けた。
もう眠らせて欲しいのに。終わらせたいのに。
男は許さない。
「いいだろう、全て叶えてやる。でもその代わり──」
解放を許さない男の声が、私の耳に届くのだった。
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