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プロローグ
11、
しおりを挟む「美菜、どうした!?」
自分のものとは思えないような悲鳴が止まらない。入って来た隆哉のことも目に入らない。
私は、私の目に映るものは──真っ赤な血だけ。
腕が掴まれた瞬間、パニックはいよいよ収拾がつかなくなっていた。
「いやあ!!!」
叫んで振り払おうと渾身の力をこめる。だが女のそれはどれだけ全力でも、男の手を外すことは出来ない。
「ひ、ひいい……!」
「美菜、落ち着いて」
恐怖に顔を歪めた瞬間、体が誰かに包まれるのを感じた。隆哉だ。
たくましい隆哉の胸に顔を埋めた瞬間──視界が開けた気がした。
いつの間にか止められたシャワー。開いたドアから蒸気が逃げ出して、視界がかクリアになってゆく。こぼれんばかりに見開いていた目を、ようやく私は細めて……そして閉じた。
一瞬の暗闇と、隆哉に包まれる感触。それが私を現実に引き戻す。
「大丈夫。大丈夫だから、美菜」
名前を呼ばれ、落ち着かせるようにと背中を撫でる優しい手の感触に、私はホウと息を吐いた。
「たか、や……」
「うん。大丈夫?」
「ん。もう少しこのまま」
「うん」
ポタポタとシャワーの余韻が落ちる。それは間違いなく透明だった。
目だけ足元に視線を向ければ、やはり流れていくのは無色透明のお湯。どこを見ても、血など一滴も存在しなかった。
そして。
少女もまた、存在しない。
隆哉は唯一の出入り口である扉から入って来た。少女とすれ違ったなら何か言うはずだろう。だが隆哉は何も言わない。
では少女はどこへ?湯煙に紛れて姿を消したのだろうか?
否。
そうではない。そんなはずはない。
少女は突然姿を現し、忽然と消えたのだ。
その存在を何と言うのか。
分かっているはずの私は、けれど分からないフリをした。夢だ。あれは夢だ、幻だ。
自分に言い聞かせ、隆哉の胸に顔を押し付けて目を閉じた。
「あの、美菜……そろそろ何か着ないと湯冷めするよ?」
その言葉を聞いた瞬間、私は弾けたように顔を上げた。そして、自分のあられもない姿を認識した瞬間……
「きゃああああ!ば、バカバカバカ!早く出て行ってーーーーー!!!!」
理不尽な叫び声を上げて、隆哉を追い出したのである。
その後、体を拭き服を着て部屋に戻って──隆哉の困ったような顔を見た瞬間、土下座せんばかりの勢いで謝罪するのであった。
疲れていたこともあり、屋敷内の散策はせず、私達は眠りについた。一つのベッドで抱き合って。
断っておくが、これは比喩表現でも誤魔化しでも例えでもなんでもない。文字通り、抱きしめ合って寝たのだ。理由は私が恐いから。
ギュッと優しく抱きしめてくれる隆哉の温もりに安堵し、彼の匂いに包まれながら私は目を閉じた。
ややあって、頭上から隆哉の寝息が聞こえてきた。
隆哉は何も聞かない。なぜ私が叫んだのか、悲鳴をあげたのか、パニックに陥ったのか。私が説明しないでいると、彼は自ら聞いてくることをしなかった。ただ優しく抱きしめてくれる。
その事が嬉しいと思うと同時、話せないのを申し訳なく思う。
だってどう説明すればいいのか分からないのだもの。
風呂場で血塗られた少女に出会ったなんて、あまりに荒唐無稽すぎる。もしあの血のシャワーを隆哉が目撃していたなら、そのまま説明することも出来たかもしれない。
だが隆哉は何も見ていない。見てない者に説明したところで、理解など出来ないだろう。無駄に不安がらせるか、私の精神状態を心配するだけだ。
だから私は何も言わない。隆哉も何も言わない。
モゾリと動いて顔を上げた。見えるのは隆哉の顎だけ。それだけで満足した私はクスリと笑って目を閉じた。
『どうして私は死ななくちゃいけなかったの?』
不意に脳裏に思い出される少女の言葉。
夢だ幻だと自分に言い聞かせても、この耳はハッキリとあの言葉を聞いた。
リナという少女──彼女はもう死んでるということなのだろうか?その死に納得できず、この世を彷徨っているということだろうか?
だとして、どうして私の前に現れるのか。
どうして私は彼女自身になる夢を見たのか。
どれだけ考えても分からず……そのまま私の意識は闇に呑まれた。
あれほどの叫びを上げても、スタッフや宿泊客の誰も来ないことを一切疑問に思う事無く。
私は眠りに呑まれた。
そしてまた夢が始まる──
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