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女子大生三人組
館の見る夢(3)
しおりを挟むカチャカチャと食器の音がする。空の食器を前に、私はナイフとフォークを慣れない手つきで握っていた。マナーの練習中である。
落ちぶれ貴族の私の家では、こんなものは必要なかった。両親をはじめ、誰も教えてはくれなかった。そもそもそれを必要とする場など無かった。
名前が残るだけの、平民と変わらぬ我が家。いや、平民以下の生活だったかもしれない。
そんな私に、すぐマナーが身に付くわけもない。
「あ!」
少しでも気を緩ませると、スルリと手からナイフが落ちていく。
途端、手に痛みが走った。
ビシッと音を立て、木の棒で殴られたのだ。
「痛っ!」
「痛いではありません!宜しいですかお嬢様、食事中にナイフを落とすなどとんでもないマナー違反でございます。桐生家に関わる者にそのような失態はあってはなりません!」
「ご、ごめんなさい」
「反省は次に活かしてください。はい、もう一度」
「はい……」
マナー講師は初老にかかるであろう年齢の老婦人。彼女もまた貴族出身だそうだが、桐生家に比べれば足元にも及ばぬレベル。
だからこそ講師として仕事をしてるのだろう。
桐生家に関わる者──カチャカチャと音を立てつつ、思考が外れる。私は、いつの間にか桐生家の者になっていたのね。
いや……物、か?
などと自虐的に考えてしまうのは、私がここへ来た理由のせいだろう。
桐生家当主が私をどこで見かけたのかなど知らない。だが彼は私を確かに見出し、そして手に入れたのだ。大金を積んで。
それを私の両親が喜ぶことを知っていた。惜しげもなく娘を差し出すことを理解していた。そしてその目論見は外れることはなかった。
ここに来て、もうどれだけ経つのだろう。数日のような気もするし、数年のような気もする。それくらい、淡々として変化のない日々を送っているのだ。
かろうじて季節が変化をもたらしてくれるも、それすら私の日時感覚への狂いを正してくれるものではない。
だって私はこの屋敷から出れないから。出してもらえないから。
ただ閉じ込められて、日々を過ごす。桐生家当主はたまに来るが、それ以外の日はこうやってマナーの練習をしたり、読書をしたり、ぼんやりして過ごしたり……
「あ……」
考え事をしていたら、今度はグラスを倒してしまった。それには水が入っており、みるみるうちにテーブルクロスに染み込んでいく。
パンッと音が鳴り、頬に痛みが走った。
「何をしてるのですか!!」
老婦人が私の頬を殴ったのだ。ジンジンと痛みがくるほどに強い力で。
メイドといい、この老婦人といい……毎日容赦がないな。
最初の頃は泣いていた私だったが、いつからか涙は出なくなった。泣く事で余計に相手の神経を逆なでするから、というのもあるが、自分の心が麻痺してきたという理由が大きいかもしれない。慣れたくもないのに……慣れとは恐ろしいものである。
「まったく、失敗しておきながらなんですか、その澄ました顔は。ほんと癪に障るったら。ご当主様も、何を考えてこのような者を……見栄えだけの小娘なんて」
この老婦人もまた、あの美しい当主の支持者といったところか。
メイドといい、あの容姿は誰もが虜になるのね。──私以外は、だけど。
自慢じゃないが私は自分の容姿に自信がある。なにせ桐生家当主が大金を払って買うほどなのだから、自惚れでないと言えるだろう。そして私は、別に突然変異でこの容姿を手に入れたわけではない。
両親もやはり美しい人達だった。弟もまた美少年だった。だから美形には見慣れていて、当主の美貌などなんとも思わない。
家族を思い出した私は、目を細めた。
懐かしいあの人達と会う事はもうないのかもしれない。詰まれた大金を目の前にして、下卑た笑みでその美しさを濁らせたあの両親とは。
けれど、と、ふと思う。両親に会えないのは平気だけれど、弟は違う。幼く可愛い弟とは仲が良かった。私が両親に惜別の言葉を述べた時も、こちらを見ようともしない両親とは違って、弟は泣いて縋ってくれた。
『姉様、行かないで──!!』
目に一杯涙を溜めて、私に手を伸ばす弟を、桐生家の使用人達は冷たく払った。その手は私に届くことなく離れてしまった。
私がこのまま桐生家に留まるならば、実家への援助をし続ける。そう、桐生家の当主は約束した。
だから私は逃げない。鍵をつけられずとも、私はこの屋敷に留まることを選ぶ。
だが。それでも。
「いっそお前の顔に傷でもつければ、ご当主様もお前を捨てるかねえ!?」
頬にナイフをピタリと当て、目を見開いて下品な事を口にする老婦人を前にして。
恐怖を隠し、無表情を貫いて。
私は老婦人──いや、醜く歪んだそれは老婆そのもの──に目を向けて言った。
「悔しい?」
「は?」
「あなたはどんどん老いて朽ちていくだけだものね。それに対して私はまだまだ成長段階。これからどんどん美しく華開いていくわ。当主様はこれからもずっと私を置いてくださる。私に安定した生活を与えてくださる」
嘘だ。安定など無い。少なくとも、私には安寧がない。
けれど。そうだとしても。
この現状を仕方ないと受け入れたくはない。
繰り返される暴言と暴力に一矢報いたい思いで。
私は死んだ目をしながらニヤリと笑って言った。
「ねえ、私のこと──羨ましい?」
響いた音は頬を殴る音か、私の嘲笑か。
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