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老夫婦
6、
しおりを挟むそれからどうしたか覚えてない。ただ荷物を拾って、夢中で歩いた。振り返ることなく、前だけ向いて。渡部達に付いて俺はひたすら歩いた。
気付けば、桐生家当主の奥方用として建てられた、別館の中に入っていた。
入って直ぐに、大きな肖像画に皆が釘付けになる。
「綺麗……」
呟いたのは誰か。それに異を唱える者はいない。俺だってそうだ。
そこには夫婦と息子であろう、大きな家族の肖像画が飾られていたのだ。
そして目を奪われたのは、その美しさだ。
肖像画なんて大抵実物より綺麗に描くものだろう。だとしても、これはあまりに盛りすぎだ。そう思うくらいに、三人は三人とも美しかった。
「これ、当主一家の肖像画ですか?」
最初に遅刻してきた霧崎とかいう男が、渡部に質問する。それに「そうです」と答え頷く渡部。霧崎は首を傾げた。
「本館の、当主の書斎部屋にあった肖像画と違う気がするんですが?」
「あれはこの方の先代の絵だそうです。あの絵の息子一家がこちらです」
「へ~あれからこれが産まれるって、相当綺麗な奥さん貰ったんでしょうねえ」
その言葉に苦笑しつつも、誰も否定しない。それほどトンビが鷹を産む状態だったのだ。
美しい男の妻もまた美しく。その息子もまた美しい。
だがどうしてだろう。こんなにも美しいのに、俺の中で何かが囁く。『違う』と囁く声がするのだ。
『違う。当主様の美しさはこんなものではない。あの方はもっともっと美しくて……』
誰だ、これは誰の声だ。
聞こえないのに確かに聞こえる声。
血の気が引くのを感じ、俺はそれ以上肖像画を見ていられなかった。
渡された部屋の鍵。俺は急ぎ部屋に向かおうとして、階段に足をかけた。その時、渡部が声をかけてきた。
「坂井様、奥様はどうされたのですか?」
「あれはまだ手間取ってるから先に来た。来たら部屋の場所を教えてやってくれ。俺は先に行って休みたい」
「承知いたしました」
正直、俺は本当に疲れていた。朝食もまだで朝っぱらから荷物を持って移動。そのことにも疲れてはいたが、それ以上に頭を占めるのは、先ほどの光景。血まみれで笑いながら、手を振っていたあの少女。あれが頭から離れず、疲れがドッと押し寄せてきたのだ。
そしてまた声が聞こえる。
『俺は、あの少女を知っている──』
先ほどから何なのだ、これは。
俺は知らない。何も知らない。知るはずもない。そもそも、ここの三つの館に人が住んでいたのは、何年前の話だ?俺が知るはずもないだろうに。
それに、と思う。
先ほど見た家族の肖像画。そこにあの少女は居なかったではないか。もしかしたらあの少女が大きくなって、あの美しい奥方になったのか?考えてすぐに首を振る。
違う、と声がするから。
なぜだか分からないが俺には分かる。
当主の妻と、あの少女は別人だ。二人とも美しいが、その美しいの系統が違いすぎる。それ以上に、確信がある。
知らないのに。
知らないはずなのに。
俺は少女を知っている。
意味が分からず頭は混乱し、疲労感が半端ない。とにかく早く横になりたいと、俺は部屋に急いだ。
新しい部屋は、女主人向けの部屋らしく、華やかな装飾が為されていた。女性客に人気だろうなと、どうでもいいように思って俺は荷物を下ろし。
ベッドに横になろうとした。
だが、それは叶わない。
トントン
ノックの音。そして「坂井様、よろしいでしょうか?」と渡部の声がしたのだ。
ゆっくりさせてもらえないのか。
苛立ちと共に溜め息をついて、俺は扉を開けた。
怒りの眼差しを向ける俺に、けれど渡部は戸惑った様子で俺に告げるのだった。
「その……奥様が見当たりません」
「なんだと?」
眉根を寄せる俺に、渡部は言った。
元居た館からほぼ全員が出て、残るは俺の妻だけとなり。
何か困ってるのではないかと部屋に向かったスタッフが、部屋をノックするも返事が無い。
仕方なくマスターキーで部屋に入ると、そこには……
「居なかった?」
「はい。荷造りの途中だった様子で荷物はあったのですが、奥様がどこにもおられなかったのです」
「用を足してたのではないか?」
「全ての部屋をチェックしましたが、もぬけの殻でした」
「それは、一体……」
「とりあえず、荷物はこちらにお持ちしました。これから私も奥様を探しに戻りますが──お越しになりますか?」
俺は無言でかぶりを振って断り、静かに扉を閉めた。
まったく、あいつは何をしてるんだ!
何をやらせても不出来な妻に苛立ちを感じながら、俺は横になる。
結局、食事の用意が出来たと起こされるまで妻は見つからず。
昼を過ぎても、妻はどこにも居なかった。
妻は、完全に姿を消したのだ。
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