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老夫婦
12、
しおりを挟む一瞬の暗闇。すぐに目を開けば目の前には隆哉のドアップ。
「わ」
思わず声が出た。近すぎだし!
私が目を覚ましたのに安堵した表情を浮かべ、隆哉の顔は離れていった。
どうやら私はベッドに横になってるらしい。隆哉は側に椅子を置いて腰かける。
「また寝てた?」
「うん。美菜、ここに来てから寝すぎだ」
「あはは」
からかうような響きに笑いを返して、身を起こす。そして気付いた。部屋が変わってる事に。
最初の館の次は当主奥方用の薔薇館で──そう言うだけのことはあり、あちこちに薔薇の彫られた装飾があった。けれど今の部屋にはそれがない。至ってシンプルな作り。最初の館に似た感じだ。
「ここは?」
「最後の……三つ目の館に移動したんだ」
「そっか」
理由は聞かない。この目で見たものが理由としか考えられないから。
気を失う前に見たもの。肖像画に磔となったあれ。
「亡くなった?」
「おそらくね。触っちゃまずいだろうと、数名で近付いて確認しただけだけど」
「そのままなの?」
「警察が来るまでそのままがいいだろうってなった。……まあ、本当は誰も触りたくなかったから、なんだけどね」
スタッフだろうと誰であろうと、あんな異常な死に方をしてる遺体に、誰が触れたいと思うものか。放置することを責める者は居なかったという。
そして全員がまたも移動した。玄関ホール正面の、肖像画の中心。そんな目立つところに遺体がある場所で、過ごしたい者など居ない。
「つまりここは最後の館?」
「そう。桐生家最後の当主──肖像画に描かれた少年のための館。息子の為の館だ。なんて言う名前か知らないけどね」
それは館の名前か少年の名前か。どちらにしろ、知る者はいないだろう。いや、スタッフなら知ってるかもしれないが、それを聞いたところで意味はない。隆哉は興味なさげに肩をすくめる。
三つ目の館。本来ならとうにガイドの案内の元、散策していた場所。もしかしたら気に入って、宿泊していたかもしれない場所。なのに今、どうにもならない理由から強制的に移動した館。
こんな事態だというのに残念に思ってしまう。
「折角の旅行だったのに……残念」
思わず不謹慎な事を言ってしまい、慌てて口に手を当てる。けれど聞いていたのは室内にいる隆哉だけ。
キョトンとした顔をした後、言いたい事が分かったのだろう。フッと隆哉は優しい笑みを浮かべた。
「そうだな。ごめん、俺がこんなとこ誘ったから」
「ううん、私が好きそうだからって選んでくれたんだもの。隆哉は何も悪くないよ」
「ありがとう」
申し訳なさそうに頭を撫でてくる隆哉。その大きな手が心地よくて、私は目を細めた。
だが直後、脳裏で声がする。
『あの男には気を付けてね』
夢の中の少女、里奈の言葉が思い出される。
隆哉に気を付けろと少女は言った。危険だと、害する者だと里奈は言った。
だが私には分からない。目の前の隆哉は、ただひたすらに私を気遣い思いやり──好いてくれている。紛れもなく感じる好意なのに、けれど里奈は気を付けろと言うのだ。
どうして?隆哉の何が危険なの?
どれだけ考えても分からない。目の前の優しい目を見つめながら、私はただ困惑するしかなかった。
ノックの音が聞こえたのはその時。食事の知らせに私は体を起こし、隆哉と共に食堂に向かう。
私の横を並んで歩く隆哉。その体は、手は、触れそうに近い。だというのに、その手が絡むことはない。
少女の言葉が気になるのか。近くにいるはずの隆哉が、どこか遠くに感じた。
* * *
カチャカチャと食器の音がする。音はそれだけしかしない。
スタッフが用意してくれた食事を、客もスタッフも同じ食堂で食べる。別々にならない方がいいだろう、という渡部さんの提案に皆が頷いた結果だ。土砂崩れで通いのスタッフが来れない今、少ないスタッフに作業を押し付けるのは酷だ。
料理もまた、出来る者が行った。
「あ、美味しい」
思わず言葉が漏れて、慌てて口元を押さえる。別に禁止されてるわけではないが、重たい沈黙が続く中で声を発するのは、なかなか勇気がいるのだ。
だがそんな私に同意するかのように、横に座る健太君が「美味しいよねえ!」と言って笑ってくれた。そのおかげか何となく空気が少し軽くなり、ホッとする。
「ママが作るスープ、僕大好きなんだ!」
「そっか。お料理上手なママでいいねえ」
「えへへ~」
料理が出来る人、となれば自然と女性が多い。スタッフはあまり料理が出来る人がいないようで、調理担当はツアー参加者の女性が大半を占める。
「本当に美味しいです、ありがとうございます。……すみません、私料理できなくて」
健太君の横に座るお母さんに恐縮しながら言えば、「いえいえ」と首を横に振られた。
「これだけの人数の方に食べていただけるとなると、作りがいがあります。美味しいと言ってもらえるのは嬉しいですよ」
嬉しそうな健太君と、微笑む広谷さんの奥さん。更にその横には、微笑みながら食事する広谷さんのご主人。
微笑ましい家族。素敵な家族。ああ、早く家に帰ってお母さんのご飯、食べたいなあ。
と考えて、不意に不安が押し寄せる。
帰れるのだろうか?本当に今、土砂崩れを除く作業がなされてるのだろうか?
ならばどうして来ない?いくら山奥だからって、ヘリくらい来ても良いはずだろうに。物資を届けるとか何かアクションがあっても良いのに。
状況はなんら変わらない、変化がない。
ただ死者が出て行方不明者は見つからず、館を移動し、減っていく食材。
襲い来る不安に、食事の手が止まってしまった。
不意に、その手を握る温もりが。
顔を上げれば、健太君と目が合った。
「健太君?」
「大丈夫、お姉ちゃん?」
ツキンと何かが刺激する。
「大丈夫だよ、きっと大丈夫」
健太君の言葉に、チクリと何かが刺さる気がした。
「大丈夫、何もかもうまくいく」
何かが、私の記憶を刺激する。
「お姉ちゃんは」
待って、その先は──
「僕が守るから」
「僕が守るから」
健太君の言葉と。
私の言葉が。
重なった瞬間だった。
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