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館の見る夢

館の見る夢(5)

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 当主が帰宅したとメイドが話すのを聞いた。一気に気分が憂鬱になる。
 昨日から誰も自分に手出ししてこないのは、そういうことかと合点がいった。そうでなければ、もっと色々あったであろうに。
 まともな食事に快適な入浴、隙間時間は好きに読書。退屈で平穏な時間に安堵していた矢先に、これだ。体が知らず震えた。

 桐生家当主が帰宅したところで、何も良いことなど無い。使用人達の嫌がらせが減ると、喜ぶことなど出来ない。
 当主の帰宅は、それほどに私の心に影を落とす。
 それほどに、当主の存在は自分にとって──

「ご主人様がお越しになります。身支度を」
「──はい」

 メイドの言葉に、一気に血の気が引く。だが嫌がることも逃げることも許されない。
 私はゴクリと唾を呑み込み、本を置いて立ち上がった。
 メイド達は手際よく私の世話をする。服を着せられ、髪を梳かれ身なりが整えられていくのを、どこか別世界のように感じた。

 そして出来上がった私は……自分で言うのもなんだが、本当に美しかった。誰かが息を呑むのが分かった。たとえ憎く思っていても、目障りだとしても、目を奪われずにはいられない。
 鏡に映る私は、深く吐息が漏れる程に美しい。──そしてその美は、誰かと重なる。
 母ではない。私はどちらかと言えば父方の血が濃いから。
 重なったのは、一度だけ見た事がある人。
 一度だけ見せられた肖像画。

 桐生家当主の、奥方。

 数年前に亡くなったその人は、とても美しかった。私でさえも息を呑むほどに。それでもその肖像画は、真実を描ききれてない、本物はもっと美しいとまで言われていた。写真もあるらしいが、誰にも見せたくないと、当主が所持し誰の目にも触れられることはない。

 その奥方と私とでは美しさの傾向が違った。だが根本的に、どこかが似てると感じた。
 だからなのだろう。
 桐生家当主が私を大金で手に入れたのは。
 奥方を溺愛していた当主は、愛する妻の……

「お嬢様をお連れしました」
「ああ、待っていたぞ。お前らは下がっていい」

 用意が出来たと連れられた一室。そこに当主は豪華な椅子に座していた。
 下がれと言われ、頭を下げ退室する使用人達。残されたのは、私と、当主の二人きり。

「近くに」

 私に拒否権はない。拒絶することは許されない。
 ただ黙って言われるがまま動くしかない。人形のように。
 震える足を必死に動かし、私は当主の前に立った。
 私を見上げる目と視線が絡まる。ネットリとした、重たく暗い目だ。

「久しいな」
「お帰りなさいませ、旦那様」
「ああ。お前は相変わらず美しい」

 そう言って、当主は──男は私の頬を撫でる。触れるだけなのに、ジリジリと焼けて痛むような錯覚に襲われる。
 男は微笑んでいた。私を見て、優しい笑みを浮かべていた。
 それだけなら、何らおかしくない。奥底で歪んではいても、はたから見れば何も異常なことなど感じられない。
 けれど、私は緊張で喉がヒリヒリしていた。
 間違えてはいけない。絶対に間違えてはいけない。もし間違えたなら──

「留守中、何をしていた?」
「本を読んでおりました」

 間違えたなら──
 直後、頬に熱が走った。部屋に鈍い音が響き、私は尻もちをついていた。頬を思い切り殴られたのだ。平手ではない、拳で、だ。痛みに頬を押さえる。口の中に広がる鉄の味。
 ダンッと激しく足を鳴らす音に、私の体が震えた。
 足の主を見上げれば、先ほどの優しい顔とはうって変わって、恐ろしい形相で男は私を見下ろしている。

「お前は誰だ!?」

 その問いかけに体がビクッと震えた。

「も、申し訳ありません……」
「妻はそんな言い方をしない!」

 怒鳴って男は立ち上がる。私の中の恐怖がどんどん大きくなる。

「そもそも妻は読書より刺繍を好んでいた!私によく刺繍したハンカチを贈ってくれたのだ!」
「も、申し訳……お許しください、旦那様」

 謝罪の言葉を一度呑み込み、言い直す。
 教えられた亡き奥方の話し方。それを必死に思い出して、私は震える声で謝罪を口にする。

「お許しください、旦那様。面白い本が手に入ったとのことで、夢中になっておりましたの」

 それは私の言葉ではない。10代半ばの子供が使う言葉ではない。
 けれど奥方はそう言って話していたのだ。そう、聞いた。
 美しい桐生家当主の奥方。当主が溺愛した、愛して愛して愛して……死んでなお、当主が焦がれてやまない奥方。
 奥方を失った時、気がふれそうになった当主は、館に戻ることも出来ずあちこちを彷徨っていたらしい。
 その時、偶然見かけたのが私だった。
 美しい私。奥方に似てないのにどこか奥方を思い出させる。不思議な美しさをもった私を、当主は手に入れた。
 手に入れて閉じ込めて──奥方の代わりとした。身替わり人形に仕立て上げた。
 だから私は奥方にならねばならない。当主が満足いく、本物の奥方になりきらねばならない。

 それを失敗した時は──

「脱げ」
「──!!」

 どうにか回避しようと、謝罪して許しを請うたが、それは成果をあげられなかった。
 絶望が心を支配する。

「どうした。早く脱げ」

 服を脱げと言って、当主は立ち上がる。壁にかけられたそれを手にし、私の元へ。
 未だ床に座り込んだ私の前に立ち、冷たい目が私を見下ろした。

「お、お許しを。どうかそれだけは……」
「脱げ」

 有無を言わさぬ力の強さに、それ以上は何も言えなかった。
 震えながら、私は服を脱ぐ。
 顕になった白い肌。日焼けを知らぬ白い肌に──焼けるような熱が加わるのは直後のこと。

「────!!」

 声にならぬ悲鳴が上がる。
 それを嘲笑いながら、当主は鞭を振り上げた。
 振り上げて振り下ろされ、白い肌に赤い筋が次々と作られていく。

 気を失いたくとも、痛みが激しすぎてそれを許さない。
 叫ぶ事すらできないほど、息が止まりそうな痛みに歯を食いしばりながら。
 振り下ろされる鞭の音と、当主の狂ったような笑い声を聞きながら。

 早く終わってとただ祈る。

 
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