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広谷一家
8、
しおりを挟むガシャガシャと鉄格子が揺れる。ほとんど骨となった指が、握りしめた鉄格子を激しく揺らした。
「ねえざま、ねえざまあ!!」
「いやあ!」
目の前の動くミイラに腰が砕け、尻もちをついたまま私は後退する。
通れるはずもない、鉄格子の間は狭く通れるわけはないと分かる。だが私は逃げた。恐ろしくて、這いつくばって逃げた。
「ひ、ひい……」
どうにか扉に辿り着き、そこをくぐる。一瞬の安堵を胸に、振り返ったその瞬間。
「!?」
目を疑った。どうしてそこに立ってるのか、何が起きたのか分からない。ただ言葉を失う私の目の前で、それは立っていたのだ。
子供のミイラが、鉄格子から抜けてこちらに立ってるのだ。
手をブランと垂らし、俯いて動く様子はない。だが直後、グルンと顔を上げてそれがこちらを向いたのだ!
「ひ──!」
慌てて腕を動かし、私は再び移動を開始した。
ズル……ズル……と、嫌な音がゆっくりと近付いてくるのが聞こえる。それが何かなんて確認する余裕なんてない、とにかく早く外へと頭の中でガンガンと警鐘が鳴る。
ようやく体全てを扉の外に出し、小さい扉を閉めようと振り返る。そこには迫りくる子供のミイラが居た。
「キャハハハ!ねえざま、ねえざままっでえ!」
動けなかった。
それは笑っているのに、恐ろしい形相で迫ってくるのに。だというのに、私の体は動けずにいた。
だがその手がいよいよ届きそうになった瞬間、弾かれたように私の手は動き──思い切り扉を閉めたのだ。
バタンッ!!
大きな音を響かせて扉が閉まるその直前。
扉の向こうに見えたモノに、一瞬目を見張った。どこを見てるのか分からぬ窪んだ黒い瞳、恐ろしい様相のその顔。笑いながら伸ばされる手。
だというのに、なぜだか悲しみに満ちていた。
まるでそれは泣いてるかのように感じ──けれど一瞬見えたそれを確認する事も出来ず、扉は閉ざされた。
ガコンと音が聞こえてカチャンという音もした。おそらくは鍵が自動でかかったのだろう。また穴に指を入れて引く、という手順を踏まないと、この扉は開かない。
それが為されるまで、永遠に閉ざされたままの扉が、壁が、目の前にそびえる。
私の深く長いため息だけが、その場に響いた。
どれくらいその場に座り込んでいただろうか。ハッと我に返って慌てて携帯を見た。もう随分とバッテリーが減ってしまってる事に気付き、急いで立ち上がった。グズグズしては居られない!
「広谷さんを探さなくちゃ……!」
そして、里奈を探さねば。
多分私は見つけたのだ。里奈の弟を見つけたのだ。
今の部屋は、確かに里奈の弟にあてがわれた部屋だった。そしてあのミイラ。恐ろしくて凝視出来なかったが、チラと見えたそれは……ミイラがボロボロになってなお身につけていた服の残骸は、確かに夢で見た里奈の弟の物だった。
きっとあの部屋で彼は死んだのだ。どうしてなのか。幼くして──あの身長ならば、あそこに閉じ込められてそう時は経たぬうちに彼は亡くなったようだが、それはなぜなのか。
疑問は湧き上がれど、それを解決する術はない。ただ今は、求める人物を探すことしか、私に出来ることはないと悟る。
だから私は走り出した。やみくもに右へ左へと通路を行く。道なんて分からない、元から戻る道はとうに見失った。ただ移動しないと何かがやって来て恐ろしそうだというのもあったし、移動しないことには広谷さんは見つけられないと思ったから。
何より里奈がどこに居るのか、どのタイミングで現れるか分からなかったから。
一カ所に留まるのは得策ではなく、救いの手を待つ余裕もないと判断した私は、とにかく走った。走って走って息切れして苦しくなって……それでもどうにか足を前に出す。もう幾つ目の角を曲がったかなんて覚えてなかった。ただ目の前に道があるから曲がっただけのこと。
その瞬間、「あ──!?」何かに足をとられて転んでしまった。
「いったー……もう、何よ」
したたかにお尻を打った私は文句を口にして、お尻をさすった。だがヌルリとした感触があり、驚いて手を引っ込める。「な、なに?」恐る恐る携帯で手を照らして──私は言葉を失った。
そこには、真っ赤に染まった自分の手があったのだ。
これは何だと考える間もなく、弾かれたように私は顔を上げて前方を見た。そして「ひい!」と悲鳴を上げる。
目の前の床に、それは転がっていた。
人だとすぐに理解した。
倒れ込む人物から血が流れだし、それが床を濡らして私はそれに足をとられたのだ。
そして。
もうその人物が生きてないことは、呼吸を確認するまでもなく分かった。脳が理解してしまった。
手を服でゴシゴシとこすり、携帯も拭いて握りしめる。明かりを前方に照らし、倒れる人物の顔を覗き込んで、私は驚きに目を見開いた。
「広谷さん!?」
そう、そこに倒れていたのは広谷さんだったのだ。ただし奥さんではない、死者は広谷さんのご主人だったのだ。
「ど、どうして広谷さんのご主人が……?」
まるで夢遊病者のように、本人の自覚ないままこの地下通路に入った広谷さんの奥さん。ご主人も同じなのだろうか。
何か持ってるだろうか、せめて懐中電灯は……と、ご主人の周囲を照らして「うわ!?」私はまたも悲鳴を上げてしまった。だってそこに人が居たから。壁に背を預けて床に座り込み、正面を見据えて呆けた人物が居たから。
「ひ、広谷さん!?」
それは広谷さんの奥さんだった。健太君を探して走り出して、どこかへと消えたその人が、そこに居たのだ。
では、ではひょっとして、ご主人を殺害したのは、まさか……
「あなた、が……?」
私の問いかけに、ゆっくりと広谷さんは顔を動かす。虚ろな目で私を見た。
「あなたが、ご主人を殺したんですか!?」
どうして!?
叫ぶ私の声に反応するかのように、彼女はゆっくりと立ち上がった。
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