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里奈と美菜と貴翔と隆哉
2、
しおりを挟む激しい音が聞こえたかと思えば、訪れる静寂。私は腕の中で未だ眠り続ける健太君の重みを感じながら、呆然と立っていた。
だが直後慌てる隆哉の声に、我に返る。
「広谷さん!?広谷さん!くそ、何だよあれ!」
扉に手をかけ下を覗き込む隆哉。だがそこに広がるのは闇だけだ。
「美菜、見てくるからここで……」
「駄目!」
待っててくれ。
そう言おうとする隆哉の声を遮り、階段を下りようとするその腕を掴んだ。私の行動を驚いたように、目を大きくして隆哉が私を見る。
だが私は静かに「駄目」と言って、首を横に振った。「行っちゃ駄目、もう……手遅れだから」とも言って目を伏せる。
「なに言って……!落ちる音を聞いただろ、そんな下まで広谷さんは落ちてない。すぐそこに落ちただけなのに、放っておくなんて……!」
そんなことは分かってる。ドサリと落ちる音は近かった。私も霧崎に突き飛ばされて落ちた、経験者なのだから。そこに階段の踊り場があることくらい、知ってる、分かってる。
でもそれ以上に分かってるのだ。もう広谷さんは生きてないと、里奈の手にかかったと分かるんだ!
「あの音を聞いて!」
顔を上げて、隆哉に促す。一瞬訝しげな顔をした隆哉だったが、聞こえた音に顔色を変えた。
ズル……ズル……ズズズッ……
それは何かを引きずる音。
何を?なんて考える必要はないだろう。
それが何かなんて、きっと私と隆哉の考えは同じはずだ。
「た、助けに行かなくちゃ!」
「無理だよ、私達には……生者には無理なの」
「なに言って……」
見てるはずだ。隆哉は見たはずだ。一瞬だったが、広谷さんの背後に現れた里奈を、隆哉は確かに見ている。驚愕に目を見開いてたのを、私は視界の隅で見ていたから。
「あれはこの世ならざる者。そんな奴に対抗する術はないのよ、出来ることは逃げることだけ!」
「あ、おい、美菜!?」
驚く隆哉の声を無視して、私は扉を閉めた。ガコンと嫌な音を立て、扉は閉まり──また静寂が横たわる。扉は壁の一部へと戻り、そこに扉があるとは誰も気づかない状態に、戻ったのだった。
※ ※ ※
「救助隊が来た!?」
第二の館を出た私達は、そのまま第三の館に戻る──ことはしなかった。健太君を抱きながらも私より早い隆哉に必死でついて行きながら、今聞いた話に驚いて声を上げた。
「そうなんだ、土砂崩れが解消されて救助隊が到着したんだよ」
「そうなんだ……」
通いの従業員か誰かは分からないが、誰かが通報して、ちゃんと作業が行われていたのだと安堵する。
「今、救助のバスが待っててくれてる。広谷さん一家と美菜が居ないって大騒ぎだったんだぞ。でも本当に無事で良かったよ、朝起きたら美菜が居ないと知った俺の気持ち、分かる?」
「ごめん……」
やっぱり、強引にでも起こすべきだったか……その結果、霧崎に陥れられとんでもない経験をしてしまったのだから。軽率な行動が悔やまれ、私は素直に謝った。
「まあでも、無事で良かったよ」
そう言って、後ろを走る私を見る隆哉の目は優しい。その眼差しにホッと安心感を感じ、ジワジワと助かった喜びが湧いてきた。
「あ、あれだ」
隆哉が顎で指し示す方向。山道の入り口に、確かにそのバスはあった。よく見ると、他にも大勢人がいる。おそらく救助隊だろう。
警官の姿もあるな……まさか自殺やら殺人があったことを知ってではないだろうけど、ホッとする。
バスの外では、ガイドの渡部さんが警官の一人と話してるのが見えた。この後、第一の館と第二の館で、遺体を回収して検死とかあるのかな。
広谷さん夫婦はどうなるのだろう……。
はたして、あの隠し扉と地下室を話すべきなのだろうか。
なんとなく、話すべきではない気がする。もし話してしまったら、誰かがあの中に入ってしまったら……
嫌だ
不意に浮かんだ考えに。そんなことを考えてしまった自分に驚いた。
それは不安。明確に感じる不安。
もし霧崎や広谷さんの遺体が見付かったとして、なぜ私と健太君だけ助かったのか。何があったのか。聞かれても答えられないから。正直に話したとしても、信じてもらえないのは明確だったから。
そうなれば、真っ先に疑われるのは私だ。
感じる不安は、疑いの目を向けられるのが嫌だからか。
分からないが、ただひたすら不安で嫌だった。
話すべきなのに、そうすべきなのに……
「警察に、さっきの隠し扉の話をしないとな」
そう隆哉が言った瞬間、弾かれたように私は顔を上げた。隆哉の顔を見る。
「話すの?」
「え?当然だろ?」
何を当たり前のことを、というような顔が向けられる。当然、そう当然なのだろう、隆哉はなんらおかしなことは言ってない。
なのに私の中でどんどん膨らむ嫌だという気持ち。ザワザワと嫌な感じが体を這いずる感覚に、ギュッと胸を掴んだ。
「美菜?」
私の異変に気づいた隆哉が振り返り、訝しげに私を見た。けれど返事ができない。
「美菜、どうしたんだ?」
呼びかけに答えることが出来ず、私は──
「美菜!?」
振り返って走り出した。今来た道を、やっと出れたと安堵したはずの、その場所へ。
地下室のある第二の館に向けて、私は走り出した。
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