34 / 66
デビュタント編
8
しおりを挟む
「エルシィ、今日は父と登城予定だ。いつもより早く帰れそうだが、エルシィは孤児院から何時頃戻る」
昨日はお泊まりの日だったので、朝からアリスに玄関まで見送られて上機嫌なエリアスト。アリスも嬉しそうに笑っている。
「四時頃には戻れそうです、エル様」
「そうか。では私もそのくらいには戻れるようにしよう」
離れ難そうに見つめ、いつまでもアリスの頬から手を放さない。アリスはそんなエリアストの添える手をそっと包むと、少し離れたところで控えていた侍女が近付き、アリスに何かを手渡した。受け取ったアリスはエリアストの手を頬から離すと、その手に受け取った物を乗せた。
「エル様、これを」
「これは」
ハンカチだった。広げてみて驚く。見たことのない図案。だがわかる。
エリアストは堪らずアリスを抱き締めた。喜んでもらえて、嬉しそうに笑みを零すアリス。
ディレイガルド家とファナトラタ家の家紋を織り交ぜた図案。
婚約者が互いの家紋を交換して持ち歩くことは、愛情表現のひとつとしてよく行われている。その中で、互いの家紋を織り交ぜるということは、何があっても決して離れない、という最大級の愛を示す。
「昨夜、ようやく完成しぅんっ」
エリアストの唇が、アリスの唇を言葉ごと奪う。使用人たちはあらぬ方を向いたりして見ない振りをした。
とてもとてもしばらくして、ようやく離れたエリアストは、見たこともないほど上機嫌で出掛けて行った。
*~*~*~*~*
修道院が早馬を走らせていた。ディレイガルド家から常々言われていた。何かあったらすぐに連絡をするように、と。まさか、“王族”から“何か”をされて早馬を走らせることになろうとは。
知らせを受けたエリアストとディレイガルド公爵は、表情がなくなった。特にエリアストは本日はすこぶるご機嫌だったため、その落差がより酷かった。それを見た伝令の者は青ざめ、全身が震える。退室を言い渡されると、転がるように部屋を後にした。
「はあ。折角早く帰れると思ったのに」
エリアストの気持ちを代弁するように公爵が言う。
「子どもの方は任せるよ。親の方は私に任せてもらっても?」
冷たく嗤う公爵に、エリアストは少し考えた後、頷いた。
「じゃあ一足先に行くよ。愚か者が戻ったら知らせるよう言っておくね」
サーフィアはまだ戻っていない。直戻るだろう。戻る前に舞台を整えてあげよう。
公爵は部屋を後にすると、王の執務室を目指す。そちらにもすでに伝わっているはずだ。
王の執務室の前の衛兵の顔色が悪い。公爵を見ると敬礼をし、何も言わずとも扉をノックして公爵の訪れを告げた。中に入ると、すでに王妃、側妃、三人の王子も待機していた。
「この国の至宝、遍く民を導き照らす光の王におかれましてはご機嫌麗しく」
口元だけに笑みを浮かべた公爵が、頭を下げることなくそう述べる。その手には、鞘ごと腰から抜いた剣がある。
王族の顔色はない。紙のように真っ白だ。完全に血の気が引いている。
公爵は鞘じりを床につけると、柄頭に両手を置いて嗤う。
「アリス嬢が、怪我をしたそうですよ」
なぜだと思います?公爵はニッコリ笑う。
「そ、れに、ついては、申し訳、ないと」
「あははは、そうだよねぇ。申し訳があったらびっくりだよ」
王の言葉に公爵は返す。
「言葉が理解できなかったのかなぁ。幼い子どもでもわかる言葉だったと思うけど」
アリスに関わるな。王家に要求したのは、それだけのはずだった。
「私もね、この国の防衛を与る者として、粉骨砕身やって来たんですけどねぇ。それに対する報いがコレですか。あんまりではないです?自分が可哀相で泣けてくるなぁ」
クスクスと楽しそうに語る公爵が恐ろしい。
「そうそう、なぜ私は王国騎士団の団長を選んだと思います?」
ディレイガルドの歴代の当主たちは、必ず国の要人職に就く。
どれでも、選べる。
「血を見るとね。落ち着くんです」
ニッコリ。
王族はゾッとした。
「ああ、キミたちは別室で待機。一人はこの世のすべてが自分のものだと思っている楽しい王女サマをその部屋まで案内するように」
笑顔で王子たちに言う。
「直帰ってくるよ。早く動きなよ」
愚図。
笑顔から一転、鋭く睨まれた王子たちは、慌てて動き出す。
「王女サマが戻ったら、どの部屋にいるかは私の執務室にいるエリアストに伝えろ」
王子たちが部屋を出る直前にそう言った。
「さて。愚か者の母親は、どっちだったかな」
美しい公爵の顔が、冷たく嗤う。
側妃は床に平伏した。
「申し訳、申し訳ありません!申し訳ありません!」
公爵は鞘に収められたままの剣を、平伏す側妃の眼前に、ドン、と突き立てるように晒す。
「うんうん。おまえはそこで座って見ていなさい。これから起こることを」
ただ、見ていなさい。
*~*~*~*~*
幸せな気持ちが、体中を満たしていた。
今朝、アリスから熱烈な告白を受けたのだ。
互いの家紋を織り交ぜた刺繍は、見事の一言に尽きた。
アリスの気持ちに心が震えた。どうしようもなく愛しさがこみ上げ、人前にもかかわらず、その唇を貪った。きっとアリスは恥ずかしかったに違いないのに、おずおずと私の胸元をキュッと掴んで受け入れてくれた。それが更に私を煽った。あのまま抱きかかえて部屋に連行しなかった自分を褒めてやりたい。
貴族は結婚するまで純潔を、と言うが、アリスが望めばそんなもの関係ない。結婚しても、アリスの心が追いついていなければ我慢だってする。すべてアリス次第だ。
今日は早く帰れる。ずっとアリスを眺めていよう。目が合うと優しく微笑むアリス。髪を撫でると淡く頬を染めるアリス。頬に手を添えると更に赤く染まる。くちづけをしたら真っ赤だ。目を閉じて懸命に応えるアリスの愛しさは、筆舌に尽くせない。時々目を開けて、じっくりアリスを見ながらその唇を堪能していると知ったら、どんな反応を見せてくれるだろう。
アリスを思うだけで幸せ。
こんな気持ちをくれる最愛の人。
早く帰ろう。アリスをずっと眺めていたい。
それなのに。
「ご報告申し上げます!」
怒りも度が過ぎると、返って冷静になれることを知った。
*つづく*
昨日はお泊まりの日だったので、朝からアリスに玄関まで見送られて上機嫌なエリアスト。アリスも嬉しそうに笑っている。
「四時頃には戻れそうです、エル様」
「そうか。では私もそのくらいには戻れるようにしよう」
離れ難そうに見つめ、いつまでもアリスの頬から手を放さない。アリスはそんなエリアストの添える手をそっと包むと、少し離れたところで控えていた侍女が近付き、アリスに何かを手渡した。受け取ったアリスはエリアストの手を頬から離すと、その手に受け取った物を乗せた。
「エル様、これを」
「これは」
ハンカチだった。広げてみて驚く。見たことのない図案。だがわかる。
エリアストは堪らずアリスを抱き締めた。喜んでもらえて、嬉しそうに笑みを零すアリス。
ディレイガルド家とファナトラタ家の家紋を織り交ぜた図案。
婚約者が互いの家紋を交換して持ち歩くことは、愛情表現のひとつとしてよく行われている。その中で、互いの家紋を織り交ぜるということは、何があっても決して離れない、という最大級の愛を示す。
「昨夜、ようやく完成しぅんっ」
エリアストの唇が、アリスの唇を言葉ごと奪う。使用人たちはあらぬ方を向いたりして見ない振りをした。
とてもとてもしばらくして、ようやく離れたエリアストは、見たこともないほど上機嫌で出掛けて行った。
*~*~*~*~*
修道院が早馬を走らせていた。ディレイガルド家から常々言われていた。何かあったらすぐに連絡をするように、と。まさか、“王族”から“何か”をされて早馬を走らせることになろうとは。
知らせを受けたエリアストとディレイガルド公爵は、表情がなくなった。特にエリアストは本日はすこぶるご機嫌だったため、その落差がより酷かった。それを見た伝令の者は青ざめ、全身が震える。退室を言い渡されると、転がるように部屋を後にした。
「はあ。折角早く帰れると思ったのに」
エリアストの気持ちを代弁するように公爵が言う。
「子どもの方は任せるよ。親の方は私に任せてもらっても?」
冷たく嗤う公爵に、エリアストは少し考えた後、頷いた。
「じゃあ一足先に行くよ。愚か者が戻ったら知らせるよう言っておくね」
サーフィアはまだ戻っていない。直戻るだろう。戻る前に舞台を整えてあげよう。
公爵は部屋を後にすると、王の執務室を目指す。そちらにもすでに伝わっているはずだ。
王の執務室の前の衛兵の顔色が悪い。公爵を見ると敬礼をし、何も言わずとも扉をノックして公爵の訪れを告げた。中に入ると、すでに王妃、側妃、三人の王子も待機していた。
「この国の至宝、遍く民を導き照らす光の王におかれましてはご機嫌麗しく」
口元だけに笑みを浮かべた公爵が、頭を下げることなくそう述べる。その手には、鞘ごと腰から抜いた剣がある。
王族の顔色はない。紙のように真っ白だ。完全に血の気が引いている。
公爵は鞘じりを床につけると、柄頭に両手を置いて嗤う。
「アリス嬢が、怪我をしたそうですよ」
なぜだと思います?公爵はニッコリ笑う。
「そ、れに、ついては、申し訳、ないと」
「あははは、そうだよねぇ。申し訳があったらびっくりだよ」
王の言葉に公爵は返す。
「言葉が理解できなかったのかなぁ。幼い子どもでもわかる言葉だったと思うけど」
アリスに関わるな。王家に要求したのは、それだけのはずだった。
「私もね、この国の防衛を与る者として、粉骨砕身やって来たんですけどねぇ。それに対する報いがコレですか。あんまりではないです?自分が可哀相で泣けてくるなぁ」
クスクスと楽しそうに語る公爵が恐ろしい。
「そうそう、なぜ私は王国騎士団の団長を選んだと思います?」
ディレイガルドの歴代の当主たちは、必ず国の要人職に就く。
どれでも、選べる。
「血を見るとね。落ち着くんです」
ニッコリ。
王族はゾッとした。
「ああ、キミたちは別室で待機。一人はこの世のすべてが自分のものだと思っている楽しい王女サマをその部屋まで案内するように」
笑顔で王子たちに言う。
「直帰ってくるよ。早く動きなよ」
愚図。
笑顔から一転、鋭く睨まれた王子たちは、慌てて動き出す。
「王女サマが戻ったら、どの部屋にいるかは私の執務室にいるエリアストに伝えろ」
王子たちが部屋を出る直前にそう言った。
「さて。愚か者の母親は、どっちだったかな」
美しい公爵の顔が、冷たく嗤う。
側妃は床に平伏した。
「申し訳、申し訳ありません!申し訳ありません!」
公爵は鞘に収められたままの剣を、平伏す側妃の眼前に、ドン、と突き立てるように晒す。
「うんうん。おまえはそこで座って見ていなさい。これから起こることを」
ただ、見ていなさい。
*~*~*~*~*
幸せな気持ちが、体中を満たしていた。
今朝、アリスから熱烈な告白を受けたのだ。
互いの家紋を織り交ぜた刺繍は、見事の一言に尽きた。
アリスの気持ちに心が震えた。どうしようもなく愛しさがこみ上げ、人前にもかかわらず、その唇を貪った。きっとアリスは恥ずかしかったに違いないのに、おずおずと私の胸元をキュッと掴んで受け入れてくれた。それが更に私を煽った。あのまま抱きかかえて部屋に連行しなかった自分を褒めてやりたい。
貴族は結婚するまで純潔を、と言うが、アリスが望めばそんなもの関係ない。結婚しても、アリスの心が追いついていなければ我慢だってする。すべてアリス次第だ。
今日は早く帰れる。ずっとアリスを眺めていよう。目が合うと優しく微笑むアリス。髪を撫でると淡く頬を染めるアリス。頬に手を添えると更に赤く染まる。くちづけをしたら真っ赤だ。目を閉じて懸命に応えるアリスの愛しさは、筆舌に尽くせない。時々目を開けて、じっくりアリスを見ながらその唇を堪能していると知ったら、どんな反応を見せてくれるだろう。
アリスを思うだけで幸せ。
こんな気持ちをくれる最愛の人。
早く帰ろう。アリスをずっと眺めていたい。
それなのに。
「ご報告申し上げます!」
怒りも度が過ぎると、返って冷静になれることを知った。
*つづく*
応援ありがとうございます!
0
お気に入りに追加
420
1 / 5
この作品を読んでいる人はこんな作品も読んでいます!
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる