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ケーシー伯爵家には、隣接する五つの貴族領地がある。これは、国内でも三本の指に入るほどの多さだ。その内の一つ、トレイイトラ伯爵家とは、他の四家よりも多く交流を持っていた。それは、子どもたちの歳が近いことが一番の理由だ。
ケーシー家には三人子どもがいる。長男デュオ、次男デュイエ、長女メリッサ。トレイイトラ伯爵家は、一人娘ムセイラ。メリッサとムセイラは同い年であった。
「ディ、ディレイガルド公爵令嬢様だったら、何もデュイエ様じゃなくてもいいじゃないですか」
そんな言葉が聞こえて、ケーシー伯爵家の面々はギョッとした。
見ると、馴染みの顔がそこにある。トレイイトラ伯爵家の一人娘ムセイラであると知るや否や、ケーシー伯爵は長男デュオにトレイイトラ伯爵を探しに走らせた。ケーシー伯爵夫妻は、デュオの妻とメリッサ夫婦にこの場で待機するよう伝え、デュイエの元へと急ぐ。
ダリアのおかげでずっと注目を浴びっぱなしのデュイエたちだが、この騒ぎにまだ気付いていない者たちもいる。ケーシー伯だけでなく、他の者たちもトレイイトラ伯爵夫妻を探すが、二人揃って姿が見えない。おそらく、ムセイラは両親が席を外した隙を狙って行動を起こしたのだろう。
ムセイラは、デビュタントを迎えてこれが初めての夜会だった。婚約者がまだいないことから、両親と出席していた。
メリッサは、ムセイラが何故誰とも婚約をしないのかを知っていたが、まだ十八。デビュタントを迎えたばかりのため、これから婚約を決める者も多い。メリッサのように、デビュタントを迎えてからすぐに結婚をする者は、元々婚約が決まっていた者がほとんどだ。その為、もっと他のたくさんの令息たちと交流をすれば、ムセイラの気持ちも変わるだろうとメリッサは思っていた。
学園では出会えなかったようだが、社交界はもっとたくさんの人たちと出会う機会がある。
デュイエへの恋心は、その内新しい恋に書き換わるだろう、と。
そう思っていたのはメリッサだけではない。ケーシー伯爵家もトレイイトラ伯爵家もムセイラの気持ちに気付いていたが、一時のものと思っていた。デュイエさえも気付いていたがそれは、最初に出会った年上の男性への憧れが恋と錯覚した刷り込みのようなものだ、と。だから必要以上に接触はしないし、他の人に接するときと同じように接した。勘違いをさせてしまうことは控えたし、ムセイラの好意をやんわり否定したことも数知れず。
だが、それではダメだったようだ。
もっとハッキリ断るべきだった。突き放すべきだったのだ。
そうしなかったから。
「ディー様はわたくしの婚約者。馴れ馴れしく名を呼ばないように」
愛する人の手を、煩わせてしまった。
そう、デュイエは後悔した。
それでも、表情のない顔が美貌を際立たせ、同時に恐ろしさもより際立つダリアに、つい見惚れてしまう自分がいる。
「デュイエ様は、お兄様のデュオ様を支えるために、結婚はしないと言っていたのよっ。それなのに、それなのにっ」
ムセイラの言葉に、ダリアに見惚れている場合ではなかったとデュイエはハッとする。ムセイラを止めようと動きかけて、ダリアがそれを止めるように組んでいた腕に力を込めた。同時に、慌てて近付いてくるケーシー伯爵夫妻を一瞥し、手出し無用とばかりに空いた方の手を軽くあげてその場に押し止めた。
「ディア様?」
ダリアはデュイエに微笑む。
その微笑みを見た者たちは軒並み倒れ、その息を飲むほどの美しさに、デュイエの時は止まってしまった。
そんなデュイエが愛しくて堪らないが、さて、この目の前の愚物をどうしてやろうか、と再びムセイラを見て溜め息を吐いた。
ディレイガルドに盾突くほどデュイエを想っていたのなら、何故結婚できるよう行動をしなかったのか。デュイエが誰のものにもならないと明言していたとしても、誰のものにもならないのならと見つめていただけなのだとしたら、手に入れることを諦めたと同義。人生何が起こるかわからないのだ。横から掻っ攫われるなんて、よくある話だ。絶対に欲しいものがあるのなら、指を咥えて見ているだけなんてあり得ない。
「デュイエ様は結婚なんて望んでいなかったのよっ。それを、ディレイガルドの名を使って無理矢理自分のものにするなんてっ」
「やめないかっ!気でも狂ったかおまえっ!」
デュオから話を聞いて、騒ぎに駆けつけたムセイラの両親が慌てて止めに入る。
両親は、婚約者を連れた姿を実際に見れば諦めがつくだろうと思っていた。況して相手はあのディレイガルド。つらいかも知れないが、現実を見れば、次へ目を向けられるだろう、と。そのため、自分たちが側にいては、出会うものも出会いづらくなるだろうと、あえてムセイラから離れたのだ。
誰が、ディレイガルドに盾突くなんて思う。
父親がムセイラに掴みかかろうとして、横に吹き飛ぶ。そのまま床を数メートル、体を滑らせて止まる。
その様子にデュイエは時を取り戻し、いつの間にやらムセイラの側にいたダリアに気付く。
ダリアが、伯爵のその脇腹を殴ったのだ。
非常に不愉快な女を排除するために動こうとし、横から紛れてきた余計なものが邪魔だったに過ぎない故の行動。だが周囲は、大の大人を吹き飛ばすほどの力を、少女の細腕が繰り出したとは思えなかった。
そして、ダリアの父エリアストを知る者たちは思う。
ああ、やはり彼女はあのエリアストの血を紛れもなく引いているのだ、と。
白目を剥いて泡を吹く伯爵に一瞥もすることなく、ダリアは温度のない目をムセイラに向ける。ムセイラの体がビクリと震えた。
「私の婚約者を、馴れ馴れしく名で呼ぶな、と言っている」
聞こえないのか。
ダリアが冷気を纏わせている。令嬢らしからぬ口調へと変わり、愚か者を凍てついた目で睨む。
「何よ!ずっと、そう呼んでたし、後から来たクセに、私たちの間に入って来ないでよ!筆頭公爵家だからって、何でも許されると思わないで!」
ケーシー家は皆が思った。こんなに愚かな娘だっただろうか、と。
特にメリッサは、ムセイラと同い年ということで、幼馴染みの気安さはあったが、特別に親しくしていたというほどでもなかったため、もっと距離が近かったなら、彼女の深層にあるものに、気付けていただろうか、とこの状況を憂いた。
意識を飛ばしたトレイイトラ伯に寄り添う夫人も、人外を見るような目で娘を見て青ざめている。これほど愚かだなんて、こんなことになるなんて、思いもしなかった。こんなことになるのなら、側を離れるべきではなかった、と。
父親のこの姿に何とも思わないのか、父親が何をされたのか、何故こうなったのかわからないのか、それでもディレイガルドに盾突くのか。
そう、周囲の人間たちでさえ思った。
「許されるよ」
そんな周囲を余所に、デュイエは静かにそう言った。
ダリアの微笑みに時を止めていたデュイエは、ダリアの怒りによって我に返り、そっとダリアの側に寄ると、その尊い手を掬い上げる。
「少なくとも、私に関することは何でも許される」
柔らかな口調だが、そこには確固たる意志があった。
「それは筆頭公爵家だからじゃない」
真っ直ぐにダリアを見つめる。
「ディア様だから、許されるんだ」
柔らかく微笑むと、デュイエは愛しくその手に口づけた。
「この意味、わかる?」
いつの間にか側にいたディレイガルドの護衛が、デュイエに剣を渡す。
それを迷いなく受け取ると、柄と鞘に手をかける。
スラリと抜かれる剣。
そんなデュイエの行動に、ダリアは目を瞠った。
女性に剣など向けられません。
ダリアが剣術の相手をしようとしても、そう断っていたのに。
幼馴染みだという女ムセイラに、躊躇いもなく切っ先を喉元に突きつけている。
「昔馴染みの誼だ。私のことならいいよ、何を言っても。でもね」
困ったように、デュイエは笑っている。
「ディア様への無礼は看過できない」
困ったように笑ったままのデュイエは言った。
「その命で詫びてくれるかな」
彼は、誰?
昔から知る彼は、こんなことが出来る人間じゃない。
いつも優しく控え目に笑う彼だった。
周りから下に見られていても、穏やかな口調で声を荒らげることだってない。
怒りや憎しみといった強い感情を持っていないと思えるほど、柔らかな人。
それなのに。
デュイエは、ムセイラの知る、いつもと変わらない様子のまま、剣を振り上げた。
*最終話につづく*
ケーシー家には三人子どもがいる。長男デュオ、次男デュイエ、長女メリッサ。トレイイトラ伯爵家は、一人娘ムセイラ。メリッサとムセイラは同い年であった。
「ディ、ディレイガルド公爵令嬢様だったら、何もデュイエ様じゃなくてもいいじゃないですか」
そんな言葉が聞こえて、ケーシー伯爵家の面々はギョッとした。
見ると、馴染みの顔がそこにある。トレイイトラ伯爵家の一人娘ムセイラであると知るや否や、ケーシー伯爵は長男デュオにトレイイトラ伯爵を探しに走らせた。ケーシー伯爵夫妻は、デュオの妻とメリッサ夫婦にこの場で待機するよう伝え、デュイエの元へと急ぐ。
ダリアのおかげでずっと注目を浴びっぱなしのデュイエたちだが、この騒ぎにまだ気付いていない者たちもいる。ケーシー伯だけでなく、他の者たちもトレイイトラ伯爵夫妻を探すが、二人揃って姿が見えない。おそらく、ムセイラは両親が席を外した隙を狙って行動を起こしたのだろう。
ムセイラは、デビュタントを迎えてこれが初めての夜会だった。婚約者がまだいないことから、両親と出席していた。
メリッサは、ムセイラが何故誰とも婚約をしないのかを知っていたが、まだ十八。デビュタントを迎えたばかりのため、これから婚約を決める者も多い。メリッサのように、デビュタントを迎えてからすぐに結婚をする者は、元々婚約が決まっていた者がほとんどだ。その為、もっと他のたくさんの令息たちと交流をすれば、ムセイラの気持ちも変わるだろうとメリッサは思っていた。
学園では出会えなかったようだが、社交界はもっとたくさんの人たちと出会う機会がある。
デュイエへの恋心は、その内新しい恋に書き換わるだろう、と。
そう思っていたのはメリッサだけではない。ケーシー伯爵家もトレイイトラ伯爵家もムセイラの気持ちに気付いていたが、一時のものと思っていた。デュイエさえも気付いていたがそれは、最初に出会った年上の男性への憧れが恋と錯覚した刷り込みのようなものだ、と。だから必要以上に接触はしないし、他の人に接するときと同じように接した。勘違いをさせてしまうことは控えたし、ムセイラの好意をやんわり否定したことも数知れず。
だが、それではダメだったようだ。
もっとハッキリ断るべきだった。突き放すべきだったのだ。
そうしなかったから。
「ディー様はわたくしの婚約者。馴れ馴れしく名を呼ばないように」
愛する人の手を、煩わせてしまった。
そう、デュイエは後悔した。
それでも、表情のない顔が美貌を際立たせ、同時に恐ろしさもより際立つダリアに、つい見惚れてしまう自分がいる。
「デュイエ様は、お兄様のデュオ様を支えるために、結婚はしないと言っていたのよっ。それなのに、それなのにっ」
ムセイラの言葉に、ダリアに見惚れている場合ではなかったとデュイエはハッとする。ムセイラを止めようと動きかけて、ダリアがそれを止めるように組んでいた腕に力を込めた。同時に、慌てて近付いてくるケーシー伯爵夫妻を一瞥し、手出し無用とばかりに空いた方の手を軽くあげてその場に押し止めた。
「ディア様?」
ダリアはデュイエに微笑む。
その微笑みを見た者たちは軒並み倒れ、その息を飲むほどの美しさに、デュイエの時は止まってしまった。
そんなデュイエが愛しくて堪らないが、さて、この目の前の愚物をどうしてやろうか、と再びムセイラを見て溜め息を吐いた。
ディレイガルドに盾突くほどデュイエを想っていたのなら、何故結婚できるよう行動をしなかったのか。デュイエが誰のものにもならないと明言していたとしても、誰のものにもならないのならと見つめていただけなのだとしたら、手に入れることを諦めたと同義。人生何が起こるかわからないのだ。横から掻っ攫われるなんて、よくある話だ。絶対に欲しいものがあるのなら、指を咥えて見ているだけなんてあり得ない。
「デュイエ様は結婚なんて望んでいなかったのよっ。それを、ディレイガルドの名を使って無理矢理自分のものにするなんてっ」
「やめないかっ!気でも狂ったかおまえっ!」
デュオから話を聞いて、騒ぎに駆けつけたムセイラの両親が慌てて止めに入る。
両親は、婚約者を連れた姿を実際に見れば諦めがつくだろうと思っていた。況して相手はあのディレイガルド。つらいかも知れないが、現実を見れば、次へ目を向けられるだろう、と。そのため、自分たちが側にいては、出会うものも出会いづらくなるだろうと、あえてムセイラから離れたのだ。
誰が、ディレイガルドに盾突くなんて思う。
父親がムセイラに掴みかかろうとして、横に吹き飛ぶ。そのまま床を数メートル、体を滑らせて止まる。
その様子にデュイエは時を取り戻し、いつの間にやらムセイラの側にいたダリアに気付く。
ダリアが、伯爵のその脇腹を殴ったのだ。
非常に不愉快な女を排除するために動こうとし、横から紛れてきた余計なものが邪魔だったに過ぎない故の行動。だが周囲は、大の大人を吹き飛ばすほどの力を、少女の細腕が繰り出したとは思えなかった。
そして、ダリアの父エリアストを知る者たちは思う。
ああ、やはり彼女はあのエリアストの血を紛れもなく引いているのだ、と。
白目を剥いて泡を吹く伯爵に一瞥もすることなく、ダリアは温度のない目をムセイラに向ける。ムセイラの体がビクリと震えた。
「私の婚約者を、馴れ馴れしく名で呼ぶな、と言っている」
聞こえないのか。
ダリアが冷気を纏わせている。令嬢らしからぬ口調へと変わり、愚か者を凍てついた目で睨む。
「何よ!ずっと、そう呼んでたし、後から来たクセに、私たちの間に入って来ないでよ!筆頭公爵家だからって、何でも許されると思わないで!」
ケーシー家は皆が思った。こんなに愚かな娘だっただろうか、と。
特にメリッサは、ムセイラと同い年ということで、幼馴染みの気安さはあったが、特別に親しくしていたというほどでもなかったため、もっと距離が近かったなら、彼女の深層にあるものに、気付けていただろうか、とこの状況を憂いた。
意識を飛ばしたトレイイトラ伯に寄り添う夫人も、人外を見るような目で娘を見て青ざめている。これほど愚かだなんて、こんなことになるなんて、思いもしなかった。こんなことになるのなら、側を離れるべきではなかった、と。
父親のこの姿に何とも思わないのか、父親が何をされたのか、何故こうなったのかわからないのか、それでもディレイガルドに盾突くのか。
そう、周囲の人間たちでさえ思った。
「許されるよ」
そんな周囲を余所に、デュイエは静かにそう言った。
ダリアの微笑みに時を止めていたデュイエは、ダリアの怒りによって我に返り、そっとダリアの側に寄ると、その尊い手を掬い上げる。
「少なくとも、私に関することは何でも許される」
柔らかな口調だが、そこには確固たる意志があった。
「それは筆頭公爵家だからじゃない」
真っ直ぐにダリアを見つめる。
「ディア様だから、許されるんだ」
柔らかく微笑むと、デュイエは愛しくその手に口づけた。
「この意味、わかる?」
いつの間にか側にいたディレイガルドの護衛が、デュイエに剣を渡す。
それを迷いなく受け取ると、柄と鞘に手をかける。
スラリと抜かれる剣。
そんなデュイエの行動に、ダリアは目を瞠った。
女性に剣など向けられません。
ダリアが剣術の相手をしようとしても、そう断っていたのに。
幼馴染みだという女ムセイラに、躊躇いもなく切っ先を喉元に突きつけている。
「昔馴染みの誼だ。私のことならいいよ、何を言っても。でもね」
困ったように、デュイエは笑っている。
「ディア様への無礼は看過できない」
困ったように笑ったままのデュイエは言った。
「その命で詫びてくれるかな」
彼は、誰?
昔から知る彼は、こんなことが出来る人間じゃない。
いつも優しく控え目に笑う彼だった。
周りから下に見られていても、穏やかな口調で声を荒らげることだってない。
怒りや憎しみといった強い感情を持っていないと思えるほど、柔らかな人。
それなのに。
デュイエは、ムセイラの知る、いつもと変わらない様子のまま、剣を振り上げた。
*最終話につづく*
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