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本編

光。

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 とりあえず休めと言われて、連れて行かれたのはリーシュの後宮だった。曰く、一番安全だから。王妃にするという口実で迎えられたんだっけ。どうするのかしら、私にそんな気はないし、リーシュも同じはずだ。だけど、今はそれもどうでもいい。

 異国風の造りの寝台に、ぽすんと座った。華やかな色彩で飾られた部屋はとても綺麗だけれど、私はぼんやりと空間を眺めるだけだった。
 知らず、指先が、身に付けていた首飾りの中心――輝石に触れる。これを使えば、ローランに声を届けることはできるかもしれない。私を選ばないでと、伝えられるかもしれない。
 そう思って、輝石の魔力を引き出そうとした時。

「ならぬ。さきみのひめ」

 しわがれた声が、私を制した。いつの間にか、室内に雪麗がいる。年老いた者は幼児に近くなるというけれど、今の雪麗は童女のように無邪気に見えた。

「それをつかえば、そなたのみたみらいがさだまる」
「私の見た未来……?」

 私は、最近は未来視なんてしていない。現状がゲームの展開とかけ離れているせいで、できないというのが正しい。

「そなたが、いちばんさいしょにみたみらい。それが、さだまってしまう」
「雪麗……?」

 桜華公主。その人の言葉をどう受け止め、信じてもいいのか悩む私に、雪麗は強く言葉を重ねた。

「ばはむーとが、ばはむーとでしかいられないみらいが、かくていする」

 ローランが、神竜王でしかいられない未来――つまり、悲恋EDのこと?
 それなら、私は構わない。ローランから、何も奪わずにすむのなら。

「ありがとう、雪麗。でも、いいの」

 私は、雪麗にお礼を言った。そうして、首飾りの輝石から魔力を――……

「いいわけあるか!」

 引き出す寸前で、リーシュの手が、首飾りから輝石を外した。
 そして、そのまま輝石を握り締め――砕いた。待って、林檎を握り潰すとかは聞いたことがあるけど、宝石を握り潰した人なんて聞いたことないわよ。

「どこまで規格外なのよ!」
「伊達に神竜王の血筋じゃないからな。普通の人間とは勝負にならん。弱い者苛めになるから、気の向いた時だけやってる」

 やってるのか。
 思わず突っ込みそうになった私は、リーシュの手の中からぽろぽろと零れ落ちた輝石の欠片を見て、我に返る。ボケに突っ込んでいる場合じゃなかった。どうしてくれるの、ローランにどうやって伝えればいいのよ!

「アレクシア。神竜王に決めさせろ。おまえは何も言うな」
「どうして」
「おまえを選ぶか、諦めるか。神竜王自身が、一人で答えを出すべきだ。誰かの言葉に頼って選んだら、それが気に入らなくなった時、そいつのせいにしてしまえる。おまえを選ぶにしても、諦めるにしても、神竜王は、いつか絶対後悔する。その時、その選択をおまえの責任にするような行為は、王たる者のすることじゃない」

 私を選んでも、諦めても、ローランは後悔するとリーシュは断言した。私を選べば、失くした亜界を。私を諦めれば、私を懐かしんで、愛しんで、後悔すると。

「……だって、私、ローランには幸せになってほしいのよ」

 泣きそうになった私に、リーシュと雪麗が困ったような顔になる。
 幸せになってほしいの。私の傍にいてくれなくてもいいから、幸せに笑っていてほしいの。

「――私の幸せは、そなただ。アレクシア」

 微かに焦れた響きを宿す、綺麗な声は――。
 振り返ろうとした私を、後ろから抱きすくめるのは。

「悩む暇などあるものか。次期王を選ぶのに少し手間取ったが、人化の秘術は自分で行える程度のものだ。真名から、バハムートを捨ててきた。――私は、そなたを守ると誓った。その誓いは、永劫だ」

 静かに澄んだ声が、私の耳元で揺れる。

「先の世の記憶が、私を急きたてた。そなたを失うなと。失うべきではないものと離れたから、かつての神竜王はミレジーヌを守れなかった。私は、繰り返したくない」
「……ロー、ラン」
「アレクシアを愛している。いつかこの選択を後悔する時が来るのだとしても、その後悔も含めて、そなたは私のものだ」

 じわりと、視界が滲む。――あなたには、何も失くさせたくないのに。

「すべてを手に入れても、アレクシアがいないなら、私には意味がない。アレクシア。私は何も失くしていない。私が神竜王バハムートであったことは変わらない。こちらに跳ぶのに、寿命を削ったから、かなり短くなった。――そなたと同じものになれただけだ」

 今までになく力強く私を抱き締めてくるローランに、泣きたくなる。

「私は、あなたに……何もかも捨てさせてしまったの」
「アレクシアは、私の為に世界を捨てただろう。自分は捨てておきながら、私には捨てるなと言う。それはあまりにひどい。私だけを責めるのは……ええと……」
「お門違い」
「それだ」

 リーシュの言葉に、ローランが同意する。ニヤニヤと私達を見ているリーシュは、いい性格だ。――また借りができてしまった。

「雪麗。神竜王は、人になれているか?」
「むり。ばはむーとのちからは、ねむっているだけ。でも、あたらしいばはむーとがいるから、ろーらんはもうばはむーとじゃない」
「神竜王でも、人でもない曖昧な存在だが……それでもいいか、アレクシア」
「私、こそ」

 ローランの問いかけに、私も真実で答える。

「この世界の人間じゃなかったし、未来なんてわからない。いつまで、私が私なのかもわからない、中途半端な存在だわ」
「アレクシアは変わらない。初めて会った時からずっと」
「はいはい、それ以上は二人きりの時にやって下さいね。――レン」
「聞こえてます」
「手筈は?」
「完璧です。アレクシア姫を侮辱された神竜王が怒り狂って、シルハークへの呪詛を紡ぎかけたから、姫を差し出したように偽装しました」

 ――それは、あまりにローランが悪役すぎませんか……。悪役令嬢を目指していたら、恋人が悪役になってしまいましたというのは、切ないんですが。

「私を侮辱って?」
「正妃ではなく側室にしようとした、ってところかな。俺は、ヴェルスブルクにはおまえを妃として迎えたいとしか言ってない。だから、神竜王が怒ったことにしとけ」

 そんなことして、リーシュの名前に傷はつかないのか心配になった私に、レンファンがにこやかにこたえた。

「今更、その程度で傷つくようなお綺麗な名前でもありません。逆に、神竜王をも恐れぬ王と宣伝しておきますよ。同じ血ゆえに恐れぬと」

 ただでは転ばないレンファンに、リーシュが溜息をつく。俺の意志は無視かというアピールに、レンファンは動じない。

「雪麗の魔力で、神竜王との交渉の幻覚も作っています。真実視の能力でなければ見抜かれません」
「そっか。雪麗、ありがとな」

 リーシュの言葉に、雪麗はにこにこと――皺だらけだからわかりづらいけど、たぶん、にこにこと――笑っている。褒められて嬉しいのかもしれない。

「ヴェルスブルクには、神竜王の怒りが下る前に姫を差し出したって報告する。今後、神竜王はシルハークに関わらないと公示して……あと、何かやっとくことあったか、レン?」
「どうせ疑われるに決まってますが、要はバレなければいいんです。問題が起こるなら、その都度対処致しましょう。それに、既に神竜王の称号を返上していますから、関わったとしても言い逃れは可能ですがね」

 レンファンは何でもないことだと言った。周辺諸国すべてを騙すこと前提なのに、一切の迷いがない。

「シルハーク王の従者。私は、シルハークの駒ではない」
「承知致しておりますよ。神竜の王であった御方を、政略の道具にはできません。神竜王の末裔であるシルハーク王家を穢すことになる」

 恭しく礼をして、レンファンは笑った。

「雪麗が、桜華公主であった頃に住まっていた宮があります。そちらでお過ごしなされませ」
「人里離れてるし、女官も少ない。武官は……いなくても平気だろ、前神竜王がいれば」
「女官もいらない」
「そういうわけにはいかねえの。対外的には、君はまだ神竜王なんだから。お姫様育ちのアレクシアと二人で生活なんてさせられるわけないだろ」

 私は、根っからのお姫様育ちではないのだけれど、いきなり主婦業ができると自惚れてもいない。なので、リーシュの申し出を受けることにした。

「シルハークの王。借りはいつか返す」
「気にすんなー。代わりに、たまに俺の武芸の相手してくれればいい。体を動かしてないとなまるからさー」

 気軽く笑ったリーシュに、私とローランは深く礼をした。感謝がきちんと伝わるように。
 ――あまりに長く礼をしていたものだから、リーシュが「もういいって!」と言い出し、私達は顔を上げて、笑い合った。




 ヴェルスブルク。シェーンベルク大公の宮で、近々大公妃になる少女が、手紙を読んでいた。

 ――何もかも、あなたの指示通りに。

 そう書かれた手紙に、燭台の蝋燭から火を移す。薄い紙は、瞬時に燃え尽きた。
 差出人は、レンファン。シルハークのリーシュ王の腹心として名高い男だ。
 ――取引内容は簡単だ。ヴェルスブルク王国が所有する「最強の武力」である神竜王をシルハークに渡す代わりに、アレクシアともども、保護という名の隔離をすること。

 神竜王――ローランの存在は爆弾だ。対応を間違えれば、周囲を巻き込んで破壊し尽し、それでいて当人は傷つかない。アレクシアの意志ひとつで、彼は最強の武器になる。
 そんな物騒な存在は、新王即位で揺れている国内では守りきれないから、シルハークに託した。いずれ、機を見て「王妃として迎えると思ったから受けたのだから、いらぬなら返せ」と呼び戻すつもりでいる。その時には、またシルハークと交渉しなくてはならないが、リーシュ王はこちらに好意的だ。適切な返礼をすれば、二人を帰してくれるだろう。

「……それまでに、シルハークに情を移していなければいいのだけれど」

 早めにしないと、あの優しい少女は、簡単に懐に相手を入れてしまう。そうなってから「手を離せ」と言っても聞かない。
 アレクシアを正妃にされる前に、奪い返さなくてはならない。リーシュ王は「その気はない」と言っていたが、いつ気が変わるかわからない。そして、その為には、ヴェルスブルクの国内を、リヒトが完全に掌握しなくてはならない。

「……頭の痛いこと」

 大切な、何よりの癒しだった少女がいないこの国で、一人で戦うのは少しばかり疲れる。溜息をついたエルウィージュの脳裏に、愛しい声が甦る。

 ――大好きよ、エージュ

 わたくしこそ、あなたを愛しているわ、アリー。あなたの為だから、神竜王陛下を人にするなんて馬鹿な真似を実行させたのよ。

 最愛の少女は、今はきっと、大好きな神竜王――前神竜王と呼ぶべきか――と、穏やかに暮らしている。
 そんな「結末」を永続させる為なら、いくらでも孤独に耐える。癒されないままでも、この手を敵対する貴族達の血に染めても、平然と前を向いていられる。

 ――そう思っていたエルウィージュの聴覚が、聞き慣れた声を捉えた。

「エージュ!」
「……あなたは、どこまで馬鹿なの。再会は、もっと秘めやかにするべきでしょう」

 窓の向こうで、ローランに抱き抱えられてふわふわ浮きながら笑っている少女に悪態をついた後。
 エルウィージュは、全開にした窓から駆け出した。




 ――そして、ヴェルスブルクは「光」の王を戴いた。
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