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とある公爵家令息の独白、

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 僕はいつから人形になってしまったのだろう。




 ライオネル公爵家、それが僕の生まれ育った家の名前だ。
 けれども僕は、僕がライオネルと呼ばれる事を忌避している。
 そして、それは僕の家族も同じ考えだろう。
 何故なら僕はあの家の落ちこぼれ、ライオネル家の出来損ないだからだ。

 物心ついた頃には既に兄のミハエルという存在は我が家の中心だった。
 もしかしたら、生まれたての頃位は両親も僕の事を見ていてくれたのかもしれないと希望を抱いた事もあるけれど、僕の中に両親が僕を見てくれている記憶は存在しない。
 きっとそれが真実なのだと思う。

 何をしても優秀な兄、勉強だけではなく、剣術も達者で、人付き合いすらも上手。
 一方、必死に取り組んでも兄に追いつけない勉強、そこそこしか熟せない剣術、人見知りで上手く社交できない性格、そんな僕が兄に勝てる事など一つとして存在する訳がなかった。

 両親から口癖の様に、何故兄の様に出来ないのか、兄は優秀なのに、兄弟とは思えない、そう繰り返される毎日。
 僕だって頑張っているのに、両親はそんな事御構い無しに結果だけしか見てくれず、いつだって兄に劣る結果に歪んだ顔しか向けてもらえなかった。
 努力だけならば兄よりも必死にしているのに。
 だけどきっとそう訴えてしまえば、それだけ頑張ってこんな結果しか出せないのか、とより一層蔑まれる未来しか見えなくて、結局の所僕は口を噤む事しか出来ない。


「勉強なんて別に頑張らなくても勝手に結果が出るだろう、こんな時間まで必死になるなんてみっともないな」

 いつだったか、夜更け過ぎまで机に噛り付いていた僕を見て、夜遊び帰りの兄は笑った。
 僕だって兄の様に遊び歩いたり、剣術に打ち込んでみたり、恋だったしてみたかった、一度でいいから思っている事を全て言って好き放題してみたいと思うさ。
 兄が必死になって何かに取り組んでいる姿なんて見たことがない、それでも勝手に僕が追いつけない様な最上の結果を叩き出す。
 麗しく心優しい婚約者がいるのに、代わる代わる見目の良いご令嬢と遊び歩いて、僕の知らない遊びに連日興じて、いつも楽しそうで。
 羨ましい、妬ましい、虚しい。
 僕はそれらを全て諦めてやっと、勉強というたった一つの結果で兄にしがみつく方法しか思いつかなかったのに。



 本音では勉強なんかするくらいならローランドと一緒に剣術を習いに行きたかった。
 けれど、両親からは誰でも出来るような勉強の結果も出せていないのに、センスが必要な剣術を習っても仕方がないと言われた。
 元々大して剣術上手かった訳じゃ無い僕は諦めるしかなかった。

 同世代の御令息や御令嬢方みたいに身を焦がす様な恋をしてみたかった。
 けれど、兄の様に愛らしい婚約者をあてがわれる事もなく、女性との必要以上の接触も制限された。
 どうせ役立たずならば、せめて家の為に高位の貴婦人に婿入りする位の貢献ならば出来るだろうと両親が話しているのを僕は知っている。
 顔だけは母に似ているから、連れ合いを亡くして寡婦になったご高齢のご婦人や、醜く引き取り手がない御令嬢なら大喜びで受け入れるだろう、と。

 できる事ならば友人を沢山作って街へ出かけたり、放課後に寄り道をしたりしてみたかった。
 けれど、結果も出せない人間に遊ぶ余裕などある訳がないだろうと言われて、遊ぶ時間など一切与えられなかった。
 元々堅い性格で社交的ではない僕は、幼い頃から友人も少なかったけれども、そんな数少ない友人も共に遊ぶ事すら出来ない僕から一人一人と離れていった。

 唯一そんな僕の側にいてくれるのは従兄弟のローランド位だ。
 今でこそ兄を見習って多少外面だけは取り繕う事が出来るようになったけれど、所詮上っ面だけの存在の僕にローランド以外、親しい友達と呼べる存在が現れる事はなかった。

 その癖、造作だけは母に似て整っている僕の顔に引き寄せられて周囲にはご令嬢が集まる事に腹を立てた男子生徒が、僕の事を自分の意見もなくヘラヘラしているだけの人形の癖に、と揶揄しているのを先日偶然耳にした。
 彼の言う通りだ。
 僕は両親に言われるがまま勉強をし、周囲の人間に心のこもっていない笑顔を振りまくだけの自我を持たないただの人形だ。



 それでも、学院に入学して初めてのテストを迎える時、僕は頑張ったんだ。
 数年前、兄が学院の歴代でも最高得点を叩き出したと褒められていたそのテスト。
 ここで僕も兄には及ばずとも、せめて学年トップになれれば少しは皆んなに認めてもらえるかもしれない。
 そんな風に考えて、普段よりも寝る時間を削って、移動時間も、授業の合間も、食事中もなりふり構わず勉強に勤しんだ。
 自己採点はまずまずの出来、兄の点数には及ばないけれど問題数で言えば2問差程度の点数は取れている筈。
 きっとこれならば一位になれる、そう期待して……絶望した。
 僕がなりたかった順位、あの時の兄と同じ点数、そこに名前を連ねていたのは聞き覚えのないご令嬢の名前だったのだから。
 けれども一番辛かったのは、落胆と同時に何処かで納得してしまった自分がいた事。
 やはり僕は兄には到底及ばない出来損ないなんだって。






「誰が何と言おうと貴方は素晴らしいお人ですわ、私が断言いたします!」

 その日、目の前をチカチカと輝く星が駆け抜けた様な衝撃に襲われた。

 ずっと深い水の底に引きずり込まれる様な息苦しさに苛まれていた。
 けれど、僕が目の前に伸ばされた手を逡巡して掴めないまま更に奥深くへ沈み続けて行く中、突然伸びてきた手に反対の手を強引に掴みあげられ、そのまま夜空の彼方まで引きずり上げられてしまった。
 そうなって初めてずっと掴み損ねていた手、ローランドが泣きそうな顔でこちらを見ていた事に気がついた。
 ああ、君は僕の事を本気で心配してくれていたのか、と。

 反対を見れば、顔を赤くして慌てている1人の少女の姿。

 僕よりも優秀な彼女。
 僕が欲しくて、全てを投げ打ってでも手に入れようとした、学年トップと言う肩書きを奪い去っていった御令嬢。
 初めて彼女と顔を合わせた時、失礼にも僕は思ったのだ。
 取り立てて優れた容姿をしているのでもなく、然程実家に権力がある訳でもない、勉強以外で令嬢として優れていると言う話も聞かない。
 平凡を絵に描いたような御令嬢。

 そんな彼女は、僕と同じで勉強に縋ったのではないだろうかと。
 1人で図書館に残り遅くまで勉強に勤しんでいる姿を見ると、きっと彼女は僕を凌駕する程に身を粉にしてテスト勉強に取り組んだのだろう。
だからあの結果を出したに違いない。

 そんな僕の願いにも似た希望を、彼女はたった一言勉強が趣味だと言って打ち砕いた。
 だから、きっと彼女は自分とは違い必死になっても結果を出せない惨めな僕を、兄の様に嘲笑うのだろうと思ったのに……


 それなのに、彼女は僕は凄いのだと、素晴らしいのだと言う。
 彼女の方がずっと僕より凄い人なのにもかかわらず。

「ありが…とう。ローランドは昔から同じ様に励ましてくれたけれど、でもそれは友人だからだと……。でも、まさかミシェル嬢にまでそんなに風に言って貰えるとは」

 もしかしたらお世辞や、社交辞令の類だったのかもしれない。
 それでも、僕にはもうそれを跳ね除ける気力すら残されていなくて。
 ただただ、彼女の言葉がジワリと心の浅い所から奥に向かって染み込む様な不思議な感覚にそっと瞳を閉じた。

 昔から僕を認めてくれたのはローランドだけだった。
 でも、それは付き合いが長いから、従兄弟だから、ローランドは優しいからだと自分に言い聞かせて信じる事が出来ずにいた。
 それなのに、出会ったばかりの彼女は僕を認めてくれると言う。
 他の誰でもない、僕自身ですら認められない僕の事を。

 僕は、ローランドの言葉に耳を傾けても良いのだろうか。
 僕は、僕の努力を少しだけ認めてあげてもいいのだろうか。




 ローランド以外、出来ずにいた友人という存在になりたいと久しぶりに思った人。

 今度は君に聞いても良いだろうか。

「この問題はどうやって解くのが正解だと思う?」

 そう聞いたら、君は笑って答えてくれるだろうか。

 もう一度、君と話してみたい、今僕はそう思う。

 いつかまた僕が人形から人間に戻る為に。








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